「利用した者、させた者」
著者:創作集団NoNames



 第五章・嘘と嘘のサジ加減

   −1−

 スライド式のドアが閉まり、八両編成の在来線がゆっくりと始発の寂しげな駅を走り出した。
 耕二は他に誰もいない車両を見回すと、適当な所へと腰掛けた。窓の外は白いもやが空け始める空の水色と重なって、ひどくぼんやりとしていて現実感を失わせた。
 田舎町なので、暗闇の中を寂しげに浮かび上がる光の数もまばらなため、まだ半ば闇の中にあるといえた。
 レールの繋ぎ目が奏でる断続的で規則的な音だけが、その場にあるすべての音であり、また列車が動いていると分かる唯一の手段だった。
 その感触に身を委ねながら、疲れきった体から力を抜いた。
 本当なら、こんな状態で町に戻るのは気が乗らなかった。詩的にでも言えば「心が重い」とでも言えばいいのだろうか。
「…………」
 ポケットの中に突っ込んだままだった携帯の着信履歴を眺める。
 三日前、最後に交わしたはずの会話の記録は残っていない。「利用する者」がなにを使ったのかは分からないが。とにかく彼の着信は相手の履歴には残らないようにできているらしい。
 なるべくなら二度と会話に出たくない相手だが、事情が事情だけに次にかかってくるのはそう遠い話ではないはずだ。
 そして、全てが決するのもその次の電話で成されるはずだった。
 手が、予期せずに汗ばみはじめる。

 始めに疑問に思ったことは、「懐かしい」という感覚だった。
 耕二が住む町は電車の導入が遅れた町で、結果的に高架線という形でできるだけ広いスペースをとらなくても建設が可能なシステムになっている。だから、全体的にビルの合間を、蜘蛛の糸のように通過していくのが耕二の町の電車のあり方なのだ。
 つまるところ、踏切の警笛音などここしばらくは聞いてすらいない上、踏切などはこの町に数えるほどしかないという結論に至る。
 確かに、少年はその辺で電話をかけてきたことになる。
 そして、地図上で踏切の音が聞こえて、耕二が駅前のビルの合間の喫茶店から出てくることが分かるほど見える地点は、町にはひとつしかなかった。
 町には東側に傾斜のある「山」と西側に丘陵になっている「丘」があるが、「山」の方にある孤児院跡地付近の野原からなら望遠鏡でゆうゆう駅前が見渡せそうだった。山のほうは全体的に昔から開けていたほうで、平屋が多いためだった。
 耕二はこの辺であることにとりあえずの当たりをつけて、次の作業へ移った。

 靖子は少年のことを「死の商人」だ、と言っていた。
 企業や個人のデータを自由に所有し、さらに携帯にその履歴を残さない手口といい、間違いなくその実力は本物だ。
 ただ、本当にそれだけだろうかと耕二は疑ってみる。
 もしかしたら、彼が行っているのはもっとこの事件に関して誰かや何かに関係のある、動機のある人物なのではないのだろうか。幸太郎や理沙に恨みを持っていれば、こうすることは十分に動機として考えられる。
 ただ、理沙がにくいのならとっくにあの情報を公表して破滅させているだろう。仮に動機があるとしても、それに猶予をつけているというのはさすがにおかしいのか。かなり彼の行動は矛盾している。
 動機付けとしての可能性としては低いとも思えたが、どちらにせよ、電話の内容から分かるとおり利用する者と耕二の立場は今のところ、アンフェアではない。
 せめて対等になるためには、彼のことを知る必要がある。
 そう思ってそれからの三日間はできるだけ少年のことを調べてみたが、やはり手がかりがなさ過ぎる上に一般人では踏み込める領域に限界がある。
 相手は一般人ではない。
 それだけが三日間でわかった全てだった。
 靖子は半信半疑だったが、耕二は間違いなく「利用する者」を信用してなどいない。最初の電話のやり取りは、間違いなく自分たちをどうにでもできる「脅し」に近いものだった。
 それだけに懐に入り込んで弱みを握れば、大きな力となることは間違いない。
 賭けのレートはでかいが、抜き差しならない今の状況よりはよっぽどましな選択だ。
 今更、完全に靖子のためだけに動いていると言えば嘘になる。
 半分は保身がかかっていることにも気づいている。
 だからこそ、彼をせめて対等の状態へ引き摺り下ろすことが必要になる。

 その罠は、既に仕掛け終わっている。
 あとは、電話がくるのを待つだけだった。
 昏く淀んだ溜め息は、明け方のしじまの中へと静かに溶け込んでいく。
 耕二は頭の中に思い浮かべた途方もない構想を再び胸の内にしまいこむと、これからのことを考えて、静かに眠りについた。




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