「珈琲舞曲」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



 間が悪い奴、というのは世の中どこにでも必ず一人は在る物らしい。
 私は今持ち上げた電話の受話器を下ろして、自室へ戻った妹の衿子がつけっぱなしにしていたテレビに見入った。
 ニュースがちょうど、電話をかけようとした当人を告げていたからである。
『本日正午ごろ、縦浜市浅葱台の商店街で無職、安藤正容疑者が女子中学生、浅原里美さんを包丁で刺し、路上で動かなくなっているところをやってきた警官によって現行犯逮捕されました。浅原さんは背中を刺され、救急車で病院に運ばれましたが、まもなく搬送先の病院で亡くなりました。動機などは分かっておらず、現在警察が取調べ中です』
 淡々と事実だけを告げて、テレビは見慣れた近所の商店街を写している。別段事件と関係ない他人がインタビューに答え、午後六時のニュースは何もなかったかのように次に移った。
「あらやだ、今の近所じゃない。怖いわね」
 無責任なことを言いながら、暢気な声が夕暮れ時の台所から聞こえてくる。
 殺された知り合いをバカにされたような気がして多少こめかみの辺りにもやあとした怒りを覚える反面、何も知らない母に同情すら覚え、私は無言で立ち上がる。
 リビングの入り口でぽっかりと口をあけたような格好の長鏡で髪を整えて、一昨日新調したベージュの通学用コートを手に取った。
「母さん、ちょっと出かけてくる」
「あら、夕飯は?」
「いい、ケッちゃんとこで済ませるから」
「なら早く言いなさいよ。作っちゃったじゃない」
 困ったような、少し怒ったような口調を私は無視して、リビングを出た。どうせまともにやりあったところで親という立場でねじ伏せられるだけだ。抵抗するだけ無駄である。
 靴を履きながら、私も結婚して子供を持てばああなるのかと思うと、無性に未来への興味を失った。来年は受験という出来レースとやらに家畜の如く追い立てられるのであろうが、既に今の自分でさえ親の嵌めた首輪であちらこちらへ引き摺られ、まったくの身動きが取れていない。
 今のところは募る苛立ちを玄関に荒々しくぶつけ、私は冬空の元を歩き出す。
 外に出れば、寒中二月の灯下をぞろぞろと、停留所の方から仕事を終えたProletariatがまるで行儀悪い蟻の群れのように路の端から端へ、そわりそわりと足音を立て此方へ向かってくる。以って、家族の為自分の為とは言え、お疲れ様である。
 父の姿は残念ながら群の中に見当たらず、どうやら今夜も家庭より仕事を愛するようであるのが予想できた。このように捻くれ曲った思春期の愚娘を育てるために顔も見せないほど働けるのは幸か不幸か、どちらにせよ、畏敬の念を込めてお疲れ様である。
 そんな皆目味気のないベッドタウンで死んだ眼の労働者達の波を分け、数日前からただの壁を絵に描く奇妙な男を横目にすり抜けると、私はただ「ケッちゃん」こと坂戸啓治郎が憂世の間に息つくカフエを目指して進むのであった。
 とはいっても、別段私と浅原嬢との間には深く交友の情があった、というわけでもなかった。小学校で一年ほど同じ級友として過ごしたものの、中学にあがってからはただ顔がすれ違うだけの仲であった。まともな会話も記憶にはない。
 彼女は私が接するに特に変わった風もなく、多少地味ではあったが平々凡々、一般家庭の娘としての器量と常識は持ち合わせていたはずである。奇妙な噂も碌には立たないものだったし、色々と稚拙な感情を織り交ぜた、いわく乙女の好むような「浮いた話」とやらもついぞ耳にすることはなかった。
 そんな現代の希薄な子供模様な関係ではあったが、彼女と私とには一点だけ、最近の時分に奇妙な共通の関係を耳にしていた。間接的ではあったが、それが起因としてこのような事態が結論として在るなら、最早私も無関係、と白を切るには少々心持が悪かった。
 それらを確かめるべく、私はこの夜の街に「確認作業」という括りで分類される作業へと、躍り出た訳である。
 もしかしたら読者諸兄は日も沈んだというのに十四の小娘風情が、ましてやカフエを目指して往来を歩くものではないと憤慨するかも知れないが、それもまたそういうのが許容されるような時代になった、ということである。まったく、過ごしやすく棲み辛い世間になったものだと、昔を兎角知りもせずにそう思う。
 ケッちゃんがいつも居るカフエは、自宅より十五分ほどした店並びの外れにひっそりと佇むように建っていた。まず誠に興味深いことに、店名がない。もしかしたらカフエというのが店名なのかもしれないが、看板にはカフエと描かれただけで、それらしいものはない。
 古びた木製の扉を引けば、いつものようにガランと、間の抜けたような澄んだ音がする。室内には馨しい珈琲の香りと少しの煙草の匂いが満ちており、モダンな体裁の落ち着いた色調が、洒落た瓦斯灯に彩られて靄のかかったように私には映った。
