「十二月の石」
著者:MRI



 君へ送る

「外は雪が降りそうだね」
 ベッドから見える景色は昼間なのに薄暗く、見下ろす人の歩く姿はぎこちない。
「そうだね」
 横で腰掛けている少女は同じように窓の外を眺めた。
 殺風景な個室には小さな棚に花が飾られている以外特に色味がない。自然と視線は外へと注がれる。
「もうクリスマスなんだな…」
 伝える風でもなくボソリと呟いた。
「そうだね…」
 外には飾り付けられた常緑樹が色鮮やかな化粧をして立っている。
 昨夜はこの病院でも明るい声が飛び交っていた。
 病院という限られた空間、子供たちの笑い声は響いていた。
「もうすぐ手術だね」
 少女が言う。その表情は読めない。
「そうだね」
 同じ台詞を言い返して思わずニッとはにかんでしまった。
 外へ向けていた視線をふと部屋に戻す。そして、背もたれのあがったベッドに体を預けた。
「しかし、ここは楽チンだね」
 少女に向かって笑顔で話す。
「何か要望があればスイッチ一つで何とかなるんだからさ」
 やせた頬を吊り上げて少女に話しかける。
「夜中に呼ばれる看護士さんも堪ったものじゃないわよ」
 男の顔を見て話すがすぐにその視線は違うところへと向けられた。
 苦笑いをしながら男は頬を掻いた。その指は細く白い。
 指だけではない。表情は元気そのものであるが、その腕、顔見えるところだけでも彼の肉体は細く白く、肉を失っている。
「なぁ」
 男は少女に優しく声をかけた。
「手術が終わったらどこか行かないか」
 何もないはずの天井を見上げていた。
「そ、そうだね」
 少女の言葉は詰まる。
「やっぱ無理かな」
「な、何をいきなり」
 思わず顔を上げて男のほうへとすごむ。
「だって、そうだろ…きっと成功しても」
 天井を見ていた視線を少女へと向ける。
「リハビリにどんだけ時間がかかるやら、こんな細い体じゃ外を出歩くなんて何時のことやら」
 そういって袖をまくり、自分の細くなった腕をつかむ。
 少女は見るに耐えない顔をするが目線をそらさず男の顔を見ていた。
「私が」
 口に何かを詰められたような、そんな口調で
「私があなたの車椅子を押すから、大丈夫!」
 少女はそう言って、後ろを向いてしまった。
「…ありがとう」
 頬を少し吊り上げて笑うが少女は見てはいない。
 コンッコンッ
 小気味いい音をたてて木のドアが鳴いた。
「どうぞー」
「失礼します、今野さんそれでは時間なので移動しましょう」
 白衣を着た看護士が二人そういってストレッチャーを持ってやってきた。
「あー、少しだけ時間いいですか?」
 男はバツが悪そうに言った。
「ええ、時間にはまだ余裕がありますから」
 看護士もどこかその態度はよそよそしい。
「5分ください、そしたらこっちから出ますから」
 笑顔で看護士に答える。
「分かりました」
 そう言って再びドアを閉めた。
「ふぅ…いざとなると緊張するな」
 男はため息をついた。
「大丈夫だよ」
 少女は振り向いて言う。目は潤んでこちらを長くは見ない。
「ありがとな」
 男はベッドから出て、少女の前へと立った。その姿に力強さはない。
「これを…」
 定まらない足元をゆっくりと踏みしめ、目の前に立ち、すっと少女へ小さな小箱を手渡した。
「本当は昨日渡そうと思ってたんだ」
 そう言って男は車椅子の元へ自力で歩いていった。
 少女はその姿をみて慌てて手伝う。
「中を…見て」
 男は息を切らしながら言う。
 小箱の中からは石が入っていた。鮮やかな緑色の石。
「それエメラルドの原石なんだ」
「どうして…これを」
 少女は呆然としている。
「価値はないんだよ。幼いころに親父と掘って見つけたんだ」
 車椅子は少女の手を借りることなく、ゆっくりとドアへと向けられる。
「俺の宝物さ」
 車椅子はドアの前にたどり着いた。
「知ってるかい?エメラルドってキリストが最後の晩餐に酒を飲んだ聖杯に使われてたっていうんだ」
 少女を背にして言う。
「そしてその緑は常緑樹の色なんだって。クリスマスにぴったりだろ?」
 最後に首だけ振り返って笑い、ドアを開いた。
「あ、まっ…」
 言葉に詰まる。
 男は看護士に軽い会釈をしてそして病室を後にした。
「さよなら…」
「最後の晩餐だなんて…」


