クランベリープリンセス
著者:創作集団NoNames



 第二章  灯火の代価

        1

 良い天気の昼時の公園はぽかぽかとした陽気で、日差しがこもれびを受けてちらちらと地面に輝いていた。
 家の中にいるにはもったいない気候だと、そう誰にも言わせるような雰囲気。
 この時期にしては例年よりも寒い日が多いので、こういう日はありがたい限りだった。
 ミルをさらってきた美術館の関係者がいないとも限らなかったが、こんな広い場所で日中から拉致を敢行する程奴らもバカではないのだろうし、こんな場所でのんびりしているなどとは夢にも思っていないのだろう。
 午前中は改の提案で街中の本屋や、図書館を漁っていた。これからのことを考えれば、知識は多いほうがいいに決まっている。『南』という漠然としたキーワードだけでは改はそこまでミルを送り届けることができない。
 魔女の森というからには森なのだろうが、改はそれらしい噂さえ聞いたことがない。
 それに関しては図書館を調べたところで、理由は判明した。
 ただ単に魔女という単語や記述に関する本が少ないのが第一であり、次に上げられるのは魔女が卑語として、誰もが知っているもののその意味合いから一般的には使われない単語に列挙されているためだった。
 それほどまでに、現代の科学は魔女を恐れている。
 現代科学が物理的に魔女を排斥しようとした、いわゆる第二次魔女狩りと呼ばれる出来事も改が生まれてくる八十年も前の話だ。魔女は以来だいぶ数を減らしたが、元々人の心の中に生まれる宗教的な考え方と結びついた存在はしかし絶滅する事はなかったらしい。
 それを証明してくれた人物は、今改の隣で視界に映るもの全てに目を輝かせていた。
「………ところで」
 大樹の下に備え付けられたベンチで昼飯にと開いていた屋台で購入したサンドイッチを頬張りながら、改は誰にともなく呟いた。その視線の先には多少薄目の地図帳が広げられている。さっきからそわそわして落ち着かず、感覚が敏感になっていたミルがそれを拾い、隣の改を見上げた。
「なんですか?」
「お前、南から来たんだよな」
 芯のほうが入っていたらしいレタスが改の口の中でバリバリと不快な音を立てた。
「そうです」
 口をもごもご言わせながら、改はようやく本から目を離してミルのほうを見た。
 陽気のせいなのか、彼女の頬が多少上気しているのが分かったが、改は別にそんなことは話題に出す気もなく続ける。
「話を聞くに気になっていたんだが」
「はい」
「なんで南から来た、って言い切れるんだ?」
 質問の意図が分からずに、ミルはきょとんとした顔で改を見続ける。
「つまりだ、無理矢理連れてこられたんだろ?あの重装備で意識を持っていたとは思いがたいし、どうして南からなんだ?」
「そういえば………どうしてでしょう?」
 少しも慌てずに、ミルは首を傾げた。
「…………」
「うーん………うなされている時に誰かが言っていたような気がしますし」
「魔女の森、以外に誰か何か言ってなかったのか、特徴とか」
「………特徴ですか」
 陽気にやられた脳天気そうな顔の眉が、突如小難しく釣り上がる。
「………お湯が沸かさなくても、出ます」
「は?」
 見当違いの答えに、口を開けたままミルの方を向けてしまったため改はサンドイッチを頬にぶち当てることになった。
 ミルがとっさに自分の口を押さえた。
「…………」
 改は無言のまま、懐からマジシャンのようにハンカチを取り出す。見慣れない者から見れば、掌から突如湧いて出たように見えただろう。
 ミルは少し驚いたように目を丸くすると、塞いでいた口から声を漏らした。
「わぁ」
「代々手品師だったらしい」
「へぇー……」
「嘘だ」
 途端に眉が釣り上がって口が尖った。
「………ひどい」
「まあ、半分本当なんだけどね」
