「ふにゃふにゃしいメッセ」
著者:ゴシ



―1―

「ナゾナゾをしよう」
赤い帽子のコビトが語りかけている。
「じゃあいくよ、現実にあって現実にないものは?」
返事をする間もなく難題が出された。
一面の白い世界にコビトだけがいる。
いると言う表現が合っているのだろうか。
映っていると言ったほうが良いのかもしれない。
辺りを見渡そうとしても、コビトから目が離せない。
いや、目が離せないといっても目で見ているのだろうか…まるで固定カメラの映像を見ているようだ。
呼吸をしている音さえ聞こえない世界が広がっている、いや映っている。
それとも息を殺しているだけだろうか。
普段の殺伐としたピストルの音や携帯電話の着メロ、車が通る音はそこにはない。
あるのは赤い三角帽子のコビトだけだ。
「ねえ、わかった?」
「……ゆめ」
誰の声かも分からない。もしかしたら自分の声なのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
かすれ気味の男の声が耳に残った。
自分とコビト以外に誰かいるのだろうか?
コビトの視線はずっとこっちを覗いている。
すると、コビトはちいさな腕を胸の前で交差させ口を開いた。
「ブー、夢は現実にはないでしょ。人間の頭の中にだけあるんだよ。夢をみせてと言われてもムリでしょ」
なんでこいつとナゾナゾなんてしているんだ?
そんなことはどうでもいい。
オレはいったい誰なんだ。こいつはいったい誰なんだ。
わからないという恐怖が自分を襲う。
「……うーん、難しすぎるかな。じゃあ、ヒントね」
×印の両腕をほどき、腕組をした。
コビトと話をしたくてもできない。なにも状況が分からない。
ただ分かっているのは、ナゾナゾを出されていることだけだ。
「ヒントは…ブラックボックス、黒い箱だよ」
あまりにも大声でコビトが言ったので、ハッっとさせられた。
ひんやりしたものが背中を流れているような気がする。
「じゃあ、あと3分ね」
さっきまで笑顔で話しかけていたコビトが、おとなしいトーンで言った。
どうしよう。なんでコビトのテンションが下がったのか分からない。
自分はいまどんな表情をしているのだろうか。何かまずい表情でもしたのだろうか。
状況がつかめていないが、とりあえずナゾナゾを考えてみることにした。
「ブラックボックス」といえば飛行機についている航空データの入れ物だが、これは明らかに違うだろう。
黒い箱……黒とはどんな色だったか。
焦りからまったく思い浮かばない。
そうだ!影の色だ!
影を探そうと、コビトに目を向ける。
白い世界のどこにも影がない…。
その間にも、コビトがジッとこちらを見ている。
「もうそろそろ分かった?あと30秒だよ」
コビトがそう言って急かす。
時計がないので時間がわからないが、もうそんなに時間が経ってしまったようだ。
考えれば考えるほど分からなくなってゆく。
そして、コビトの口が開く。
「時間だよ。もう、ダメだなぁ」
自分にはさも簡単な問題であったかのように話してゆく。
この後自分にいったいどんな処罰が待ち受けているのだろう。そう空想をめぐらすと、生きた心地がしなかった。
「正解はネット世界だよ」
「……ネットかぁ、思いつかなかったよ」
さっきの男の声と似た声が残念そうに言っている。
「もうダメだな。さっきのヒントはパソコンだよ。電源が入っていれば、ネット世界へと旅行することが出来るけど、パソコンの電源を切ってしまうと、つまりはブラックボックスの時は現実の世界から切り離され別次元の空間へと追いやられてしまうのさ」
鼻高々にコビトは語り始める。
「なるほどね」
男が簡単に返事をして会話がとまってしまった。
このあと、自分はどうなってしまうのか。
次の問題が出てくる様子もない…悪夢がふと頭をよぎる。
どうにかこのコビトと話がしたい。
こいつなら全てを、そうでなくてもなにかを知っているかもしれない。
「ねぇ」
誰の声だかわからない。
映っている画面の明度が下がっていき、コビトと白の世界が闇へと変化していく。
まさにホワイトボックスがブラックボックスへと電源が切られてしまった。
そして……