 新に入ってきた客のためか、その体裁と年端の不釣合いなものを見てか、私は自然と客の視線を集めた。「秘密」を知られるのは多少気恥ずかしい気もしたが、ここに来ればいつもそのような扱いなので、大して気にもしなかった。
 店内を一度くるりと見回して、奥の薄暗いカウンタアにケッちゃんを見つけると、私はその隣に臆面もなく腰掛けた。
 ケッちゃんはいつもの通り、薄暗い隅の席で原稿用紙を前にぶつくさ何事かを呟いていた。彼を知る者なら見慣れた行動ではあったが、その言動は誠に奇異である。なんでも大学で文学を専攻しているらしい上、一端の文章家のように年中物を書いて居る。これだけ書けばなんだか大層に見えるものだが、私からすればいつも無愛想に偉そうな物言いをするか、ただ唸っているだけかの青年であった。
 両親には、ケッちゃんとは一つ年上に居る仲の良い先輩だということにして有り、当然五六も年上の男との交友関係があることは告げていない。もし発覚でもすれば後の惨澹たることは目に見えている。が、いつどこからかこの嘘が剥がれ落ちるかというスリルでさえ、今の私には生きる上で必要な刺戟であった。あの鬱々とした堅苦しい家に年中閉じ込められるよりは、この奇妙な店の中がよほど魅惑的に映ってもいた。
 この店が昼間の時分に喫茶を営んでおり、私が試験勉強途中に隅で寝てしまった時、夜になってその席をいつも特等としていたケっちゃんが困り果てて私を起こしたのが彼との出会いだった。隅でないと落ち着かない、という神経質な性格は今も治っていない。
「ケッちゃん」
「ン……アァ、君か。一寸好きな物でも飲んでいてくれ。今、好い所なのだ」
 挨拶の心算なのか、ケッちゃんは視線も寄越さずに一度左手を軽く挙げてそれだけを云うと、白地に枠線の引かれた粗い原稿用紙を相手に、またむっつりと黙り込んでしまった。彼の視線など此方に向く事もなかったが、私は無言の間に隣に居ても良いのだという許しのようなものを得て、得意なような、少し気恥ずかしいような気をしてMenuへにやけた貌を埋めた。
 視線をそれとなく隣へやると、二三席開いた先の男女が私を見ていたらしく、視線がかちあった。やはりこの空間に私が異質だとでもいいたげに、女の方がやたらに可愛いものでも見る眼で此方に小さく手を振った。
 憮然と睨み返してやったが一篇効果は無く、それどころかその行為自体が児戯のように虚しいものに感じ、私は視線を逸らした。
 男女はそれきりこちらには興味を失ったようで、「何時もの」と慣れた手つきでマスターにカクテルを注文しているのを横目にしたが、私がアルコオルを頼むわけにも行かない。華やかな色をした酒のずらりと並ぶMenuの端で、私はまるで自分の様に居心地悪そうにしている珈琲を注文した。
「オヤ、今日は随分と大人ですな」
 主人はいつもそう言って客の私を見下ろした。三十代にして人当たりの良い性格ではあったが、私はあまり馴れ合いの好きなほうではなかったから、あからさまに馴れ馴れしく話しかけてくる男は好みではなかった。
 対照的に、直ぐ壁の手前に有るケッちゃんはそんな私を助けることもなく、相変わらずの無表情を貫いたまま、貧相な身形には分不相応な万年筆のインクをせわしなく原稿に落としていた。
 私はそのケッちゃんの顔を見る度、ひどく曖昧なものに耽溺するという、その癖の治っていないことを知る。私は俗世と幻の境にある店で、煩悩と無心の境に立っているこの表情にひどく惚れていることを前から知覚していた。
 ふとすれば胸の内から膿んだような醜い感情が沸き立たつのを感じ、むず痒いような寒気に背を震わせる。じいと見ていれば、普通の人は大概気になり筆を置いてしまうものだが、ケッちゃんの顔は今までそういうことは一度も無かった。
 そうやって、私は珈琲が運ばれてくる暫くの間、彼の隣で軽い恍惚に似た刺戟を堪能し、またその小さな幸福に身を委ねるのが常であった。
 これを恋と呼ぶならば、まったく乙女というものは得体の知れない異質な感情に苛まれていることが窺い知れる。それになんてことはなく、私もその恋する乙女の一人とやらであった、と言うだけの話でもある。無論、今日の本題は其処ではない。
 珈琲が運ばれて来てから、私は彼の容貌から意識を離しなんとか心持を整えると、彼もまた何事かを悟ってか珍しく原稿用紙を纏めた。
 きゅう、と窄められた細い眼が私の方を向き、端正を奥に秘めた不精の顔に、私は押し黙ったように下を向いた。視線を逸らしたその一瞬に、彼は私をわざと突き放すように、主人に度の強そうな酒を頼んだ。
「突然来るのは何時もの事だが………今日は取分け、急ぎの用件と見ていたのだが、違うのかね」
「………あれは、何の心算なのですか」
「なんの事かね」