「?」
「表向きは『手品師』だった、ってこと。地方巡業しながら、裏の顔、ってわけさ」
「…………」
 ころころ変わる表情に少し翳りが差した。地面をちらちらと揺れる日差しを見つめる瞳の光が、多少深い。
 そう改が思ったのも一瞬で、すぐ顔が笑顔に変わる。
「それで、湯が出るって………?」
「温泉、っていうんでしたっけ?名物だったってお師匠が言ってましたけど」
「………温泉、ねぇ」
 再び開いていた本をぱらぱらとめくる。今もお湯が出る、ということは温泉郷に近い森なのだろう。ミルは改のほうへ寄っていたサンドイッチを引き寄せると、一つつかんで食べ始める。顔は険しいまま、まだ手がかりになりそうな記憶を宙に描こうとしていた。
「南にある大きな川を一つ越えた、温泉郷…………」
 改の頭にはある確信があった。
 真南には、小さな半島に少し森が残るだけで大きな川も温泉郷もない。東はすぐに海に面している。
 改の視線は次のページをめくる。
 南西にあるのはこの県最大のサガミ川。
 その先にあるのは、この国でも有数の温泉郷と湖が存在する。
「ハコネだ」
 そのフレーズを耳にしたミルが弾かれたように顔を上げた。
「ハコ………ネ?」
「正確に言えば南西だが、ここまで南が海に面しているとたどれるのはここしかない。これ以上海伝いに行くと、たぶん普通の人間は南じゃなくて、西と言い出すだろう」
「ハコネ………」
 地図上を指した改の指をミルの視線がたどる。
「とりあえず海を越えたりしなくて良かったな。ここから百キロないくらいだ」
 そういって、改は地図帳を閉じた。
 まだ、口の中でミルは暫定目的地の名前を繰り返している。
「…………?」
「…………」
「おい、ミル?」
「えっ」
 突如我に返ったような顔で、ミルが慌てて改の顔を見た。
「な、なんですか?」
「………いや、大丈夫か?」
「あ、はい………平気です。どこか懐かしい名前だったもので、つい………」
「と、言うことは聞き覚えがどこかにあるということだな」
「たぶん………ですけど」
 曖昧な返事を残して、ミルは残りのサンドイッチを何か言いたげな雰囲気と共に口に押し込んだ。
 改の目からはまだ何かを隠されているような気がした。少なくとも、魔女とは言え年頃の少女がするような表情ではない。何か達観しているような、体や口調に似合わない何か得体の知れない雰囲気を彼女は『まだ』隠し持っている。
 例えば、彼女達魔女について改はまだ何も知らない。
 美術館から逃げ出してからというもの、改は警戒を怠ってはいなかった。本当ならばベルトに巻き付いている小さなタッチパネルで細密に広がったグローバルネットへアクセスして情報を収集するのが基本なのだが、それ故に不特定多数が介入するネットから『それらしき』情報ばかりを漁るとマークされて尾行される可能性が高い。ただでさえ『魔女』を盗み出した後だ、それについてのマークが厳しくなるのは当然といえる。
 情報屋と自負する仁でも、それなりの使い手の追撃を撒くのは一苦労なのだから、改が持つアクセス機器のスペックではそれらを相手にするには分が悪い。
「とりあえず、箱根まで行ってみて違うようだったら別の目的地を捜そう。どうせここには当分戻ってこれないからな」
 改は膝を叩くと、本をまとめた。
「でも、地図を見るにずいぶん遠いような気がしますけど………何日かかりますか」
 確かに遠いが、最速の輸送機関なら今は十分もかからない。たぶん、ミルはその存在を知らないが為に歩いていくことしか頭にないのだろう。
 好奇心が高い分、致命的に知識がないのは『箱入り娘』以上に厄介な存在だった。
「…………とりあえず、その辺は心配するな」
 改は説明するのが面倒になり、それだけをため息と共に吐き出した。




[第一章・第四節] | [第二章・第二節]