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「あ、あそこ、あの店」
「ああ、ここか………」
結局昼は澪のゴリ押しでラーメンになった。
最寄り駅までの大通りを一本はずれたところに、そのラーメン屋はあった。年季の入った二階建ての戸建で、一階が店になっている。きっと二階は住居スペースなんだろう。
確か、博多風醤油ラーメンとか言うツッコミどころのあるメニューが存在する店だ。しかもそれが絶品だと言うのだから博多の人もどういう顔をしていいのか分からない。
前に景汰が「店員さんが可愛い」としきりに(というかしつこく)薦めてきたが、結局卒業研究が過熱して行かずじまいになっていた。
「あれ、なに? 入ったことあるの?」
「いや………景汰が前に薦めてた」
「ほほう、司馬君が………やっぱり奴の舌はただもんじゃなかったみたいね………ここの博多風醤油ラーメンがおいしいのよねー」
「博多風………醤油?」
耳にしたことのない単語だったのか、案の定、吉田が首をかしげている。
「さ、入った入った」
カラカラと引き戸を開け、先頭を切って澪が中に入っていく。中からエラッシャイと威勢のいい声が聞こえる。
中は、ほどよい熱気に包まれていた。正直、もう熱気は要らない。
ここに来るまでにじっとり汗ばんでいたYシャツの胸元をパタパタさせて、空気を送り込む。
昼前なので客はまばらだが、それなりに繁盛している雰囲気だ。
「今日はおじいちゃんなんだ。水音ちゃん、いる?」
カウンター席に座った澪が、水が来る前にカウンターに声を掛けた。
「おう、水音の友達かい。悪いな、今日は水音いねえんだ。友達と遊び行くとか行ってたぞ」
じゃっ、じゃっ、と手際よく麺を湯切りしながら、初老の店主は白い歯をキラリと光らせた。どうやら、澪と店主は知り合いらしい。
「おい、なんだ、知り合いなのか?」
「何言ってんの。アンタ、ここ高校の同級生の店よ。高雉さんて、覚えてない?」
「高校の同級生………高雉………」
そもそも同級生なんて、覚えているのが何人いただろう。
「………もういいよ、誠一。アンタはよく頑張った」
心底呆れたように言って、澪がカウンターに肘を付いた。
バカにされているのは分かったが、返す言葉もない。不利なフィールドで戦えば、それだけ被害は拡大する。極力戦わないのが賢い選択のはずだ。
「注文は、決まったかい?」
水を置いて、店主が言った。
「私は、博多風醤油ラーメンの大盛りとギョウザ、麺は固めで」
「よく食うなお前………」
「なによう、鳳が少食なだけでしょう? それに、こんな状況なんだから、食べないとやってらんないわよ」
そこで、心底不服そうな顔で見られても困る。
「えと、わたし、このネギチャーシューメンに、半ラーメンで」
「あいよ!」
「ちょ、吉田さん?」
良く聞いたら、なんか注文おかしくなかったか。
「はい?」
「えっと、注文麺類ばっかりだけど、大丈夫?」
指摘を、ややオブラートに包んでみる。吉田は目をぱちくりさせてメニューと自分の注文した内容を確認して、ようやく間違いに気づいたようだった。
「あ、ホントですね」
「あぁ、良かった。聞き間違いかと思った」
「じゃあ、それに半チャーハン追加で」
「増やすのか」
思わず口に出してしまったが、よっぽどお腹が空いていたに違いない。さっき澪にも釘を刺されたことだし、あえてこれ以上は何も言わないことにしよう。
メニューを開く間もなかったから、目に付いたものを適当に頼む。
「えーと、杏仁豆………じゃなくて、レバニラ定食?」
ここはホントにラーメン屋なのか。
「あいよっ!」
店主は自分の注文にニヤリ、と不敵な笑みを返すだけだった。
−−−
「今思いついたんだけどさー」
ちゅるちゅると麺を吸い込みながら、澪が割り箸で誠一を指しながら言った。
「箸で人を指すな」
「あ、ごめん」
「で、なんだ?」