―2―


じめじめとしたうっとうしい天気の6月の午後、晴れているがカーテンのせいで部屋が暗い。
留守電の赤いランプがすまなそうに点滅している。
「ガチャガチャ……カチャ」
この部屋の住人が帰ってきたようだ。
玄関が開いて明るい日差しが部屋の中へ差し込んでいる。
「ったく、あいつらがブウブウ言うからいけねぇんだろ」
若者言葉の青年がグチをもらしながら帰ってきた。
玄関と台所とトイレがある手前の部屋と、カーテンが閉まっている窓がある奥の部屋が見える。
6畳ほどの昔ながらの二部屋だ。
傘を玄関の傘立てに勢いよく差し込む。
傘はちゃんと傘立てに収まったが、勢いが良すぎて傘立てが玄関で倒れる。
「ドサッ」
男は直すことなく、ズカズカと部屋に侵入した。
そして真っ先に奥の部屋のカーテンを開けた。
先ほどは逆光でハッキリとは分からなかったが、今度は男がしっかりと見えた。
夏服の制服を着ているので、学生のようだ。
背中には『HOUSEI』と書かれたねずみ色のかばんを背負っている。
ただ、普通は手で持つところに腕を通しているので背中にトサカが生えたようになっている。
最近の若者の流行はよく分からない。
町でよく見かける若者は髪を茶や金に染め上げ、皆一様の格好をしている。
流行に乗り遅れまいと必死になっている表れ・・・・・
「!?」
服装をみればどこにでもいる高校生になってしまうのだが、この男は違う。むしろ格好を見る前にこれに目を向けるべきであった。
光の反射ではない。
この男の髪は緑なのだ!
しかも、ペンキで塗ったかのような鮮やかな緑である。
赤い髪は何度か見たことがある。
茶の延長線上と考えると納得がいく。
おばちゃんでムラサキの白髪染めを使っている方も見たことがある。
気持ち悪いが、おばちゃんパワーなのだからまあいいだろう。
しかし、今回は緑だ。しかもおばちゃんではない。高校生だ。
男はかばんを下ろし、部屋の真ん中にあるテ−ブルに目をやった。
6畳ほどの真ん中にこたつ机ほどの大きさの白いテーブルがある。
テーブルの上にはタバコが入った灰皿や割り箸が立ててあるカップラーメンの残骸や雑誌が放置してある。
そこに注目すると汚らしいがそれとは別に、おにぎり3つがラップがかかった状態で皿の上にあり、その皿の下に置手紙がある。

