『一人暮らし』
著者:雨守




Yは友人に紹介された駅前の不動産屋の前に着いた。
来月から一人暮らしをする決意をしたものの、Yには人並みの貯金が無い。
しかし、友人のIの紹介によれば、この不動産にはとにかく安い物件が多いらしいのだ。

そこでせめて相談だけでもと、とにかく足を運んでみた。

ガラガラ。

ガラスの古い戸が音を立てて開かれる。

「ごめんください」

「いらっしゃいませ」

店内に入ったYを、スーツ姿の店員の脂っこい笑顔が出迎える。

「本日はどの様なご用件でしょうか?」
「来月に引越しを考えておりまして、安い賃貸を探しているんです」
「かしこまりました。ではこちらにどうぞ」

不動産屋の店員の案内で、Yはカウンター越しの少しひん曲がった椅子に座る。

「ではお探しのお部屋の条件の方をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「男の一人暮らしなので部屋は狭くても構いません」
Yはポケットからメモ帳を取り出し、メモってきた条件を読み上げる。
「通勤に便利な様に、駅からはなるべく近い方が良いです。あと、料理が苦手なので近くにコンビニかスーパーがあればと。間取りについては特にこだわりはありませんね」
「家賃はどのくらいでお考えでしょう。」
「えと…出来れば4万円以下…。安ければ安いほど嬉しいです…ね」
「かしこまりました。少々お待ちください」
Yは内心ドキドキしていた。
駅前でこの条件を揃え家賃4万円の部屋など夢の様な話の筈だが、駄目もとで言ってみたのだ。
しかし店員はさほど驚く様子も無く、いくつかの物件のチラシを持って戻って来た。

やはりIの言っていたことは本当だった!

Yの胸中は期待で満たされていた。


「こちら、当店のお勧め物件になります」
店員が一枚のチラシをカウンターの上に広げた。
「駅から徒歩8分。近くにコンビニ有りで、築11年。これで家賃はなんと32000円です」
「えっ!」
Yは思わず声を上げてしまった。

これは想像以上に安い!

夢の様な物件だ。

「それ、すごいですね」
「でしょう?」

これは詳しい話を聞かなくては、と、Yは少し身を乗り出す。

「ちなみに間取りは?」
「はい、…Kになります」

「…はい?」
 聞き間違いか、と思った。
「すいません、最初の方が聞こえなかったんですが、何Kですか?」
「はい。Kになります」
聞き間違いでは無いらしい。
「K、というと…?」
「風呂なし、トイレなし、部屋なし、キッチンあり、です」
店員は平然と答える。
「…それ、どうやって住むんですか?」
「まぁ工夫しだいですね」
店員は平然と答える。
「…他、ありませんか?」
「はい、たくさんございます」


「これなんかどうでしょう?」
すると、店員はまた別のチラシを広げる。
「まどりは1K。駅からは徒歩10分。周りにコンビにもスーパーもあります。家賃はたったの29000円です」
「安い!」
Yは今度こそ、と期待した。
「それ何階のお部屋ですか?」
「はい、ええと…1階の様な、2階の様な…」
「は?」
これはまた、なんだか話が怪しくなってきた。
「あの、それって何階建てのアパートですか?」
「いえ、アパートではないです。」
「え?じゃあマンション?」
「いえ、マンションでもないです。」
どうも話が要領を得ない。
「その値段で一戸建て…、ってわけはないですよね…」
「まぁ一応は一戸建てです」
「あの、一体どんな造りの家ですか?」
「はい。昔に一時期流行しました、『高床式倉庫』造りになります」
「…」
「あ、家具も多少はセットで付きますよ」
「例えばワラの絨毯…」
「…」
「あと、食器も付きます。石で出来ていますが…」
「…」
「それに電気代もかからな…」
「他をお願いします」
Yは一瞬迷ったが、「築年数は何年?」とは怖くて聞けなかった。


「こちら、当店の一番のお勧め物件となります」
「…」
もはやあまり期待感は無くなっていたが、Yは一応差し出されたチラシを見る。
「ん?」
すると、Yの目は見る見るうちに大きく見開かれていく。
「これ…、すごい物件ですね!」
「でしょう?」
店員は自慢げに言う。
「駅から徒歩7分。築10年。間取りは2DK。風呂、トイレ付き。近くにコンビニもあり」
「これで…家賃15000円!?」
Yの目の前に置かれたのは信じられないほど好条件の物件だった。
「これ本当にすごい!」
「でしょう?」
「今度は『高床式倉庫』、とかじゃないですよね?」
「もちろん。マンションの1階になります」
「すごい!」
Yの気持ちはがっちりと掴まれていた。

「あの、この部屋見に行けますか?」
「はい、今すぐにでも」
店員の笑顔はテカテカと輝く。
「住所を見た感じだと…この近くですね?」
「はい、と言うよりも『ここ』です」

「…え?」

Yは固まる。

「あの…、『ここ』って?」
「はい、『この店』です」
店員は平然と答える。
「この店…」
「家賃の15000円ですが、基本的に給料から引き落としとなります」
「…」
「当店はシフト制ですが、週4からよろしいでしょうか?」
「…」
「あ、何でしたら、『賄い』も付けますよ?」
「…」
「あ、それとですね、明日から私の事は『店長』と呼んで…」
「帰ります」

Yは一言告げると、すぐに店を出た。



やはり、安すぎる物件は駄目だ。





 

[終]