「これって、昨日と全然違うことしてるけど、大丈夫なのかな?」
「それ以前に、俺以外の人間がこうして同じ日を繰り返し始めたんだから、その時点で既に昨日と違うだろ」
「なるほど………」
昨日は澪と一緒にはいたが、吉田はいなかった。出会った場所も違えば交わした言葉も違う。同じにしなくてはいけないと言われても、既に手遅れだ。
「それに、多少は行動を変えないと導き出される結果も変わらないだろうしな。仮に壊滅的な結末を招いたとしても、どうせ繰り返されるならリセットされる」
最後の方は、多少自嘲めいていた。愚痴っぽいとは、自分でも思う。
「そっか………理系的な意見だね」
「そうか?」
「理論と分析、実験と結果、って感じですね」
吉田も乗ってきた。
「まあ………明確な答えはでなくても、早いところなんとかしたいな」
元に戻る原因が偶然であっても、こうなった原因が偶然なのだから。
「………そういえばわたし、昨日集まりに出てたんですよね、お昼。今頃やってるのかな」
吉田がチャーハンのレンゲを口元にやりながら、思案げに言う。何か、自然と唇の辺りに視線が行くので、誠一は自分の皿に目を落とした。
「吉田さん同好会入ってんだ。どこ?」
「M研です」
ぶぼっ。
澪が飲んでいた水を噴出し、目の前の誠一のニラレバの残りを水浸しにした。
「おっ、お前!」
とっさのことに怒鳴ってしまったが、相手は目ですまなさそうにしながらも、咳き込むのに必死だった。
「げほっ、ごぼっ、うー………ごめん、鳳」
「まったく………」
「ごめんなさい、私が変なこと言ったからですよね」
「………それにしても吉田さん、M研なんだ」
「はい………さっちゃ………いえ、佐倉と司馬さんが一緒なので」
「あぁ、昨日俺のところに来た三人は、そういう関係だったのか」
佐倉はともかく、司馬と吉田がつるんでいるところはどうも想像が付かないと思っていたのだ。
「ところで、M研てなんだ?」
「え、鳳、まさか、M研知らないの?」
あまりにバカにした発言だったので、さすがにむっとする。
「俺にだって知らないことはある」
「にしても………えっと、なんて説明したらいいのかな?」
よほど説明に困る団体なのか、澪は少し困った顔で吉田に聞いた。
「えっと………正式名称はMRI研究会です」
「MRIって、あの病院にある奴か?」
医療機器に確かそんな道具が有ったような気がする。体をスキャンして、異常を見つけるとかそんな感じの奴だ。
「いえ、発足当時は別の名前だったんだそうですけど、今では誰も知りません。数年前から短くなって、MRI研究会が正式名称に。有力な説では、最初のMはメルヘンのMだとか言ってました」
どんどん分からなくなっていく。メルヘンが頭に付く団体って、なんだ。
「で、何をしてるんだ?」
「えと………正直わたしにもよく………」
正式な会員がこの有様では、全体を把握するのは確かに難しいようだ。
「会員さんの前で言うのは何だけど、なぜか教室内で焼き芋作ろうとしてボヤ騒ぎを起こしてスプリンクラーで水撒き散らしたとか、大学のエントランスでブレイクダンスを行なって首の頚椎損傷して救急車騒ぎを起こしたとか、私が知ってるのはそのくらいだけど………」
「今年の会長が司馬さんで、みんな去年より張り切ってしまうみたいで………」
要するに、団員の一部はバカで、そのバカ共を率いる首魁が奴ということか。
「なるほど、良く分かった」
関わらないに越したことはないと言うことが。
ニラレバ定食には申し訳ないが、澪が水を吹き出したのも、許せる内容だ。
「にしても、なんで吉田さん、M研なんかにいるの?」
「佐倉についてったら、いつの間にか会員になってて………」
「ああ………」
澪もすごく納得した顔で頷いた。誠一も、きっと自分が似たような顔をしていたに違いないと思った。
−−−
「ありあとやしたー」
店主の不敵な笑みに見送られて、店を出た。正直ニラレバの味は悪くなかったので、今度は麺を食べに来てみようと思った。