『やすしへ
今日も帰りが遅くなりそうです。
先にご飯を食べててください。
それと今日は話があるから出かけないで
ちょうだい
母より』

広告の裏に急いで書いてあるがきれいな字で書かれている。
「チッ」
やすしは舌を鳴らすと、メモをクシャクシャと丸めてゴミ箱に放り投げた。
黄色の広告の放物線はゴミ箱の手前で失速した。
「ったく」
ゴミを拾いに行こうとはせず、やすしはその場で座って皿の上のラップを取り始めた。
「メシじゃなくて、金を置いてけよ」
やすしはぴったりとくっついているラップを取るのに苛立ちながら、ここにはいない母親に文句を言っている。
なんとかラップをはがすと、おにぎりをほおばりはじめた。
「うっ・・・!?」
あまりにも勢いよく食べたので、一つ目のおにぎりがノドに詰まった。
次に食べようとしていた二つ目のおにぎりを皿に戻し、胸を3,4回叩いた。
「……み、みず」
やすしは立ち上がり台所に駆け込み、冷蔵庫を開けると迷うことなくウーロン茶が入った2リットルのペットボトルを取り出しキャップを外すと、豪快にコップに移すことなく飲んだ。
「ゴクゴク、ぷっはぁー」
満杯あったウーロン茶は半分ぐらいやすしの体に取り込まれた。
ペットボトルを冷蔵庫に戻し、一息つくとトイレの戸の横にある家電の留守電が点滅している。
「ん?!めずらしいな。どうせどっかの宣伝だろ」
やすしはそう思いながら取りあえずボタンを押した。
『ピー、メッセージは2件です』
やすしは電話とにらめっこをしている。
テープの巻き戻し音がチョット長く感じられた。
『ピー、えー、やすし君の担任の藤野です。いつもお世話になっております。』
「なんだよ、あのフジゴリ電話なんてかけてくるんじゃねぇよ」
やすしは、にらめっこをやめてテーブルの前に座っておにぎりを今度はゆっくりと食べ始める。
『えー、お子様からプリントが言ってらっしゃるかと思いますが、個人面談の日程希望の紙を提出されておりませんので、それがないとこちらの方で勝手に日程を組んでしまいます。お母様は…えー、お仕事がお忙しいとおしゃっていたので・・・・・・』
留守電の制限時間に言い終わらなかったようだ。
「用件をまとめてから言いやがれ、このフジゴリ」
『ツウツウツウ、20時18分火曜日です』
音声案内のお姉さんの感情のない声が、場を和ませるどころか、いやにムカッと聞こえる。
「・・・たく」
食べながらしゃべったので、2、3のご飯粒が口から飛び出した。
じゅうたんの上に落ちたご飯をあわてて拾って食べた。
『ピー、吉野様ですね。おめでとうございます。こちらはイトーココノカドウです。』
残りの1件が担任からではなかったので、やすしは少し驚いて聞いている。
キビキビとした店員らしき人の声がいっそう期待をさせる。
『お客さまが先日、投票なさった福引でクソニー社のPCが当たりましたのでお送りさせていただきます。本日お送りいたします。お受け取りになりませんと、無効とみなさせていただきますのであらかじめご注意下さい』
『ツウツウツウ、10時52分水曜日です』
「き、今日?!」
時計の針は15時をまわっている。
やすしはハッと深いため息をついた。
「なんだよ、留守だったらもらえないのかよ。結局大手のスーパーだよ。こうやって汚い商売やってるんだろ。電話も本日ってところが怪しいよ」
ハッピィーな内容の留守電だが、やすしをますますご機嫌斜めにする。
やすしは残りのおにぎりを食べ終えると、傍らにあるエレキギターに手を伸ばした。
「オレの友達はこいつだけさ」
そういって軽くキスをする。
そして音を調節しようとすると
「プチ」
鈍い音とともに弦が切れてしまった。
そしてやすしはギターを投げ出して、大の字によこになった。
「どいつもこいつもどうしてオレに冷たいんだよ。オレがなんかわるいことでもしたのか?いじめられても見て見ぬフリだしよ、母子家庭だからってなんなんだよ。髪が緑じゃわりぃのかよ!アアァーーーー!!」
緑の髪のスーパーサイヤ人はもはや何にもヤル気がおきなかった。


 

