「悪の巣は閑古鳥」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)




  −1−

 ガラリ、ゴロン。

 まったく響かない、さび付いて景気の悪いベルを鳴らして、俺はいつもの店にやってきた。
 薄暗い店内の照明と、閑散とした客の入りは、どことなく陰気臭い。店内のBGMに短調のどことなく不安にさせるような曲をかける店は、ここくらいだろう。外装はレトロ調を目指したと言うが、雰囲気が既にオンボロだった。
「いらっしゃい」
 カウンターの中から、声がした。多分、カウンターの向こう側で何かしていて、誰が来たのか分からないのだろう。
 カフェ・バー「悪の巣」。
 今声がかかったマスターがいつ寝ているのか分からないともっぱら噂の、おかしなところばかりある午前九時―午前五時営業の喫茶店だ。
 夕方、日が沈むと酒が頼めるのでバーも兼ねているが、昼間のカフェに、そのメニューはない。前に頼んだことがあったが、このマスターは頑として出さない。
 自分が座る定位置の、西日が差し込む右端の席にはさっきから先客がいる。知り合いだ。
 あんまり係わり合いになりたくなかったので避けようとも思ったが、後でいることが分かっても気まずいのでその隣に座る。居心地が多少悪かった。
「お、ホントに来た………てか、ちょ、どしたの、それ?」
 席に着くなり、俺の異変に気付いた隣の席の柴原が、少し大げさなくらいに驚きながら、それでも遠慮もなく覗き込んできた。
「ちょっとな」
 言われるとは思っていたが、言われたら言われたで、やっぱりうざったい。
 コトの経緯を説明するのが面倒で、俺は短く切って窓の方を向いた。
「ご注文は?」
 カウンター越しにいつの間にかこの店のマスター、榊が立っていた。
 それほど長身と言うほど背は高くないが、ひょろりとした体格に、常にパリッとした真白のYシャツ。その上からトレードマークのチェックのエプロンをしている。
「コーヒー」
「いつもの安い奴、でよろしいですか」
「よろしく」
 短いやりとりで、榊がすいっとカウンターの奥の方に引っ込んだ。
 榊の足音が聞こえないのは、この店の七不思議の一つだ。幽霊だから足音が立たないのではともっぱらの噂だが、七不思議の三つ目の「マスターはカウンターから一切出てこない」ので、あながち嘘ではないかもしれない。
 背広の懐から煙草を取り出して、火をつけた。
「で、どしたんよ、それ」
 隣の席で頬杖をつきながら、柴原が終わった話題を引きずり戻した。煙が苦手だと言っていた彼は、ひどく苦い顔をしていた。いい気味だ。
「ちょっとな」
「ちょっとで済むなら、それはないんじゃない? それじゃ聞いて欲しいです、って言ってるようなもんじゃんか」
 確かにもっともな話だが、至極単純かつ、仕方ない事情もあった。
「代わりがないし、作りにいく時間もない」
「コンタクトとかは?」
「あんなもん入れられるか」
「おお、天下の鬼刑事にも怖いものがあったとは、これはスクープだ」
 手元のメモ帳にさらさらり、と書く真似をして、柴原は意地悪く笑った。
 これでもいっぱしの事件記者を語るのだから、性質が悪い。
 ここは営業時間もさることながら、いくつかの出版社が近いこともあって、格好の休憩スポットになる。夜中ともなれば、椅子を並べた堅い"ベッド"よりも、この「悪の巣」の決してすわり心地の良いとは言えないソファーの方が、よほど寝心地がいいらしい。
「それで大倉刑事、アレの方はその後、どうなん?」
「やっぱりお前、その話か」
 煙を柴原と反対側に吐き出しながら、煙草で灰皿を叩く。
「そりゃあ、じゃなきゃこんなとこで待ち伏せないよ」
「そういやさっき、ホントに来たとかいってやがったな」
「ああ、そりゃあ」
 溜息混じりに、テーブルに両腕を組む。組んだ手の上に額を乗せると、目の前ににゅっと、おしぼりが差し出された。
「忘れてた、おしぼりどーぞ」
 頭上から榊の声がする。取る気配がないのを察してくれたのか、そのまま、ぽんと置かれる。
「ありがとう」
「そんなことより………アレ、ホシの目星は、立ちましたん?」
「ブンヤさんにしゃべることはなんにも、ありません。進展なし」
「まーたまた。何か掴んで、一段落したからここに、来たんでしょ?」
 顔を合わせなくても、隣でどんな顔をしているか、俺には分かった。
 柴原とは高校時代からの仲だが、そういう奴だ。敵に回すとねちっこい、嫌な奴だ。
「ねぇ、こうして情報が揃ったから元・名探偵にご指示仰ぎに、ねぇ?」
 声の矛先が、カウンターを越える。客がいないから柴原もわざと言っているのだ。
「元・名探偵は止めてくださいよ。お客さん」
「おっと、これは失礼。まだまだ現役でした」
 ぺちりと頭を叩く音がした。学生時代に比べて、額が広くなったのでいい音がするな、といったら怒られるだろう。
 俺が顔を上げると、こちらを見る榊と目が合った。
 こいつも柴原と同じ高校時代の同期だが、あんまり変わらない。卒業して数年後に、脱サラしていきなり「喫茶店やるんで来てね」と言い放った時はさすがに「文化祭のノリか」と思って驚いたが、それ以外は淡々と人生設計を消化している。
「ああ、コーヒー、もうちょっと待って」
「別に急かしたわけじゃない。それに、柴原の言うことも、当たってる」
「あれ、なんか当たってた?」
 「どれが?」と表情に出して、柴原が顔を奇妙に歪めた。
「ちょっとな、これにまつわる話を、聞いてもらいに来たのさ」
 俺はかけていたメガネを外して、目頭をもみながら、テーブルに置いた。
 外したメガネは、左目に当たる部分のレンズに、少し亀裂が走っていた。


