「菜の花畑に」
著者:創作集団NoNames



  終 章

 睦葉の容態が急変した。
 母からの電話を受けてはじかれるように家を飛び出した。
 いつもは自転車で20分くらいの道のりを、全力疾走で10分でたどり着いた。
 病院内にもかかわらず、そのままの勢いで睦葉の病室まで走っていった。
「睦葉!」
 中には担当の医師と看護婦、啓の母親と単身赴任中だったはずの睦葉の父親までいた。
 その四人が睦葉のベッドを囲んでいた。
「啓…、睦葉ちゃんが…」
 母が啓を手招きする。それにしたがってベッドに近づいていった。するとそこには…。
「あ、啓だ。やっほー」
 睦葉が笑顔で手を振っていた。
「は…?え、これ、は?」
 突然の事で呆けている啓に、医師が説明した。
「札島さんは先程、いきなり目を覚ましたんです。何事も無かったかのように、ごく自然に」
 そして、脈拍などに以上が無い事を確認して、医師と看護婦は病室を去っていった。
「ははは、びっくりしただろー。ずいぶん間抜けな顔してたぞ」
 母が啓を指差して笑っている。一発ぶん殴りたくなったが、さすがに病院で暴れるわけにもいかない。
「嬉しすぎてつい…ね。騙して悪かったよ」
 睦葉の父の顔にも嬉しさが広がっている。
「あいつがあんな事になってしまって、私は一人になってしまうのかと思ったが。…本当に良かった」
 睦葉の母は精神異常者と診断され、罪には問われなかったものの今も警察の精神病院に入っている。
「ねえ、啓。ちょっと外に出ようよ」
 暗くなってしまった雰囲気を吹き飛ばすために、睦葉が明るく言った。それを察した母が啓の背中を叩いた。
「それもいいわね。ほら、さっさと車椅子借りてきなさい」
 ナースステーションでその事を伝え、車椅子を抱えて戻ってみると睦葉しかいなかった。
「お父さんは仕事の都合で会社に行っちゃった。おば様も用事があるんだって」
 無事を確認したので、とりあえず安心したらしい。
 睦葉を車椅子に乗せ、病院内にある庭園に連れて行った。
「これで一件落着、だね」
 日が傾いてきているが、春が近づいているおかげで外はまだ暖かかった。
「でもお前、その…」
 啓が言いよどんでいると、睦葉は自分の足を軽く叩いた。
「これの事?結局あのままだったら死んじゃってたかもしれないし、これで済んでむしろ得したんだよ。啓の大活躍も見れたしね」
 その時の事を思い出したのだろう、睦葉は少し嬉しそうだった。
「二人とも生きている、それで十分だよ」
「そうだな…。そういや、遠山さんにお礼言わないと」
 今こうして睦葉といられるのも、彼のおかげなのである。
 前を向いていた睦葉がくるりと振り向いた。
「大丈夫だよ。私が言ったから」
 昨日、啓が帰ったあと睦葉は夢を見た。
 そこには菜の花が広がり、一本だけ白い道が走っている。
花の上には睦葉と遠山が立っていた。
『彼は間に合ったみたいだね。これで僕も安心だ』
『これで助けられたの、二回目か。こんどはお礼を言わなきゃね、どうもありがとう』
『拓弥の子供たちのためだから。それと今回君を助けたのは啓君だよ』
 それだけ言うと、遠山は白い道を歩き出した。
『最後に君たちに会えて楽しかったよ』
 遠山は歩みを止めずに、後ろを振り返りもせずに大きく手を振った。
 だんだん小さくなっていくその背中に向けて、睦葉は軽く頭を下げた。
『ありがとう、そしてさようなら』
 
「だから啓は気にしなくていいの」
 啓は怪訝そうな顔をしたが、それも一瞬の事だった。
「ん〜。まあ睦葉がそう言うんだったらそうなのかな」
 難しくなりそうなので、啓は考えるのを止めまた車椅子を押し始めた。
 庭園を一回りして、そろそろ戻ろうかというときに二人に野太い声が飛んできた。
「よう、お二人さん。青春してるな」
そこには園芸部の面々がそろっていた。
「睦葉ちゃん、目がさめたんだ」
「札島、ひさしぶり」
 予想外の事で啓も睦葉も言葉を失ってしまった。
「な、なんでここに?」
 かすれてうまく声がでてこないが、何とかそれだけは聞く事が出来た。
 その質問に答える代わりに、三人は庭園の入り口を指差した。
 そこには先程と同じ顔をした啓の母親が、ブイサインをこちらに向けていた。
(またやられた…)
 がっくりと頭をたれる啓を無視して、四人は再会を素直に喜んでいた。
(みんなうれしそうだし、まあいいか)
 これで、啓も過去から完全に解き放たれた。これからは自分の思うように生きられるのだ。
(これから俺は、睦葉と二人で、静かに平穏な人生を送る。応援しててくれよ。父さん)
 啓は目を閉じて、自分を見守っているだろう人に祈った。
「な〜んだ。いくら寝てても怒りにこないと思ったら、こんなとこでいちゃついてたのか〜」
 なぜか進平までいた。ニヤニヤしながら啓を見ている。
「おっと、愛し合う二人のじゃまだったかな。甲田さんも先輩方も、二人っきりにしてあげましょう」
 それはどう見ても啓をからかって楽しんでいる顔だった。
「テメェ!いい加減にしろよ!」
 庭園に啓の声が響いた。
どうやらまた、彼の願いは半分しか叶わないようだ。




【END】


[第五章・第三節]