「あ、メール」
吉田が歩きながらカチカチと携帯を打ち出す。澪も携帯を開いたが、すぐにしまった。
つられて自分も取り出してみるが、当然、着信などない。一時十五分。
「あー………やっぱり呼び出しが来てました。全然気づかなかったです」
さっきのM研の集まりのことだろう。不本意な団員活動なのに、律儀なことだ。
「でも集まりの内容で話したことと決まったことが分かってるんだから、出なくたっていいじゃん。出るだけ時間の無駄無駄」
「そう、ですよね」
「逆に『これはわたしの予想ですが、これこれこうなったんじゃないですか?』とか言ったら、預言者みたいでカッコよくない?」
「後付けの説明とかが面倒くさそうだな」
「あー………ダメかー」
「さて、俺は研究室に戻るが、お前らどうするんだ?」
「ちょ、鳳………本気?」
澪が眉根を寄せて詰め寄ってきた。本当に表情がコロコロ変わる、百面相な女だ。
「何が?」
「こんな状況で、まさか卒研やろうってんじゃないでしょうね」
「そのまさかだ」
「しんっじられない。こうなった原因を探したり、やることたくさんあるでしょうが!」
「まあ待て………それには理由がある」
「理由………って、なにさ」
さっき、早いところなんとかしたいとは言ったが、行動を起こして何かヒントが見つかるとは思えなかった。むしろ、今までのヒントを、ここで一回まとめるべきだろう。
「ひとつだけ、この繰り返しについて、思い当たることがあるんだ」
「アテがあるの?」
「この繰り返しが始まる一番最初の日と昨日、研究室のパソコンがおかしくなったんだ。 俺はこれで四日目だから、7月22日を三回繰り返している。だが、パソコンがおかしくなったのは初日と三日目だけだ。確か二日目に、異常は出なかった」
「確かに、気持ち悪いわね、それ」
「おかしくなる時は、夕方に景汰が来て、一休みするため電源を落としたはずなのに帰ってきたら電源が付いていた。スクリーンセーバーを解除したら変なメッセージが出てきて、制御不能になった」
「一番最初と昨日………ということは、誰かがこの繰り返しに入る前の日、ってことですか?」
吉田がまとめると、澪がポンと手を打った。
「あぁ、そういうことになるね」
「そういうことだ。だからそれを見届ける。メッセージが出たら、もしかしたら次の日に、俺達みたいになってしまう人が、出てしまうかもしれない。今の所それをとめる方法は分からないが、ヒントがない以上、今の所分かってるヒントはかき集めておきたい」
澪は一度、軽くうなずいた。
「分かった。私は、ちょっと外側でなんか変わったことがなかったか………鳳みたいにパソコンが故障したりとか、そういったことがなかったか、聞いてみるよ」
「わたしも、周囲の人に聞いてみます」
「じゃあ、ここで一度解散だ」
「それじゃ、どっかで待ち合わせて、情報をまとめない?」
「パソコンのメッセージが出るのが六時過ぎだから………七時以降がいい」
まだ四時間以上ある。情報を整理するには十分すぎる時間だ。
「今日、私たち、多分夜に鳳さんの家にお伺いすると思うんですけど、そこじゃダメなんですか?」
「景汰と佐倉がいるだろ」
「あ、そうか」
二人を抜きに話など出来ない。それに、他人の家だというのに無礼講で騒ぎ出す奴等だ。しらふでは、相手をするだけでも骨が折れる。
歩きながら大通りに出る。夏だからか、試験前だからか、午後の授業が始まっている時間だからか、大学生と思しき姿は通りにはなかった。
「というか、あの飲み会、そもそも必要あるの?」
澪の言葉に、はたと立ち止まる。
「………」
「な、なに?」
「………それも、そうだな」
三日連続で開催されている、内容の分かっている酒宴。毎日やっているものだからあって当然だと思っていたが、あれを開催する理由など、どこにもなかったのだ。
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