  −2−

「ま、俺は端から聞いてるだけだからさ。二人で始めちゃってくれよ」
 無責任なことを言いながら、柴原はカウンターに既にノートを広げていた。勘がいいというか、これから話すことが分かっているような仕草だ。
「大した話じゃないぞ」
 一応、釘を指す。「まあまあ」と言った顔で、彼は何も言わなかった。
「まあ………客も居ないから、いっか。付き合うよ」
 榊が話に付き合うとき、それはいつもの常套句だ。
 この薄暗い店に客が大入りになって榊がカウンターで目を回す日を、俺もいつか見てみたいものだが、多分何かとんでもないことが起こらない限りはないだろう。
 煙を吐き出して、煙草を灰皿に押し付けてから、俺は独り言のように話を始めた。
「まあ、見てのとおり、メガネが割れた。気付いたのは今日の朝だ。寝て、起きたら割れているのに気付いた。
 外したら両目とも見えなくなるから無理矢理掛けてたんだが、掛けてても左目は見えないし、今朝署に戻ったら同僚からも散々、どうしたどうした、って同じコト言われてな。イヤになってここに来たわけだ」
 俺は「そしてここで、お前もだ」と言って柴原を見た。柴原は細い目をさらに三日月のようにして、ニタリと笑う。榊は何も言わずにカウンターの向こう側に立っていた。
「割れた理由は分かっている。
 昨日、ちょっとしたヤマで、張り込みをしていた。
 場所はいえないが、そこはただの住宅地で、俺は車の中にいた」
「例の横領事件で大騒ぎなエンドーアビオニクスの社長邸宅前だったりして」
 すっとぼけたように柴原が言う。ちくしょう、コイツこういう時だけ勘が鋭い。
「別のヤマだ」
「なぁんだ」
 ふざけて口を尖らせる彼を置いて、俺は話を続けた。
「俺たちは三時間交代で、ある家の前を見張っていた。
 タレコミがあって、目的の人物が家に戻ってるって話を聴いたから、家を出るところを押さえたかった。
 俺自身は、昨日の夜九時頃に交代した。
 車の中には………そうだな、刑事Aとしておこう、彼が既にいた。
 刑事Aは七時半から十時半までの三時間を担当するはずだったんだが、十時ごろ、緊急無線が入った。近くで交通事故があった。夜なので人が足りないから、交通整理に一人回ってほしいと言われた。本来刑事が回るようなことはないんだが、人が居ないといわれりゃ行くしかねえ」
「まあ、最近サラリーマン化してるらしいもんね。大変だ」
 榊が、手持ち無沙汰に、コップを磨きながら言う。
「Aは後三十分で終わりだったから、そっちはAが行くことになって、俺は一人になり、三十分経って、先輩刑事のBが来た」
刑事Bが着いて、二、三十分した頃だな。だから十一時頃に、刑事Cが来たらしい。
 今日張り込みの予定にはなかった刑事Cは、前に乗ってた刑事Aの忘れ物を取りに来て、そのまま帰った。
 その直後に、タレコミにあった目的の人物が家から出てきたので、俺たちは追いかけた。
 が、なにしろとっさのことで間に合わず、俺たちは目的の人物を取り逃がした」
「あーりゃりゃ、捕り物失敗」
「うるせえよ」
「大倉、ちょっと聞いていい?」
 榊が胸の辺りに手を上げた。
「おう」
「その張り込み事件と、メガネの破損が繋がらないんだけど。あと、さっき刑事Cが来たらしい、って言ったけど、その時君はどこにいたの」
 言われてみればそうだ。その辺の話をしていなかった。
「メガネは、その時に壊れたんだ。車から出るときには、もう壊れてた」
「壊れてた………?」
 榊の言葉に咳払いを一つして、俺は心の中で開き直った。
「実は俺はその時、車の中で、寝てたんだ」


