「サンライズ」
著者:雨守



−1−

 カラン。
 古びた木製の扉が開くと、上の方に付いていた鈴が高い音を鳴らす。
 雄一が扉を開いた瞬間、店内からはいつもと同じ様に香ばしい珈琲の香りと馴染み深い声が迎えてくれる。
「いらっしゃいませー」
 カウンター越しに雄一を迎えたのは店の制服を着た三十代後半にさしかかろうというマスターだった。
 店の制服は白と黒、スーツにも近い様な固いイメージのそれだが、胸元の小さな蝶ネクタイが少々の遊び心を醸し出している。
 もっとも制服とは言っても、マスターが一人で切り盛りしている程度の小さな喫茶店なので、それを着るのはマスターだけという事になる。
 マスターは黒髪のさっぱりとした髪型で歳の割には少し若く見える。そして、シブくもあるがさわやかなその笑顔がいかにも主婦のハートを掴みそうで、とても理想的な歳のとり方をしているイメージのある男だった。
 雄一は店内に入ると、カウンター越しのど真ん中、いつもの席に座る。
 店内は少し古びた感じもするが、最近ではそんなアンティークな雰囲気がかえってオシャレだという人も多く、若い客層も増えてきている。
 しかし、この時はたまたま店内には雄一以外の客は一人もいなかった。
「何にする?」
 マスターは目の前に座った雄一に親しげに聞く。
「いつもの」
「はいよ」
 雄一は少し不機嫌な声で注文を頼むが、マスターは気にもせずに注文の物を作りにかかる。
 雄一は毎日の様にこの店に来ているので今となっては「いつもの」と言うだけで、注文が通じてしまうほどの常連客になっていた。
 マスターが客である雄一に営業用の敬語を使わないのもそのせいだ。二人は毎日の様にこの場所で会話を交わしているので、今では歳の離れた友人の様な関係が築かれているのだ。
「今日も寒いなー」
 手馴れた手付きで注文の品を作りながら、マスターは何気なくカウンター越しの雄一に声をかける。
「ああ…」
 雄一は気の抜けた様な返事を一つ。ちゃんと話を聞いているのかどうかもわからない様な顔でボーっとしていた。
 どうも今日の雄一は店に入ってきた瞬間から何か様子がいつもと違っていた。
 機嫌が悪いと言うか元気が無いと言うか…。
 しかし、そんな事はマスターはとっくに気付いていたのだ。
 そればかりか、雄一の事を下手な友人などよりもよっぽどよく知っているマスターには、雄一の様子がいつもと違っているその理由にも大方察しが付いていた。
「はい、『サンライズ』お待ち」
 マスターはカウンターの向こうから雄一の目の前に、注文の『サンライズ』を差し出した。
   透明の長い円筒型のグラスに、透き通るオレンジ色の紅茶が注がれていて、トッピングに皮付きのオレンジの果肉が添えられている。その色合いとゆらゆらと漂う涼しげな氷がとても爽やかに見える。
 『サンライズ』と言う名のこのメニューは、簡単に言えばマスターの特性のオレンジティーだ。
 奥行きのある香りとすっきりした酸味、そして見た目の通りの爽やかな後味が評判な、この喫茶の人気メニュー。
 『サンライズ』という名前はこの美しいオレンジが、まるで燃える様な『日の出』を想像させる、というところに掛けて付けられた名前なのだ。
 雄一はこの店に来た時には、必ずこの『サンライズ』を注文する。今日の様な寒い冬の日でも注文する程この『サンライズ』を気に入っている。
 つまり、雄一の言う「いつもの」というのはこれの事だったのだ。
 雄一は目の前に出されるなり『サンライズ』のグラスを右手で掴み、思い切って豪快に口に流し込んだ。
「…ふぅ」
 そして、まるで居酒屋で酒を飲む酔っ払いの様なため息を一つ吐く。
「何だ、随分機嫌が悪そうじゃない?」
 マスターはにやにやと意味深な笑みを見せながら、雄一に言う。
「別に」
 雄一は無愛想に返事を返すと、わざとらしくマスターから目をそらした。
 いくら雄一が表情に出やすい性格だと言っても、ここまでわかりやすい反応をされるとマスターでなくても何かあったんだ、という事を感じ取れるだろう。
「その顔は加奈ちゃんと喧嘩でもしたんだろ?」
 マスターはタイミングを図っていたかの様に雄一に言うと、雄一は一瞬ピクリと眉を揺らす。
「ち、違う!」
 雄一はあからさまに焦った顔で否定する。心なしか、頬を少し赤らめている様にも見える。
 言葉では否定していても、その反応では「はい、そうです」と答えている様なものだ。
 ちなみにマスターが口にした、『加奈』という名前はいつも雄一と一緒にこの喫茶店に来る少女の名前である。
