「幽体論」
著者:雨守



一1一
『原因は何だろう…。
確かに俺は最近寝不足だった。
一週間前新しいゲームを買ってからというもの妙にハマッてしまって,今週は毎日徹夜続きだった。
 しかも大学に行けば勉強はキツい。
 正直疲れていたのかも知れない。
 だが,だからといってこんな事になるのはおかしい。
 おかし過ぎる!!』


 裕一は口をあんぐりと開けたまま自分の下方に寝転がっている異物を眺めている。
 そこにあるのは何と,まさしく自分自身の体なのだ。
 しかしそれはピクリとも動こうとはしない。
 どうやら肉体だけでそれには魂が入っていない様だ。
 しかし,となると今ここにいる自分は何者なのだろう。
 
 
 裕一はふと考え込む。
 するとすぐにもっと根本的な事を見落としていたのに気がついた。
 どういうわけか今自分は,凄く高い位置から地面を見下ろしている。
 と,言うより…浮かんでるのだ。
『そうだ! 何かおかしいと思ったら俺宙に浮いているぞ』
 何故か今裕一は,煙のようにプカプカと自分の部屋の天井付近をさまよっていた。
『何でだ? 俺いつから飛べるようになったんだ?』
 裕一は深い疑問に捕らわれる。
 今の自分の姿と言ったらまるで人魂の様だ。
 ん…,人魂!?
『待てよ…』
 裕一はここで一つの結論に辿り着く。
 今自分のいる場所の真下には,抜け殻の様な自分の肉体が転がっている。
 そして今ここにいる自分は宙に浮いていて,まるで人魂の様な姿になっている。
 この二つを足し合わせて出てくる答えと言えば…

 まさか…これが噂で聞いた…

『…幽体離脱?』

 間違いない。
 これはまさしく最近雑誌で読んだ『私の幽体離脱体験』というやつとドンピシャリだ。
 とりあえず裕一は状況を把握することが出来たわけだ。
 そして…。
『で…,どうしよう…』

 状況がわかった所でとりあえずすべき事が思いつかないのに気がつく。
 
 とりあえずこの下でヨダレをたらして寝転がっている自分の体にでも戻ってみようか…。

 いや,それでは面白くない。

 『せっかく空を飛べるようになったんだから,普段出来ないような事をやってみようかな』
 そう企むと,裕一は口元に怪しげな笑みを浮かべる。

 善は急げと言わんばかりに裕一の魂は凄い勢いで肉体を離れ,飛び出して行った。
 そして換気扇に吸い込まれないように気を付けながら,窓の隙間に入り込み,外の世界へと旅立って行った。

一2一

 四月中旬。
 春の生暖かい風はゆっくりと吹きながら,桜の淡い花弁と共に気味の悪い人魂を運んでゆく。

 魂だけになった裕一は風に乗りながら,ゆっくりと家の近所を漂って行く。
『すげー,すげー.ホントに浮いてるよ』
 幽霊離脱とはいえ,空を飛べるようになった感動は大きい。
 近所の同級生の家,公園,コンビニ,図書館など近所の見慣れた建物の屋根を一望することが出来る。

 道を行く人間など,まるで御飯にかける「ふりかけ」の様に見える。

 なかなか快適な光景だ。

 ふと,自分の下方に見える道路の端を見慣れた顔が通って行くのが見えた。

『お,将人に浩士だ』
 大学の友人二人の姿があった。
裕一は気付くや否,低空飛行に入り二人の前に降り立ち手を振る。

「ん? 今なんか聞こえた?」
「いや,気のせいじゃない?」
 裕一が幾ら手を振って声を掛けても,二人は一向に裕一の存在に気がつかない。

『そっか。今俺人魂になってるから普通の人には見えないのかな』
 本当にそうなのかは定かではないが,もっともらしい理由が浮かんだので裕一は勝手に納得した。

 と,道を歩く二人の友人は裕一の存在に気がつかないまま,世間話を始める。
「そうそう,この前裕一のバカがさぁ」
 将人がふいに口にした名前に裕一はピクリと反応する。

『ん?俺の話題か?』

「四月一日にエイプリルフールだからってさ,『もうすぐ巨大な隕石が落ちてきて世界は終わるぞ』って裕一に言ってやったんだよ」
「ほうほう」
 将人の話に浩士は口をとがらせて聞き入っている。
「そしたらあいつ,信じてやんの」
「ええっ!? ホントに!?」
 将人の話のオチに浩士はオーバーなリアクションをとる。
 どうも驚き方がわざとらしいが,どうやら裕一の事をバカにしているのは確かなようだ。

『こいつら…』
 裕一は自分をバカにする二人の男を恨めしげに睨む。

『…ってかあの話嘘だったのか…』
 今更だがその事を悔やむ。
 実は,今の今まで信じ込んでいたのだ。

『こいつらどうしてくれよう…』
 何はともあれ,復讐あるのみ!
 裕一はどうやって復讐するか,その手段についてしばらくの間考え込んだ。

 そして数十秒が経過した頃,その結論は出た。
『…。魂だけじゃ何もできない』
 と,言うわけだ。

 裕一の魂はしぶしぶ負け犬の哀愁を漂わせながら二人に背を向ける。

『野郎ども。もとの体に戻ったら覚えてやがれ。二度とカバディが出来ない体にしてやるからな』
 声も高々に言い捨てる。

 しかし負け犬の遠吠えは二人には届かないまま,春の風に消えていった。




[終]