『ピンポーン』
すっかり寝入ってしまったようだ。ガラス越しの外のそらが赤く染まっている
『ピンポーン』
チャイムが鳴っているのにようやく気がついた。
「はーい、今行きます」
やすしはあわてて起き上がった。
「ガチャ」
目に飛び込んできたのは青のボーダーのシャツを着た宅配便のお兄さんだ。
「あっ、宅配便です。ハンコお願いします。」
でてきた、格好に戸惑いながら言った。
そりゃ、緑の髪の学生が出てきたのだから無理もない。
「はい、ちょっとまっててください。」
そう言って、やすしは扉を固定して部屋に戻って行ってハンコを探しはじめた。
「えーと・・・」
ありそうなところをイロイロと探し回るが、なかなかみつからない。
イロイロな引き出しを開けてみるがどこにも見当たらない。
「なければサインでもいいですよ」
業を煮やしたお兄さんがいった。
やすしは玄関にもどって『吉野』と書くと大きなダンボールを受け取った。
細身のお兄さんが重そうに持っていたが、ちょっと太目のやすしは軽々と部屋の中へと持ち込んだ。
「それじゃどうも」
「はーい」
そういってやすしは扉を閉めた。
まだ眠気まなこのやすしであったが、ダンボールの印刷を確認すると、我が目を疑った。
(VAIO・クソニー)
紛れもなく留守電で言っていた代物であった。
この部屋にある豪華な電化製品といったら、電子レンジぐらいだ。
食器乾燥機なんてもってのほかだ。エアコンもない。
そんなこのうちにパソコンがやってきた。
やすしは母親が帰ってくるのを待ちきれず、表に貼ってある伝票をはがし、パソコンを取り出し始めた。
やすしは一応中身をすべて外に出してみた。
大きなデスクトップ型のパソコンで、モニターとハードディスクと様々なコードと大きさも様々な各種の説明書がじゅうたんの上に並べられている。
シルバーの大きなモニターとハードディスクがこの部屋のトップであるかのようにさんさんと輝いている。
「うーん、どうやるんだ?」
並べて余韻に浸る間もなく、次々と組み立てようとしている。
眺めているだけでは到底我慢できなかったのだろう。
「学校の授業をもうチョットきちんと聞いておけばよかったな。工業高校なのにパソコンも設置できないなんて誰かに知れたら恥ずかしいな」
太いコードや細いコード、ベージュのコードや灰色のコードさまざまなコードが針金で真ん中を結ばれ、袋に詰められ出番の時を待ちわびている。
やすしは説明書の山の中から『サルでもできるパソコン』という本を見つけた。
「サルでもねぇ・・・」
表紙の題名のインパクトに小ばかにされて少しムッとしつつもパラパラとページをめくり始めた。
分厚い説明書は到底サルでは理解できない内容である。
それでも興味津々のやすしは1つ1つ丁寧に読み進めていく。
半分ぐらいまで読み進めると、母親らしきひとが帰ってきた。
白髪が混じり、少し痩せこけたいかにもパートのおばちゃんと言われそうなひとである。
そのおばちゃんがすぐに部屋に入ってきた。
「まあ、やすしドコから盗んできたの!母さんにこれ以上心配をかけないと約束したじゃないの!」
激しい剣幕でやすしに食ってかかる。
「はぁ、あんたに言われる筋合いはないよ!」
やすしも負けじとにらみつけて反論する。
「母さんはね、やすしのことを思って言ってるのよ」
やすしのにらみに怯えたのだろうか。さきほどよりもだいぶトーンが下がっていった。
「あんたはそうやっていつも・・・」
やすしはなにかを言いかけて体を180度逆向きにして、また読み始めた。
"あんた"と呼び捨てられる母親は、息子にいいように翻弄されているようであった。
「母さんがなにをしたっていうのよ」
と"あんた"はヒステリックにわめき散らした。
彼女は息子を溺愛している様であった。
また彼女はやすしの母親と言うよりはむしろやすしの奴隷のようにさえ思えるほど、母親としては失格していた。
「あんたはさっきからギャアギャアうるさいんだよ。今回はセットウなんてやっちゃいないんだよ。これは当たったんだよ」
ヒステリックな母親に集中力をさかれて、やすしが怒鳴りで沈めた。
「嘘おっしゃい」
まつげに涙をためて、鼻をすすりながら言った。
「嘘なもんか。どうしておまえにうそなんてつかなきゃいけないんだよ」
そう言ってさっきはがした伝票を拾って、フンッと濡れ衣を着せられたことに腹を立てながら渡した。
母親は伝票に目を凝らした。
「……あらそう。やすし、疑ったりしてごめんなさいね」
母親は顔を上げ言った。
が、やすしは顔を合わせようとはせず、そっぽを向いてまた本を読み始めた。
母親は立ち上がると、台所へと向かって家事の準備をし始めた。
さっきまでの赤い空は影を潜め、黒の闇の世界が現れた。
台所で味噌汁のねぎを刻むリズムが料理をスムーズに進める。それにつられてパソコンの組み立てもスムーズに進む。
薄汚れたレトロなアパートの散らかった部屋には似つかないパソコンだけが世の中の時代を教えてくれる。

