「サマーナルシスト」
著者:雨守



8月3日。時刻は午前4時。
 夜が明けたばかりで辺りはまだ少し薄暗いと言うのに、気温は既に29度に達している。
 今年の猛暑はかなりひどく、しかも今日は午後にはこの夏一番の暑さになると言う。
 湿気も多くいかにも日本の夏という空気だ。
 
そんな蒸し暑い夏の明け方、街は静まり返っていた。
街中の大通りの真ん中、なんと路上に一人の男が倒れている…。


-1-
「…ん」 
 ここは…街中…。
 ふぅ…、頭が痛い。昨日はちょっと飲みすぎた様だ…。
 
 私の名前はピエール梅吉。
 父は気高い英国紳士、実業家だ。
母は日本の黒髪美人、六本木でブティックを経営している。
 そのハーフである私は日本と英国の血を混ぜた、極めて美しい顔立ちをしている。
 見よ、この高い鼻、彫りの深い目、美しく長いブラウンの髪。
 この私の顔の美しさの前には、「芸術」という以外の言葉は役不足だろう。

 昨日は日本の友人達と、美女を集めて社交会を開いた。
 友人達いわく、日本では「合コン」と呼ばれる伝統行事らしい。

「そうだ…思い出した」
 日本の伝統行事「合コン」には古いシキタリがあり、初めてその宴に参加するものは、「一気飲み」と言ってビールの大ジョッキをリズムに合わせて腰を振りながら飲み干さなければいけないと言う…。
 私はそれをさせられて、思わずカクテルバー(居酒屋)で倒れて眠ってしまったのだ。
 全く、日本は下品な国だ。
 日本の伝統芸には品がなくて困る。理解に苦しむよ…。
 
「しかし…私は何故こんな所に…」
 意識を失ったのは、この近くの行き付けのカクテルバー(チェーン店の居酒屋)のはずだ…。
 何故私はこんな所に…。ミステリアスだ。
 まぁ、おそらく心優しい日本の友人達が、私をここに寝かせてくれたのだろう。
 これも一重に私の人徳と言ったところか。
いや、人気者はこれだからツライ。
 しかし友人達よ…、出来ればベッドと枕も付けてくれ。
 私の美しい顔に埃が付いたりしたら一大事だ…。

「さて、十分に朝日も浴びたしそろそろマイホームに帰るとしよう…」
 ここから私の家まではそう遠くない。
 迎えのリムジンを呼んでも良いのだが、朝日を浴びながら歩いて帰ってみよう。
 腹をすかせる事で、朝のカフェとクロワッサンが一層デリシャスに感じられるはずだ。 

 そして私はオレンジの朝日にニヒルな横顔を照らされながら朝の町を歩き出した。

「ふぅ…。この国の夏はジメジメしてて嫌だ…」
 肌に当たる陽がじりじりとする。この感覚が何とも不快だ。
 早くマイホームに帰ろう。
 朝帰りになったからパパもママもじいやも心配しているに違いない。

「ん?」
 ふと、前方からスウェットスーツを着込んだ中年男性が走ってくる。
 どうやら朝のマラソンの様だ。
 ふむ、精が出るな。

『うわあっ!?』
 ドタバタ!!

「ん?なんだ?」 
 マラソンの男がふと私の方に気付くと、悲鳴を上げて走り去って行った。
 何事だ?私がどうかしたか…?
 …。
 そうか!
 私の顔があまりに美しすぎて、自分の存在が恥ずかしくなったか。
 それは仕方がないがもっともな事だ。
 全くこの美しさはそれだけで罪になるから恐ろしい…。


「ん?」
 今度は前方から二人組みの女子高生が歩いてくる。
 こんな明け方に女子高生が歩いているという事は、夜遊びをして朝帰りになったという事か。
 全く、ジャパニーズティーンネイジャーの教育はどうなっているんだ。
 日本の将来が思いやられるな。

『…!?きゃああああっ!!』
『いやああああああ!!』 
 ドタバタ!! 

「ん?」
 その女子高生達も私の顔を見ると、黄色い声を上げて凄い形相で走って行った。
 そうかそうか、そんなに私がかっこいいか。
 可愛いレディー達だ。
 恥ずかしがらずに私と向き合える年頃になったら、私が大人の恋愛を教えてあげよう。

 
ふと気が付くと、今度は前方から老婆がゆっくりと歩いてきた。
 腰の曲り具合、しわのより方から見て、80歳くらいといったところか。 
あのシルバーのヘアーを見ていると、故郷のグランドマザーを思い出す。

『…。おや、お兄さん。格好が良いねぇ…。男らしいこと…』

 老婆は私の体を舐める様に見るとそう言う。
 ばあさん。
 …。
 わかってるじゃねえか。
 この溢れんばかりの魅力。
 どうやら老人にもわかるらしい。


-2-
 やがて、商店街に差し掛かった。
 この商店街を抜ければマイホームは目と鼻の先だ。
 ふいに一瞬だけ涼しい風が肩を通り抜けた。
 じつに良い気持ちだ…。

「ん?何か音が聞こえるな…」

 ウーウー!!
 ウーウー!!

「これは…パトカー?」
 どうやら、パトカーのベルの音の様だ。
 かなり大きく聴こえるので、ここから近くを走っているらしい。
「こんな時間から、日本のポリスは大変だな…」
 日本は実に物騒な国だ。

 
 やがて、商店街ももうすぐ終わりに差し掛かる。
 私は十字路の角の洋服屋のショウウィンドウの前を通りかかった。
「おお…」
 ふと横を見ると、朝日に照らされて私の美しい顔が鏡の様なショウウィンドウに映っているではないか。
「…いや、思わず見とれてしまうな…」
 私は思わず自分の美に酔いしれ、足を止めてしまった。
 私の美しい…
「ん?」

 …!?

「こ、これは…!?」

滅多な事では動じない私も思わず驚愕した!

ショウウィンドウに写された、美しい私の姿。
 
しかしそこに写された私は洋服はおろか、下着さえも身につけていなかった!
 上から下まで、生まれたままの姿だ。
 私の美しい肉体美が惜しげもなくさらされていたのだ。

「なぜだ…。なぜこんな事に…」
 まさか…。
 昨日行きつけのカクテルバー(チェーン店の居酒屋)で酔いつぶれている間に、日本の友人達に服をひっぺがされたのでは…。
 …。
 まったく、日本人は下品で程度が低い。
 いくら私の美しさが妬ましかったとは言え、もう少し常識をわきまえてほしいものだ。

ウーウー!
ウーウー!

「…ん?」
 ふと、パトカーのベルがさっきより近付いて聞こえた。
 事件が起きたのはよほどこの近くなのか…?

 …

 …

 …

 まさか…

「さっきすれ違った女子高生達か…」 
 私は嫌な事に気付いてしまった。

「…早く家に帰ろう…」
 パトカーの赤い光は目に良くない。
 偶然に遭遇してしまう前に、急いでマイホームに帰ろう。
 逃げるわけじゃないぞ。
 
「へっくしょん!」
 私は両手で前を隠しながら、明け方の街を歩いている。
 私を探している音は徐々に大きくなって聞こえる。
 いや、これだから人気者はツラい…。




[終]