 つまりマスターにも言わずと知れた雄一の「恋人」だ。
 雄一は普段この店に来る時は一人ではなく、必ずと言って良いほど加奈と二人で来る。
 そして注文する物は、いつも二人とも同じ『サンライズ』なのだ。
 それなのに、今日は雄一は一人で店に来た。しかも不機嫌そうな顔で。となると、答えは一つ…。
 マスターはその辺の諸事情も含めて、雄一が加奈と喧嘩をした、と推測したのだった。
「ふうん、図星ね」
 マスターが「してやったり」という笑みを浮かべて雄一の顔を直視すると、雄一は自分の焦りをごまかすためにわざと思いっきり『サンライズ』のグラスを口に押し付けた。
「喧嘩じゃねぇよ」
 雄一は『サンライズ』を再び思い切り口に流すと、手に持ったグラスを勢いよくカウンターテーブルの上に置く。
「加奈のやつが…、浮気してやがったんだよ」
 雄一は少し沈んだ様な、気の抜けた様な声でそう言う。
「浮気?」
 この発言には、さすがのマスターも真顔になる。
   雄一と加奈の痴話喧嘩は日常茶飯事の事で、全くもって珍しいものではない。だからこそマスターもからかい口調の軽いノリで雄一に話を吹っ掛けたのだ。
 しかし加奈が浮気していた、などという答えが返ってくるとは少しも予想もしていなかったので、正直面を食らった様な表情になってしまった。
「浮気って…加奈ちゃんに限ってそんな事はないだろ?」
 マスターはあまり状況は掴めていないがとりあえずそう言った。
   加奈という少女は少し気の強い所はあるが芯がしっかりしていて、とても浮気をする様な子じゃない。
 それにもしかしたら慌て者の雄一の事だから、何かを勘違いして言っているのかも知れない、そんな事も考えた上での言葉だった。
「俺見たんだよ! 加奈が男と歩いてるのを」
 マスターの言葉に対して、雄一は少し興奮気味に言い返す。
 どうやらその「浮気」とやらの現場は、雄一がその目で確認したものらしく、よほど強い確信があるようだ。
「男と…?」
 意外にも生々しく、リアリティーのある話だった事にさらに驚き、マスターは興味を示す。
「さっき二丁目のデパートの傍を通った時さ、加奈の姿を見かけたんだ。そしたらちょっと体格の良い、スポーツマンっぽい男と仲良さげに歩いてやがったんだよ」
 雄一はマスターに向けて力説する。
 話しながらその時の光景を思い出してしまったらしく、次第に興奮を抑えられなくなってきている。
「体格の良いスポーツマンっぽい男ねぇ…」
 マスターは雄一に話を聞きながら何かを考えている。
「ああ、茶色のロングコートに黒いズボン。茶髪で長めの髪を後で束ねてた…」
 雄一は思い出せる限りのその男の特徴を話す。
 普段間の抜けている雄一が、少しの間見ただけでその男の特徴をそれなりに詳しく記憶している所を見ると、その光景を見た時のショックがよほど大きく、それが目に焼きついてしまった様だ。
「ん?…長い髪?…」
 ふとマスターの表情が一瞬変わった。どうやら、雄一の話の中の「長い髪」という言葉に反応した様だ。
「え?マスター、何か心当たりでもあるの!?」
 雄一はマスターの表情の変化を見落とさなかった。そして、さらに興奮した様子でその点に食いつく。
 その様子から見ても、雄一はよほど加奈とその男との事が気になっている様だ。
「…いや。最近はそういう髪型がもてるのかなって。俺も伸ばしてみようかな…」
 マスターは真顔で答える。
 が、言うまでも無く、真面目なのは顔だけだった。
 こう言うのを「場違いの冗談」と言うのだろう。
「…。ったく、くそオヤジ。人の話真面目に聞いてんのかよ」
 当然のごとく、雄一はさらに不機嫌な顔で言い放つ。
「冗談だって。悪い悪い」
 マスターは完全にしらけてる雄一に対して舌を出して笑って見せた。
 このマスターは、シブくて真面目そうな見た目の割に、どうも普通の人間と少し感覚がずれている所がある。
 いわゆる、「空気の読めない男」というやつだ。
「はぁ…、加奈のやつ何で浮気なんかするんだよ…」
 雄一は突然勢いが失せてしまい、ぐったりとカウンターテーブルに伏せた。
 もともと大きなショックに打ちのめされて沈みきっていた心に、たった今マスターが真面目に話を聞いてくれなかった事がとどめになった様だ。
 しかしそんなぼろぼろの雄一の様子をカウンター越しに見下ろして、マスターは悪い事をしたとか、かわいそうだ、などと言う顔をするどころか口元に笑みを浮かべ始めた。
「さあてね。その理由は本人に聞いてみたら?」
「え?」
 マスターは雄一に対して意味深な発言をする。
 すると、次の瞬間。
 