「なあ、話ってなんだよ。説教ならお断りだぞ」
組み立てながらやすしが聞いた。
「いじめられてるって本当なの?母さんでよかったら話を聞くし、学校にだって言うわよ」
これだから親は何も分かっちゃいない。
そんなことを言わんばかりの表情をやすしは見せた。
「母さんはあなたのことが心配で聞いているのよ。何とか言ってちょうだいよ」
母親は涙声でいった。
いまにも涙が溢れそうなほど目が潤んでいる。
やすしは母親の顔を見ないようにしながら、同じように作業を続けている。
「うるせーな。パソコンを組み立ててるんだよ。そういう話なら後にしてくれよ」
手の動きとは裏腹に言葉は荒々しくなり、けんか腰になっている。
自分から聞き出してこう言い返すのは変だとやすしも分かっているようだが
心当たりがないわけでもないらしい。
結局やすしはその後口を閉ざしたままで、及び腰の母親はなにも聞きだせず時間だけが過ぎていった。

「よし!」
シカトを続けてきたやすしが発した言葉だ。
青白い光がやすしの顔を夢中にさせる。
いつも何かにつけて物や人にあたっていったやすしが別人のように声をあげ喜んでいた。
母親は何も分からなかったが、息子が喜んでいるので少し笑った。
「これがそうなのね」
今までなかった最新機器に母親も興味津々だ。
「ただこれじゃあインターネットはできないんだよな。工事が必要なんだって」
残念そうに、しかし何か言いたげにいった。
「……工事が必要なのね」
金銭的に辛いので母親は少々悩みながらも、息子が喜んでいる姿を見て決心したようだ。
「分かったわ」
そういって母親はパソコンについていたパンフレットに書いてある電話番号を押し始める。
工事の日はさっそく明日に決まった。
このブラックボックスに新しい世界への通路がもうすぐつながる。