  −3−

「ちょっといい?」
 不意に、榊が言った。
「どうした?」
「コーヒー、出来たから持って来るよ」
「あ、マスター、俺もー」
「まいど」
 そう言って、榊はまた足音も立てず、カウンターの中を滑るように消えた。
「それにしても、税金泥棒め。国民の血税を返せ」
 冗談交じりに柴原が毒づいた。返す言葉もないが、一応返しておく。
「うるせえ、張り込みは意外と体力使うし、退屈なんだよ。それに一昨日は、お前の言う例のアレで全員が徹夜だったんだよ」
「へぇ、一昨日、徹夜………」
 ぴくり、柴原の眉がそっちに食いついた。これで一昨日の徹夜の件と昨日の張り込みが同じとは思わないだろう。
「はい、お待ちどう」
少しして、滑るように榊が戻ってきた。
 かちゃかちゃ、と白い湯気のホットコーヒーが三つ。
 柴原は角砂糖二つとミルクをドボドボ入れている。俺は角砂糖一つ。榊は昔からブラックだ。
 コーヒーは、友人の淹れたものだけど別に飛び上がるほど美味しいわけでも、吐き出すほど不味くもない。そもそも、味に敏感な舌を持っているわけではない。
「とりあえず、それで話は終わり?」
 それぞれがコーヒーを一口飲んだところで、榊が聞いてきたので俺はうなずいた。
「メガネが割れたのは事実なんだが、誰が、いつ、どうやって、っていうのがわからねえ。別に誰が割ったとか、そういうのはもうどうでもいいんだがよ」
「今日、その刑事トリオに会った?」
「てか、いつ寝てたんだよ」
「今日はまだ、話に出てきた刑事たちには会ってない。寝たのは九時半から十時、十時半から十一時過ぎ、犯人が出るまで」
「お前、相方がいる間、ほとんど寝てんじゃないか」
 柴原が書いたノートをこちらによこした。律儀に時系列が図になっているが、そんなものは見なくても分かる。
 代わりに俺はカウンターに置いた煙草の箱から一本を取り出した。柴原がまた苦い顔をする。
「大倉………最後に聞いていい?」
「あ、最後?」
 聞き捨てならない言葉に動きを止めて、俺は煙草を口にくわえながら、榊を見た。
「大倉は、寝るときにメガネ外す方?」
「………外さないで寝る人間て、あんましいないんじゃない?」
 柴原は両腕を組んで、呆れたように横槍を入れた。
 多分、そういうことを聞きたいんじゃないと思うが。
「普段横になって寝るときは外すが、昨日はさすがに張り込みだからな、寝たくて寝たわけじゃないし、メガネは掛けて………あ」
「ん?」
「確か、最後に目覚めたときには、掛けてなかった」
「なんで?」
「知らん。俺が外したのか、はたまた誰かが外したのか」
「ふーん………」
 どこか明後日の方向を見ながら、榊は顎を撫でた。
「犯人分かった?」
「まあ、大体………」
「え、ホントに?」
 柴原が身を乗り出した。まあまあ、と柴原の肩を軽く押し戻して榊が咳払いをする。
「まあ、前から言ってるけど、僕は現場にいたわけじゃないから、仮説の域を出ないよ」
 と言う割に偉そうな態度は謎解きをする気満々だ。