 無謀な手術なのは誰もが気づいていた。
 希望者が本人だからこそ行われた手術だった。
「何もしないのが、嫌なんだ」
 彼の言葉が最後の決定を決めた。


個室の片づけが行われている。
少女もその手伝いをしている。
「最後まで面倒みてくれてありがとうね」
 男の母は少女に声をかけた。
「いえ…私は何も」
 少女の顔は家族以上に暗く見える。
 母は少女に封筒を手渡した。
「これは?」
 少女は自分の宛名を見て首をかしげた。
「あの子が用意してた手紙よ」
 母は手渡すと片付けに再び戻っていった。
 少女はその封筒から手紙を取り出した。

ユナへ
 こうやって手紙を書くなんて不思議だよ。毎日あってるのにな。なんか隠し事みたいで少しワクワクしてる。きっとこれを見るタイミングはもう決まってるから。だから…悲しまないで欲しい、もちろんあっけらかんとされるのは少しこっちが寂しいけど。
 ところで俺はユナに石は渡せたのかな?きっと渡せてると信じて書いているよ。エメラルドはキリストのが最後の晩餐に使った聖杯の装飾に使われていたって伝説があるんだって。エメラルドに秘められた言葉は幸福。ユナの幸福を願ってるよ。そしてもう一つ、封筒の中にある物もできたら受け取って―

手紙の中身を途中で封筒の中身を覗き込んだ。そこには親指ほどの赤く黒い石が取り付けられたペンダントが入っている。

 ―また石か、とか思っていたりして?その石はねブラッドストーンと言って、キリストの血が結晶になったって言われてるんだ。クリスマスのテーマカラーの由来はこの二つだって話もあるらしい。言葉は愛を貫く勇気と信念。この石がユナへの最後の言葉にしたい。何もして上げられなかったけど、僕の代わりにその石たちが君を守るから。君の幸福を僕は望むから、最後まで付き合ってくれてありがとう。そして、さようなら――




「ユナー」
 後ろから声が届く、それに反応して少女は振り向いた。
「遅いよ」
 プット膨れて見せるその表情は怒ってるようには見えない。
「ごめんごめん、ここで立ち話も冷えるから店行こう」
 男は身震いした。
「そうだね早くいこ、なんか雪が降りそうなんだって」
 男の細い腕にしがみついてせわしげに歩き出した。
「もう二年か」
 少女はポツリと言った。
「そうだな、なんで生きてるんだろな」
 男は不思議そうに言う。
「それはこっちの台詞よ。あんな大層な手紙まで用意してたんだから死んじゃえば良かったのに」
 少女は満面の笑みで答える。
「まったく、意識戻って話し聞いて赤面ものだよ」
 思い出すだけで男の顔は赤くなった。
「病院では看護士さんにまで話が広まって、気づけば病院の大半が知ってるんだもんな」
「でもすごいよ、目が覚めて集中治療室から一年で通常病棟、もう一年でリハビリして社会復帰だもん」
 少女は腕の温もりを感じながら話を続ける。
「若いってすごいね」
「お前に言われたかないよ、俺よりもガキのくせに」
 ドスッと腹部から鈍い音が響いた。
「ちょっ…」
「ガキっていうな、この病弱がー!」
 拳法家の真似事のようにポージングを決めていった。
「シャレにならねぇ…きれいにみぞおちに」
 男は恥ずかしくもうずくまった。
「ごめん」
「なんてな」
 細い姿態は軽やかに雪道を歩き始めた。追撃を逃れるために。
「あ、待てこらー」
 少女は怒りと笑みで複雑な表情をしている。
「そいえば」
 と男は突如立ち止まる。
「え、きゃっ!」
 少女は勢い余ってぶつかった。
「なによ、いきなり」
「店ここだ」
 男は思わず通り過ぎそうなところで、我に返っていた。
 少女はどこか不機嫌そうだ。
 店にすごすごと入っていく。特段とした特徴のないイタリア料理の店。クリスマスイブとあって人で賑わい明るい感じである。
「ここ嫌か?」
 少女の表情をみて聞いた。
「別にー」
 メニューをみて、けして目を合わせない。
「なんだよいきなり…」
「いつもそっちのペースで楽しくない」
 頬を膨らませる姿は入院してたころに見たことはなかった。
「そか、俺は楽しいけどな」
 といって鞄を開いた。
「?」
 少女はメニューから目を向けた。
「こないだ、わざわざあの原石返してもらっただろ?」
 といって小箱を鞄からとりだした。
「親父の知り合いに頼んで加工してもらったよ」
 箱を開くとそこには緑の石がはめられた。指輪が。
「これって…」
 少女の表情が驚きに満ちている。
「受け取ってくれるよな?」
「うん…」




[終]