―3―


『キーンコーンカーンコーン』
HRのはじめのチャイムが廊下を走る生徒の靴音と混ざる。
廊下にいた生徒がいっせいに教室へとなだれ込む。
やすしは朝からちゃんと席に座っている。
後ろから2番目の窓際の席でふつうはあまり目立たないのだが、緑の髪は教室のランドマークになっている。
やすしは無遅刻無欠席で学校に登校している。
「えー、全員いるね。えーじゃあ、1時間目の準備をしててね」
昨日留守電に入っていた"フジゴリ"と呼ばれていた声が細々と聞こえる。
フジゴリはボソボソとした口調で正直に言って先生には向いていない方だ。
自分では一生懸命先生の演技をしていても、生徒が先生と見ていなければそれはただの大根役者でしかないのだ。
先生に求められているのは、尊敬できるリーダーシップではない。そんなものを生徒は見向きもしない。
求められているのは、いかに面白くしてくれるか。それだけである。
このフジゴリも勘違い先生だ。4月の頃はヤル気に満ち溢れ、これもよく張り、勘違いの役者を演じていた。それが大根だとも知らずに。
だが今は、与えられた最低限度の仕事を機械的にこなしていく。情熱とヤル気はドコにも感じられない先生となってしまった。
出席をとるとフジゴリはそそくさと教室を後にした。
「おい、緑ブタ」
クラスの中でいつも中心にいるようなやつが先生が扉を閉めたのを確認してから言った。
クラス中でドッと笑いが起きる。
工業高校はほぼ男子校だ。中学などなら女子の目というのがいじめの抑止力になりうるが、工業高校ではそんなものはほとんどない。
とくに、やすしのいる電気科は全員が男子だ。
「ブタ、あっごめん、日本語分からないか」
ブタと言うのはやすしのことのようだ。
ふっくらとしている体格からブタと詰られているのだろう
クラスの皆がやすしに注目して、その一挙一動からネタを探し出そうとやっきになっている。
「ブウブウうるせえんだよ」
やすしが皆の視線を逸らそうといった。
だが、やすしが熱くなればなるほどその熱は冷めない。
それどころか
「ブタがブウブウって言ったよ」
クラスの笑いが一同に起こった。
こんな光景はしょっちゅう見られるようだ。
廊下に待機している、次の授業の先生はいじめに気付いてはいるがチャイムがなるまで教室に入ろうとはしない。
先生はイジメを見て見ぬフリをしている。
事実、となりの3組の担任の先生はノイローゼで体調を崩して休暇中である。無理もない。
それはイジメがあった生徒をかばったところ逆に生徒にいじめられる結果になってしまったからだ。責任感があるやつがそんをする、学校とはそんな空間なのかもしれない。
6月の蒸し暑さで制服が体にへばりついてくる。
やすしはからだの中から湧き出る冷や汗で炎天下の町をサウナスーツを着て走っているような錯覚に陥った。
『キーンコーンカーンコーン』
1時間目のチャイムがなって先生が教室に入ってきて授業を始める。
機械的に当たり障りなく授業をすすめていく。
そして時間は過ぎていくのである。
短絡的に結びつけるのはいけないのかもしれないが、やすしには友達がいない。
性格が暴力的であることも1つだが、いじめられっこだから自分を守るためにともだちが作れずにいる。
けれど、学校では弱音一つもらさず耐えている。
今日も長い一日が終わった。いつもなら重い足取りも、しかし今日だけは足取りが軽かった。
もちろんそれはパソコンのせいである。
工事はどうなっているのか非常に楽しみなのがやすしの顔からうかがえる。
いそいで家へと帰ると工事はとっくに終わっていた。
「おお」
工事の様子を見れなかったのが残念ではあったが、つながっているだけのにまるで恋人ができたように喜んでいる。
そして、朝に家を出るときとは部屋の雰囲気が違うようにも感じられる。
工事の作業員の方が来るのできれいに掃除されたせいも多少はあるが、電話線がパソコンへとつながっている。たったそれだけのことなのに、部屋が進化したように映った。
あっというまにブラックボックスを介して別世界への通路は開けたのだ。
やすしはかばんをほっぽり投げてパソコンのスイッチを入れた。
『ういーん』
パソコンの起動音が流れる。
パソコンを組み立てるのは素人のやすしてあったが、学校でパソコンを使っているので、操作には不自由しなかった。
インターネットと言っても学校のパソコンで自由にやっていたのでとくにみたいぺージもない。
ただぶらぶらとネットサーフィンの波を漂っていた。ゲームのページやギターのページなどをしばらく見ていた。
が、すぐに飽きが来てしまった。
そんなときに目に飛び込んできたのがいわゆる「出会い系」と呼ばれるページだった。
そこには男の欲望と女の欲望とが混在している異空間である。
あるものは自分の性欲を満たすために、あるものはお金稼ぎのためにと、人間のエグイ本心がありありと覗ける場所であった。
初め、やすしは出会い系に興味はあったが頭の中でストップをかけていた。
だが、そこはやすしも健全な男の子だ。
一抹の不安を感じつつも、好奇心に押されて必要事項を記入し始めた。
(名前:やすし)
「うーん、本名はまずいな」
バックスペースのキーをポンポンと叩き、名前をつまりはハンドルネームを考え始めた。
(名前:やっしー)
「こんなもんかな」
そして次々と項目を埋めていく。
(年齢:18歳)
(性別:♂)
・・・趣味、職業欄などがあった。
さすがに(高校生)とは書けなかったので、専門学生としておいた。
そして、送信ボタンをポチッと押した。
ものの10分程度で終了した。
思った以上に簡単で、危ない世界へと踏み込んだなどという考えはこのときのやすしにはなかった。