「刑事Aは、十時に車を出てった。てことは、十時から十時半まで大倉は、一人で張り込みをしてたんだよね」
「まあ、そうだな」
「起きてたんだろうね」
「そこまで怠慢じゃねえよ」
「その時、大倉は当然メガネを掛けてたね。じゃなきゃ張り込みは出来ない」
「まあ、そうだな」
「話だとその後Aは戻ってきてないから、当然Aがメガネを割るのは無理だね」
 榊は言い切って、続けた。
「次に、刑事Cは刑事Aの忘れ物を取りに来ただけだ。窓越しに刑事Bから受け取ったと思う。刑事Aの忘れ物が後部座席にあったんなら話は別だけど、二人で張り込みをしてるのに一人が運転席、一人が後部座席ってのは変だ。だから、僕はBから受け取ったと、そう思う。
それにCが大倉のメガネを割るのはよほどのことがない限り難しい。車の中に入る理由がないし、なにしろ刑事Bの目がある。
多分、寝ている大倉のメガネの状態なんて知ってるはずないんじゃないかな」
「ってことは………刑事B?」
 しぶしぶ、といった感じで柴原が聞いた。いかにもつまらなさそうだ。
「消去法だとそうなるね。
刑事Bが割ったのなら、捕り物が失敗に終わったその場で謝るか黙るかだとは思う。
けど、捕り物が終わった時点で、大倉刑事と刑事Bの帰路は多分同じで、その車の中でメガネが割れた話が出ないのは不自然だ。
刑事Bはそれには触れずあえて黙ってた。
 あえて、その話題にされるのを避けてたみたいだよね」
「………ふーむ。でも、それじゃ順当だよね」
 柴原がもっともなことを言う。
 確かに、一番実行しやすい人物が実行しただけだ。
「事故にせよ故意にせよ、メガネが割れて、話がそれだけじゃ動機も何にもわかんないよ。僕が今の情報から出来るのはそこまで。メガネを割った経緯は刑事Bにも聞くんだね………それにさ」
 コーヒーを一口飲んで、榊は言った。
「これは事件じゃないからね。その程度の理由だよ、きっと」
「そうかなぁ……」
 柴原は腑に落ちずにグルグル頭の中で考えているようだった。
俺は隣で煙を吐きながら、西日の差す窓を見た。店内はこんな有様だが、立地条件はいい。外は鮮やかな午後の街並みが続いている。
 少しして、携帯が鳴った。
自分のモノかと思ったが、着信音が違う。確か映画『サマーナルシスト』のテーマだったと思うが、俺はそんな設定をしていない。
「はい柴原………はい、え、う、おう、今、どこって………取材中ですよ。っていやいや、嘘じゃないですって!」
 声を荒げて、立ち上がる柴原。会話の間にもカウンターに広げられたものが、あっという間にしまわれていく。電話の主はおそらく、出版社のお偉いさんか何かだろう。
「なんかあったんですか………いえ、それは戻ってから書きますって。はい………はい。分かりました。んじゃ、一旦戻ります」
 財布の中から、千円札を取り出して、ひらひらと榊に見えるように降る。榊が頷くと、柴原は千円札をカウンターに置き、俺に手を振りながら鞄をかついで、夕暮れの町をあわてて飛び出していった。


