「幸せの灯」
著者:雨守



 十二月二十四日。

「ただいま〜」
 テルが勢いよくバタンとドアを開けた。
 アパートの一室の玄関にそびえ立っているそのドアは端の方がひび割れていて、心なしか少し黒ずんでいる頼りないドアだ。
「ほらぁ、そんなに思い切り閉めたらまたドア外れちゃうよ!」
 マキはまるで子供を叱る親のような口ぶりで、ドアを閉めたテルに言う。
 「また」と言う言葉の通り、確かにこのドアは一月程前に一度外れたのだ。
 もともとこのアパートに越してきた時からボロだったドアなのに、それをテルが今の様に思い切り開け閉めしたものだから、ドアは情けない音を立ててパタンと倒れた。
 その時はテルとマキがバイトで稼いだ貴重なお金をはたいて修理したが、そのせいで二人の貯金は底をついたのだ。
「ごめんごめん、それよりほら。買ってきたよ」
 テルは近所のスーパーの買い物袋を自慢げに抱えながら、マキの座っているワンルームの部屋に入っていく。
「ホント?どれどれー」
 マキは一足先に小さな丸いテーブルの片側に座って待っていた。
 いや、『テーブル』などと言う洒落た言い方は二人の性分には合わない。むしろ「ちゃぶ台」と言った方が正しいだろう。それも飛び切り小さいサイズの。
 アパートのワンルームの部屋にボロの玄関、小さなちゃぶ台が一つ。勿論、暖房やコタツなんて物は無い。そればかりかカーテンすら無い。
 この部屋は、まさしくこのカップルの貧乏ぶりをありのままに表現している部屋だった。
「じゃーん!クリスマスのチキンとケーキー♪」
 テルは買い物袋の中身を自慢げにちゃぶ台の上に広げた。
 チキンとケーキ…。確かにそれに違いは無い。
 スーパーのお惣菜コーナーに並ぶ特売の鶏のから揚げ、六個入り。それに小さなショートケーキが一つ。「一つ」と言っても丸いケーキを六分の一のサイズに切り分けた内の一切れだった。つまりこれをさらに二人で半分にして食べる、と言う意味なのだろう。
「うわーっ。すっごーい!」
 それを見て、マキは素直に満面の笑みで喜んだ。
 一般的な家庭のクリスマスと比較してみるとあまりに貧相なそれも、二人の目には豪華なご馳走の様に映っていたのだ。
「そっちは用意出来てる?」
「うん、もちろん」
 マキはあらかじめ台所に用意しておいた物をちゃぶ台の上に運んできた。
 二人分の白飯。ちなみに茶碗にはひびが入っている。
 そしてガラスのコップに注がれているのはシャンパン…、などではなくオレンジジュース。
「じゃあ乾杯しようか」
「うん」
「メリークリスマスッ!」
 二人の楽しそうな声と、ガラスのコップが触れ合う音が狭い部屋に響き渡る。
 そして、二人は鶏のから揚げと御飯をおいしそうに食べ始めた。
「マキ、見てろよ。来年こそはいい曲作ってドカーンと売り出してやるからな」
 御飯を口に運びながらテルは言う。
 実はテルはシンガーソングライターの卵なのだ。
 何とか小さなレコード会社に拾ってはもらえたものの、まだ曲はさっぱり売れていない。
 三年間活動してみて、今までで一番売れたCDでその売上はわずか52枚。
 ここまでくると、彼を見捨てずにいるレコード会社の寛大な精神に感服してしまう程の売れない歌手だった。
 勿論、それだけの稼ぎではとても食べてはいけないので、二人は各々バイトをしながら何とか食いつないでいる毎日だった。
「はいはい。期待してますよ」
 マキは言葉とは裏腹に全く期待していなさそうなる気の無い声で返した。
 しかし、その表情はどこか嬉しそうにも見える。
「ああっ、馬鹿にしてるな。俺はこう見えてもやる男なんだぞ。絶対に来年のクリスマスにはケーキを丸ごと…いや、もう一切れ買ってきてやるからな」
「はいはい」
 今度は完全に流された。
 こんな会話を初めてした時から、もう三年が経つ…。
 もちろんテルの根拠の無い目標は今だ実現してはいない。
 それでもマキはテルを見守っている。
 あての無い夢を追い続けているテルに、ここまでただ黙ってついてきたのだ。
「じゃあ、御飯が終わったらケーキ食べようか」
 すきま風のふく小さな部屋には、遅くまで笑い声が絶えなかった。
 
 『幸せ』には、おそらく形も大きさも無い。人それぞれで違うのだろう。
 でも、テルとマキは確かに持っていた。二人にしか見えない『小さな灯を』…。
 どんなに貧しくても、この夜は二人にとって最高に楽しいクリスマスイブ。
 二人で過ごす幸せな時間、いつまでも笑顔が絶えぬまま、聖なる夜は明けていった…。
「あれ、テル。このショートケーキイチゴ乗ってないよ?」
 小さなケーキをさらに二つに切り分けようと、包丁を片手に持ったマキが言う。
「あ、それね。イチゴ要らないから安くしてって言ったらおじさんが256円のところを230円に負けてくれたんだ」




[終]