会ってみたいと言うメールは6件を数えた。
今まで学校ではシカトされてばかりだったので、一度に6件ものメールがくるとやすしは完全に舞い上がってしまっている。
パソコンの前から離れることが出来ずにいた。
メールを送り返すその手つきはなんともないのだが、頭の中ではこの後の期待に胸を膨らませている。
顔も見えない女性に対して、やすしの暴走は止まるところを知らずに突っ走っていく。
そんななかやすしの心が惹かれたのは
『今日がはじめてなんです?お時間があれば今日お会いしたいです?』
と送られてきた、17歳の女子高生レイナだ。
他にも年齢も職種もさまざまな方々からメールが来たが、いちばん年が近く話があうだろうと考えたのだろう。
OKの内容のメールを送り返すと、すぐに
「じゃあ今晩7:00に小机駅で待ってます?」
やすしの心はハートマークを見るたびに一段と期待を高め、暴走列車ではプランが描かれていた。
やすしはようやくパソコンの前から離れ、制服を脱いで私服に着替えた。
黒ずくめのズボンにに真っ赤なシャツ。それもうすーい赤などではなく、ドコからでも目立つような赤だ。
やすしの戦闘服が期待の大きさをあらわしている。


−4−


小机の駅は帰宅時間の7:00にもかかわらず人影がまばらだ。大都市にある田舎じみた村をなぜ待ち合わせ場所に選んだのかわからない。
ただ、場所などどこでも良かった。
まだ見ぬレイナに胸をときめかせていた。
ぼくの格好は教えないで待ち合わせ場所にきた。待ち合わせの目印はコインロッカーの前、それだけだ。制服で来ると先ほどメールが来たので見つけにくいが、なぜかやすしには見つけられる自信があった。
時計の短針は7の数字を指している。
5分前に到着したやすしはコインロッカーの前にいき、まだ見ぬお姫様が現れるのを待っている。
電車がホームに止まるたびにまばらではあるが人が降りてくる。
改札をでて正面にあるコインロッカーは全ての人が目に止まる場所だ。
そこに、頭は緑で、シャツが赤。皆がジロジロ見ないほうがムリがある。
あるものは下を向いて苦笑し、あるものは見て見ぬフリをしている。
団体の女子高生は、何あれとこちらまで聞こえてきそうな甲高い声でおしゃべりをしている。
やってくるのは会社帰りのサラリーマンばかりだ。ロッカーの方へと歩いてくる女子高生など一向に現れない。
時計の針はそれでも無残に時を刻んでいく。
駅に来てから2時間半ほどが経とうとしている。
「なにかあったのなら連絡をよこしてくれればいいのに」
切れ気味のやすしはロッカーに寄りかかりながらまだ待っていた。
暴走列車のスピードは時計の針とは反比例にだんだんとスピードを落としていく。
結局、終電まで待ってはみたもののレイナは姿をみせず、連絡もなかった。
気がついたら、うちの前に立っていた。
どういう道のりをたどって帰ってきたのか、やすしには覚えていない気さえした。
家に着くと、母親が寝ずに待っていた。
「またドコをほっつき歩いていたの。お願いだからこれ以上迷惑をかけないでちょうだい。また警察のお世話になることだけはやめてちょうだいね。母さん・・・」
母親が涙ながらにいった。
いっつも泣いてばかりいる。
「うっせーな、ほっとけよ」
やすしは母親に眼をとばした。
今日もそうだ。親の泣く姿をみてやすしはうんざりしている。
もはやどんなに言っても磁石のS極とS極のように反発したままだ。
どちらかが向きを変えないと、くっつくことはなさそうだ。
