−1−
12月25日。
食卓にはケーキ、チキン、その他食べきれないほどのたくさんの料理が綺麗に並べられている。
2人のクリスマスパーティーの準備はすっかり整った様だ。
「じゃ乾杯しようか」
「え!?」
私は恋人の哲治の予想外のその言葉に思わず大きな声を上げてしまう。
そんな私の反応には眼もくれず、哲治は棚の奥からクリスマス用に綺麗に包装された飲み物のビンを取り出した。
「ちょっと待ってよ!」
私は慌てて彼を止める。
一体この男は何を考えているんだろう、その時私はそう思った。
「ん?」
「去年の事忘れたの?」
そう、それは去年のクリスマスに起きた悲劇―。
「いや、覚えてるけどさ…」
彼は心無いしか、言葉を濁す。
「じゃあわかってるでしょ?」
彼は去年の事を忘れてはいない。
では何上にこの様な無謀な試みをしようと言うのだろうか?
「私『酒乱』なんだってば!」
それは去年のクリスマス…。
彼、哲治と迎える初めてのクリスマスという事で、私はうきうき気分で舞い上がっていた。そう、それこそ天にも昇れそうな気分だったのだ。
「じゃ乾杯しようか」、哲治のその言葉は去年も聞いた。
その時浮かれていた私は、彼がグラスに注いでくれた赤ワインを思わず飲んでしまったのだ。
グラスにたった一度、口をつけた瞬間…、それが最後。
その瞬間私の中で何かが音を立てて弾けて、だんだん気分が良くなって、すぐに目の前が真っ白になって…、その後の事は何も覚えていない。
ただ朝になると、ひっくり返されたテーブル、潰されたケーキ、われたグラス…、そして目を回して倒れている哲治の姿がそこにあった。
記憶はさっぱり残っていなかったが状況的に考えて答えは一つ。
全て酔った私がやったのだ。
やってしまった…、その時はそう思った。
楽しいクリスマスになるはずが、たった一口のアルコールで何もかも台無し…。
そう、私は『酒乱』なのだ。
「ああ、去年は大変だったよなー」
哲治はにこやかに笑いながら言う。
「だったよなーって…」
私は彼のあまりに軽い反応に拍子抜けする。
「だから乾杯はやめよ?またあんな事になりたくないもん」
「大丈夫だって、これは酔わないからさ」
そういって彼は手に持ったビンの包装を剥がす。
綺麗な透明な緑のビンで、ラベルには何だかよくわからない外国語が印刷されている。
私はお酒には詳しくないのでよくはわからないが、どうやらシャンパンか何かの様だ。
「無理無理無理!やばいって!」
私が酔わないわけがない。
私は人並み外れた酒に酔いやすい体質を持っている。
昔、友人と居酒屋に行った時、アルコール度数7%のカクテル一口で大暴れしたと言う伝説を持っている。
彼が持っているシャンパンなど、恐らく一舐めでジ・エンドだろう。
「いや、ホントに酔わないって。知らないの?これワインじゃなくてシャン…」
「知ってるよ!それくらい…」
馬鹿にするな!シャンパンくらい知っとるわ!
「とりあえず一口一口」
彼はそう言って有無を言わさず2人分のグラスにそれを注ぐ。
「ええっ、ホントにー…?」
私がさらに止めようとすると、既に彼はグラスを持って乾杯の態勢に入っている。
「はいっ、メリークリスマース!」
彼は自分のグラスを私のグラスに重ね合わせる。
チンッ。
ガラスの触れ合う音。
「…メリークリスマス」
ええい、もうどうにでもなれ!
私は完全にヤケになった。
どうなっても知らない。全て哲治の責任だ。
ゴクン!
持っていたグラスを一気に飲み干す。
そして…、目の前が…
−2−
数十分後。
「きゃははははははっ!」
その部屋には酔い狂った女の高らかな笑いが響き渡っていた。
既にテーブルはひっくり返され、クリスマスケーキはまッ逆さま。
料理は全て床に散らばっていた。
「ふざけんらってーんだよぉ。哲治ぃぃぃ!」
女はさらに回り切っていない舌で妙な事を叫ぶと、今度は部屋中のふすまを突き破り始める。
その地獄の様な空間、部屋の隅に避難している人影が一つ。
「おかしいなぁ…」
ひっくり返されたテーブルを盾に、身を隠しているその男は哲治だった。
「何で酔っ払うんだろう…?」
哲治は酔っ払い女に気付かれない様に恐る恐る床に転がったビンを拾い上げる。
「これ『シャンメリー』なのに…」
『シャンメリー』…、お祝いの時などに登場する子供達にも大人気の飲み物。別名『ソフトシャンパン』とも呼ばれる。開けた時の「ポン」という爽快な音から、広く乾杯の時に使用され親しまれている。
そんなマメ知識はさておき、子供でも飲めるくらいなので無論アルコールなどこれっぽっちも入ってはいない。
となるとこの女、何故酔っているのだろう?
「こいつ…ホントに『酒乱』なのかなぁ…」
哲治は心配しながらも、怯えた目で荒れ狂う彼女の姿を見ている。
「何か変な病気なんじゃ…」
「うおい、哲治ぃ。何やってんら、そんなとこで〜?」
「やべっ、見つかった!?」
うっかり目を合わせてしまったばっかりに、彼女の視線が哲治の方に向けられた。
「こりゃ、こっちゃ来い!」
「ひいぃぃぃぃっ」
女は哲治の襟首を掴むと、片手で吊るし上げる。
そしてそのまま哲治をずるずると、地獄の空間へと引きずりこんで行った。
「ぎゃあああああああああ!!」
その晩、小さなアパートには一晩中男の悲鳴が響き続けていた…。
『酒乱』。
酒とはこれすなわち人が飲む物であり、人は酒に飲まれてはいけない。
ふとした事でもう一人の自分を目覚めさせるスイッチを押してしまう事になりかねない。
これは古来より人類に受け継がれる古の知識であり、教訓である。
楽しむべき人生には酒という心強い相棒がいるが、それは時に恐ろしい魔物にもなり得る。
人は決してそれを忘れてはならない…。
[終]