 カラン。
 
 突然、二人の会話を割る様にして店の唯一の出入り口である古びた木製の扉が鈴の音を鳴らした。
「いらっしゃいませー」
 鈴の音に反応して、マスターは雄一との会話を中断して元気の良い営業用の声でドアを開けた人物を迎える。
 雄一の来店以来、初めての客の様だ。
 ただし、マスターは一応営業用の態度で迎え入れはしたが、そこに立っていたのはマスターの『予想通りの人物』だった。
「…加奈!?」
 雄一はふいに店に入ってきた客の顔を見るなり、一気に顔色を変える。
 そこに立っていたのは、今まさにマスターとの話の中で中心となっていた少女、雄一の恋人、加奈だったのだ。
「いらっしゃい、加奈ちゃん。そろそろ来る頃だと思ってたよ」
 雄一とは対称的にマスターは少しも驚いてなく、むしろ予想通りの人物の登場に少し嬉しそうな顔をして、加奈に声を掛ける。
 ドアを開けた加奈は、つい今さっきまで雄一が自分の話をしていた事など全く知らずに、いつも通りの笑顔で店に入り、カウンター越しのど真ん中、雄一の座っていた席の隣に腰掛けた。


―2―

「加奈ちゃんも『サンライズ』で良いかな?」
「うん」
 マスターの優しい問いかけに対し、加奈も笑顔で答える。
 ただ、その二人のやりとりの隣で一人怪訝そうな顔をしている男がいた。
「何だ、雄一も来てたんだ」
 注文を終えると加奈は雄一の方に視線を向け、何気ない口調で話し始める。
「…ふん。お前こそ、よく俺の前に姿を現せたな」
 雄一は全く加奈の方を見ないで、あからさまに不機嫌な様子をアピールしながら言う。
 本当は先手からもっときつい言葉で加奈を追い詰めようと思っていたのだが、雄一なりに必死に自分を抑制し選んだ言葉がこれだったのだ。
「え、何が?」
 加奈は雄一の意外な反応にキョトンとしている。
 たった今店に来たばかりの加奈にしてみれば、今日雄一が今日何を見たかとか、さっきまで雄一とマスターが何の話をしていたか、などという事を全く知らないので当然の事だ。
「とぼけんなよ!」
 加奈の一言に雄一は一瞬湧き上がってきた感情が抑えられず、思わず大声を上げる。
「まあまあ。雄一、落ち着けよ」
 カウンター越しに加奈の注文分の『サンライズ』を作りながら二人の様子を眺めていたマスターは、特に慌てる様子も無く、軽い口調で雄一を抑制する。
 そのマスターの言葉にとりあえず平静を取り戻し、雄一もなるべく抑えた口調で話を続ける。
「…さっき二丁目のデパートの傍で見たんだよ、お前が男と歩いているのをさ…」