母親はそのまま何も言わずに寝入ってしまった。
やすしは寒くないようにいつもの紺のカーディガンを羽織り、コッソリとパソコンの電源を入れた。
ボリュームを一番小さくして起動のときの音をなくし、2次元の世界へと出発した。
まず一番初めにしたのはレイナへのメールだ。
「なんで来なかったんだ。俺はずっと待ってたんだぞ」
こんな内容のメールを長々と書いていった。そして文末には
「今度はいつ会える?」
そう打ち込んだ。
まだ暴走列車は停車していなかったのだ。
列車は出発進行の合図があればいまにでも発車しそうだ。
2,3分のうちにすぐに返事が送られてきた。
が文面を見たとたん、やすしは例えようのない怒りがこみ上げてきた。
「あはは、ばっかじゃないの。オレ男だよ。こういうのを『ネカマ』っていうんだよ。ネットでオカマを演じるからネカマ。分かったかい?君が初心者だって分かってたから遊んであげたんだよ。どうして出会い系なんてつかったのさ。そんなにしたいのなら、そっち系のお店ですればいいんじゃない(笑)ヒッキーな君に夢を見させてあげたんだ感謝しな」
返す言葉がなかった。
やすしはレイナが出会い系に書き込んでいるヘンなヤツらと同じようなヤツだとはまったく思っていなかった。どうしてそんな自信があるのかは分からないがそうやって信じ込んでいた。舞い上がって冷静さを欠いていたせいかもしれない。
やすしはめずらしく落ち込んでいた。待ちくたびれた疲れがいっせいに襲いかかってくる。
けれども、不思議と眠気は襲ってこなかったようだ。
おそらく興奮したせいであろう。
やり場のない怒りを抱え込みながら、とりあえずネットサーフィンの波に漂う。
とりあえず誰かと話がした。
そんな気分で夢中で情報の波を掻き分ける。
マウスをクリックするカチカチという音以外に何も聞こえない草木も眠る丑三つ時。
きづいたらチャットルームに入っていた。
チャットと言うのはパソコン上で文字を打って会話をすることである。
知らず知らずのうちに一人、チャットルームに入っている。
すると知らない男の人が来た。
退出しようかとも考えた。
けれども、またも理由のない思い込みが働いた。
その男の人に今日会った全部のことを話した。
向こうは「ウンウン」とか「へえ」と相槌を入れてくるだけでやすしが返事のことも考えずがんがん打ち込んでいく。
学校のいじめのことも、きょうのネカマのことも、母親のことも全部だ。
全部話し終わってその男から帰ってきた言葉は意外なものだった。
「ばか」
2文字のひらがなが画面に浮かぶ。
「父親がいないんだったらお前がしっかりしないと」
この言葉に、強い衝撃を受け涙が止まらなかった。
昔。小学校に入った頃、一度だけ父の腕にぶら下がったことがあった。
桜が校庭のあちこちで咲き乱れていて、風が吹くとボタ雪のようにはなビラがちゅうを舞った。
あの校庭で父は笑いながら僕のことを片腕で持ち上げてくれた。たくましくて頼りがいのある父親。

そのとき父を尊敬していたのだろう。今思うと大きくて、包み込んでくれる父がだいすきだった。
そういえば、あの時も父は、この紺色のカーディガンを着ていたような気がする。
やすしは、いまさらなんでこんなことを思い出しえいるのか、ふしぎで仕方がなかった。
やすしは、羽織っていたカーディガンを母の毛布の上にかけ、今日はどうもありがとうと打つとチャットを退室すると、そのまま電源を切り布団へと入っていった。




[終]