 −4−

「さて」
 笑顔で、このカフェ・バー「悪の巣」の主人はにこりと笑った。全身に鳥肌が立つ。
「『邪魔者』は消えたし、余興はこの辺にしようか。大倉刑事」
 こうしてカウンター越しに、この榊の顔を見るとき、俺は無性にある問いをぶつけたくなる。
『お前は、本当に俺の高校時代の友人なのか?』
 悔しさ紛れに灰皿に煙草を押し付けながら、代わりのセリフを口を開く。
「さっきの電話は、お前か」
「柴原の所の編集長さんはここの常連でね。さっきコーヒーを持ってくる時に「柴原がサボってます。ただ、すぐ電話されると僕が連絡したことがばれるから十分後に電話かけてください」って電話しただけだよ」
 正直、厄介だ。こういう奴とは、やりあいたくはない。
「ってことは、あの時もう分かってたんだな、お前」

 午後四時過ぎの、カフェに気まずい雰囲気が漂った。
 おそらく、全てお見通しなのだろう。
 店内は別に暑くもなかったが、額から嫌な汗が流れた。
 榊は溜息混じりに、静かに話を切り出した。

「さっきの話でおかしいのは、刑事Bじゃなくて、話に出なかった刑事D、君だね、大倉刑事」
「…………お見事」
 俺は低く、静かに言った。
「この場合、僕は試されたとみていいのかな?」
 口調は軽いが、その底は笑っていない。
「まず、話に矛盾があったね。
 メガネが割れたタイミングだ。
君は話の最初に、初めて気付いたのが朝と言った。
けど、君は話の最後の方で張り込みの時、車の中で割れたと言った。
正解はどっちなんだろう。
 メガネが割れたタイミング、そんな一番重要な情報を刑事である君が矛盾したまま放置しておくとは考えられない。

 それを踏まえて、さっきの刑事Bの話。
君の話は午後十一時の張り込み終了で終わりだったけど、その後の帰り道で刑事Bが黙っているならともかく、君のほうがメガネの割れたことに気付かなかったのは、さすがにおかしいね。
 としたら、割れたタイミングは朝の方が正しいのか。
 でも、それなら逆に張り込みの話は要らなくなるよね。
話は大倉刑事の寝相か、寝る直前の状況、または、さわやかな朝の通勤風景が中心になる。
君は自分が話した「メガネが割れたタイミング」に矛盾があることに、気付かなかったんだよ。

 その時、僕は刑事Dの存在を思いついた。
そもそも話自体の根底に矛盾があるなら、その話の全てが創作である可能性はないか。
その話し手が犯人である可能性は、本当にないんだろうかって。

ただ、メガネはもう割れている。それは紛れもない事実で、仮に僕の仮説が正しいとしたら君は『自分が犯人だ』と、僕に言ってほしいことになる。
 言い換えれば、刑事D、君はなぜメガネを割ったのだろう。

 そもそも、君はなんで、創作なんてする羽目になったんだろう。
 はじめから話をじっくり話を練ったなら、頭と最後が違うなんて初歩的なミスは犯さない気がする。
 それじゃ、君は今の作り話をとっさに、『アドリブのように』作らなければならなかった。
 たとえば、ここに入る直前とかにね。

 君がいつも座っている席は、西日が差すからそこに座る客は滅多にいない。ただ、西日が差すってことは、窓から見えるんだよね。
いつも座ってる席に誰が座っているか、外から見れば、分かる。
 ………柴原が、いたね。
君はなんらかの事情で柴原が邪魔だった。
しかし、ここは休憩場所に使われることもある。このまま何時間も居座られてはかなわない。
 だから、君はあえて店を訪れ、彼の嫌いな煙草を散々吸って、彼を追い出す作戦に出た。結果的に編集長からの電話が来て、彼は店を出て行くことになった。君の願いは、少なからずかなえられたわけだ。

 君がメガネを割ったのは、その『何か都合の悪いこと』を柴原に突っ込まれる前に話題をそらして、作り話の謎解きを柴原にもさせるための、一種のカムフラージュだった。
情報を散らして、僕にも解けなくさせるために、わざとぼやかすように作った。だが、散らしすぎて矛盾が出たところを、君は僕に突かれてしまった」
 俺はテーブルを叩いて、息をついた。
「さすがだな」
「ま、メガネを割るなんてことをしなくても、話を繋げられたような気がするけど………最初のインパクトを大きくすることで、メガネの話に入りやすくした、ってとこかな?」
 カウンターの上を拭きながら、榊が続ける。
「それで、本題は? 急ぎなんだろう?」
「え?」
「柴原がいるのに出直さず、メガネを割ってまで退場させようとした。つまり君、もしくは君が話す内容には、悠長に構える時間がない。大方、さっきのエンドーアビオニクスの件かな」
 とぼけたように榊が言って、俺は最後の溜息をついた。
 自分のコーヒーカップと灰皿を右に移して、柴原が飲んでいたコーヒーカップをカウンターにあげる。
「席、移っていいか?」
 返事が返ってくる前に席を移る。カウンターにあがった空のコーヒーカップを片付けながら、榊が言った。
「話が長くなるのでしたら、コーヒーをもう一杯、いかがです?」
『長居をするなら、ついでに何か頼んでいただけると経営が助かるのですが』と言う笑顔の意図を読んで、俺はメニューを引き寄せて言った。
「とりあえず、コーヒーは安い奴でな」
 榊が、満足そうに微笑む。
「まいど」




[終]