 雄一は深刻な顔色でその事を加奈に話す。
 ところが、その話を聞いた加奈の表情はどうもパッとしない。
「私が…男の子と?」
 加奈の様子は全く変わらずキョトンとしている。
 どうやら雄一が何の話をしているのかすら、まるでわかっていない様だ。
 そして数秒間の間、加奈は腕を組んだまま懸命に雄一の話した事について思い出そうとする。しかし、
「うーん…。全く覚えがないんだけど…、何の話?」
 という結論に至った様だ。
 それも、かなり深刻な表情の雄一とは対称的に加奈は極めて普段どおりの口調で話している。
 その事が、余計に雄一の怒りを掻き立てたらしく…
「まだシラ切んのかよ! もうバレてんだよ。お前が髪の長い体格の良い男と浮気してる事がな!」
 雄一の我慢は限界に達し、ついに言わんとしていた事をストレートに加奈にぶつける。
 正直なところ雄一は、加奈が自分から話してくれれば…と考えていたのだが、加奈のあまりに平然とした態度がどうしても許せなかったらしい。
「髪の長い体格の良い男?」
 ふと、加奈は雄一のその言葉を聞いて表情を変える。
「二丁目のデパートの傍…」
 加奈は急に何かを考え込む様にして、じっと黙り込んだ。
 どうやら雄一の話した言葉が、加奈の記憶の中の何かにひっかかり始めた様だ。
「ほら見ろよ。やっぱり思い当たるとこがあんじゃねぇか」
 雄一は黙り込んだ加奈の顔をじっと睨みつける。
「…」
 それにたいして加奈は黙り込んだまま腕を組み、身動きすらとろうとしない。
 そしてこの瞬間雄一は、「ここだ」と思い、一気に勝負を決めようと怒涛の攻撃に出た。
「いい加減言えよ。その男はどこの誰だ? どういう関係だ? そいつと浮気してたんだろ?」
「…」
 雄一の必死の言葉の嵐に対し、加奈はとうとう黙り込んだままうつむいてしまった。
 雄一の馬鹿みたいな音量の怒鳴り声を至近距離で聞かされている、それだけで精神的にはかなりのダメージになっているはずだ。
 しかしその様子を見ても尚、雄一は「情け無用」と言わんばかりに攻める事をやめなかった。
「おい加奈! 何とか言えよ! 浮気してるんだろ?」
   すでに雄一は誰にも止めることの出来ないくらい頭に血が上っていた。
 そしてそんな雄一の嵐のような発言に、ずっとうつむき黙り込んでいた加奈は、ようやくその重たい首を持ち上げ雄一の顔を見る。
「それって…」
 そして加奈はそっと口を開く。
「弟の隆紀の事?」
「…!?」
   加奈の口から衝撃的な一言が飛び出した。

「…え?」
 雄一はその瞬間、今日一番の驚愕の表情になり、そしてそのまま固まってしまった。
 そして…

「…」
「…」

 数秒間その場には気まずい沈黙の時間が流れ続け、その間雄一はずっと固まったままだった。

「…弟?」
「うん」

「…弟いたの?」
「うん」

 雄一は完全に魂の抜けた様な状態になり、表情を作れずにいる。
 加奈はというとやはりキョトンとした顔で、雄一の質問に淡白に頷いているだけだった。
「さっき弟の隆紀と駅前でばったり会って一緒に帰ってきたんだけど、その帰りにもしかしたらデパートの傍を通ったのかも…」
 加奈は表情を変えないまま、淡々と話す。
「あ…じゃあ、俺が見たのって…」
 その事実を耳にすると、雄一の顔色がみるみると青ざめていく。
 もし加奈がその時にデパートの傍を通っていたとすれば、雄一の見たものともぴったり一致する。
 雄一の心の中の焦りは秒を追うごとに膨らんいき、雄一の顔からは嫌な汗が流れ始めた。
「…ぷっ」
 その二人のやりとりを、ずっと横で見ていたマスターはついに堪え切れずに吹き出す。
「くく…あ〜っはっはっはっはっは!」
 さらに一度吹き出してしまったのが引き金となったらしく、マスターは突然ネジの外れた人形の様に笑い始めた。
 この瞬間のマスターの様子はまるで、ずいぶん前から腹の奥で堪えていた笑いがついに爆発してしまったかの様だった。
「マ、マスター…?」
 突然爆発的に笑い出したマスターの様子に驚き、雄一と加奈は思わず一斉にマスターを見た。
 しかし数秒ほどこのマスターの様子を見ている内に、雄一はある事にハッと気が付く。
「マ、マスター…もしかして…」
 今度は見る見る内に雄一の頬が赤くなっていく。
「し、知ってたの…? 加奈の弟の事…」
 雄一は込み上げる恥ずかしさに押しつぶされそうになってきた。
「ああ、まあね。前に一度加奈ちゃんがその弟を連れて二人で店に来た事があってその時にね。雄一に「長い髪の男」て聞いた時ぴーんときたんだ」
 マスターは雄一の恥ずかしそうな顔を見下ろしてにやりと笑う。御自慢の「してやったり」の顔だ。
 つまりこのマスターはただ一人初めから全部状況がわかっていた上で、勘違いしてブチ切れている雄一の様子を見て楽しんでいたというわけだ。
「そ…そんなぁ…」
 雄一は一気に力を失い、カウンターテーブルの上に倒れ込んだ。
 さっきまでの威勢の良さは既にその影すらも無く、雄一の精神状態は一気にどん底まで落ちたらしい。
「ふぅ〜ん。そういうことか」
 マスターと雄一のやりとりを間で見ていた加奈も、ようやく全ての事情が把握できたらしく笑みを浮かべる。
「まぁ何はともあれ雄一は私の事疑ってたわけよね」
 加奈は不吉な笑みを浮かべたまま、雄一の方をじっと見つめる。
「あ…それは…その…。だから、マスターが…」
 雄一は加奈の言葉にびくっと顔をあげると、頬を真っ赤にしたまま両手をばたばたさせる。
 必死に弁解しようと試みてはいるのだが、もはや精神状態がそれどころではない様だ。
「ひどーい」
 加奈はいかにもわざとらしく、冷めた目で雄一を見下す。
 が、その口元が微かに笑っているところなどを見ると、雄一をからかって楽しんでいる事が一目瞭然である。
「え…あ…う…」
 からかわれているとはわかっていながらも、すっかり焦っている雄一は言葉を返す事が出来ない。
 ついさっきまで強気な言葉を加奈にぶつけていた雄一が、既に完全に加奈に弄ばれている。
 まさに文字通り形成逆転である。
「マスター、『サンライズ』おかわり。あとショートケーキ1つ。雄一のおごりでね」
 加奈は突然マスターの方に向き直ると、満面の笑みで言う。
「はいよ」
 マスターは半ば笑いをこらえながら加奈の注文を承ると、ふと雄一の方に視線をやる。
 その視線の先、雄一は…
「ええーっ!?うそぉ!」
 まるでこの世の終わりの時が来たかの様な絶望に満ちた顔で叫び声を上げ、加奈の顔を見ていた。
 精神的なダメージの次は金銭的なダメージ…、この連続攻撃が雄一の心にあまりにも大きな深手を負わせた様だ。
「おごってくれるよね? も・ち・ろ・ん」
 加奈は既に灰と化した雄一に対し可愛らしくウインクを一つ投げつけ、微笑んで見せる。
 まさに、「勝利の微笑」とはこれの事である。
「…もう死にたい…」
 雄一はがっくりと肩を落とした。
 恥ずかしさと、くやしさ、さらに予想外の出費…。
 身に振りかかったたくさんの魔物に魂を持っていかれ、抜け殻と化した雄一が後に残されただけだった。

 そして…


「はい、『サンライズ』お待ち」
「ありがとう」
 加奈はマスターから『サンライズ』のグラスを受け取った。
もちろん雄一のおごりの。

 こうして、とある町の喫茶店で起きた騒動は解決された。
 一杯の『サンライズ』と共に…。




[終]