 ケッちゃんは全く表情を変えずにキッパリと放つ。全く知らない様に見え、あくまで私に全てを語らせたがるような素振りにも見えるので、その腹積もりは私には窺い知れない。ケっちゃんは薄っぺらい紙の様な身形で、実は奥深い複雑の情を内に秘めていた。私などの小娘には到底理解のできぬその域は、ミステリイではなく、ラビリンスの意に近いと云えるのかも知れなかった。
 とは言えこのままでは話の進展は到底望めないので、私は今しがた耳にした浅原嬢の逝去をケっちゃんに聞かせると、彼は今一度「フム、あの娘か」と漸く合点したように頷いた。浅原嬢と私とは、この店が昼間の喫茶の時分に良く顔を合わせることがあり、ケっちゃんにもその話をしたことがあった。浅原嬢がこの度の不幸に巻き込まれた時に直感的に、私はケっちゃんの仕業だと、そう確信めいたものを思っていた。
「成程な。君がここに来た訳は、そういうことなのか」
「あなたなら、造作もないことでしょう」
 少し強い私の言葉を、ケっちゃんはただ目を細めて聞いていた。自嘲のようにも、自戒の様にも見えるその表情はケっちゃんが私を見る時にする、一番多い顔でもあった。
「そうだな」
 ややあって、彼はその可能性を認めた。
 私たちのただならない雰囲気に、主人は頼まれていた紫色の葡萄酒らしき杯をケっちゃんの前に慌てて置いて行き、ケっちゃんは私を哀れむようなあの顔でそれを見定めたり、あるいは揺らして暫く吟味する。そして一口、舌に湿らせると、満足そうに口の端を歪めた。
 ケっちゃんがその手で人を殺せることは、私にとって何よりの好奇心でありミステリイでもあった。理由は知らないが、彼はいつからかその筆の先に書いた文字の現象が全て道理の通る程度ならば実現が出来るようになった、と言い、実際私の前で何度かの奇跡を実現せしめて見せた。
 幸いなのは、それが辻褄の合う現実符合に基づいた小説のみに限られることであり、ケっちゃんにはその現実性を追い求める社会性が物語の上にないということである。論理よりも浪漫を追及するあまり、物語が破綻することもしばしばと言う具合で、この奇跡の右手がその実証を成した、という例はあまりにも少ない。
 また、この右手の実証がケっちゃんの確信に代わってから、彼はさらに社会整合の有る物語を書かなくなった。たまに己の心裡に疼く現代不条理を吐き出すように綴ろうとも、それはどこかその辺でにあるような他愛もない――――言えば、日常的で詰まらない物語ばかりなのであった。
 しかし、今のケっちゃんの顔にはそれらに対しての後悔の念が強く滲み出ていた。或いは、先ほどの告白で全てを自白していたのかもしれないと、私はその時になってようやく気付いた。
「やはり、死者が出たのか」
 ある程度納得したような面持ちで、ケっちゃんはその鋭い眼差しを深紫のグラスの底へと落とした。その顔には会心の作を書き抜いたという達成の色は無く、ただ私へ見せまいとして隠れる色濃い疲労と後悔とが垣間見え、私はいたたまれなくなった。かといって、彼にかけるような色気じみた言葉も到底思いつくわけも無く、私は彼と同様、友人をただ無作為に殺したことを責めた事実を悔やんだ。
 彼はただ事実に似たような物語を書いただけであり、それに法的な束縛は無い。が、彼の右手は間違いなく人を殺しえたのである。故に生じた後悔は無駄なものではなく、また単純に偶然の一致として片付けられる事実でもなかった。
「分かっていて、どうしてそんな物語を」
「………君は分からんさ。自由に物の書けないこの苦しみは」
「だから、試したのですか」
「実際、この世をありのまま描く方が私にとって楽なのだよ。今迄、散々他の方法を模索したがしかし、それでは満足いく境地へと辿り着くことは到底出来なかった」
 それは、皮肉というにはあまりにも酷と言えた。何時も無愛想なケっちゃんはやはり無言でこの夜を過ごしてはいたが、様子が違っていた。人を手にかけた興奮と、その秘密に押しつぶされんばかりの自我を保つので精一杯なのが隠されていても、さすがに判った。
 暫く私はその沈黙にただ座して待つことのみを強いられたが、不意に或る疑問が沸いて、胸の内を過ぎった。それはただ胸の内を凝らすのみならず、ついには自然と口を突いた。
「書くことを、止める気にはならないのですか」
「なぜ、私が辞めねばならんのだ。理不尽な理屈が偶然を伴うだけで、私が筆を置く理由は何一つ無いではないか」
「でも、その偶然でケっちゃんは気を病んでいるのではありませんか」
 これ以上彼を見ているのに居たたまれず、私は早く元の彼に戻したい一心で彼の迷いの深奥を貫いた。
 喉の奥に詰まっていたらしい細かい息が漏れ、ケっちゃんはカウンタアへ肘を突き、額に組んだ両手を当てて、今度はいっとう深い息を吐き出すのを見て、私の胸はぎりりと締め上げられるような思いがした。
「…………頼むから、判ったような口で私を困らせないでくれ。私からこの筆を取り上げたら、一体何が残ると君は言うのだね」
 そうまで云われたら、私は口を閉ざすしかない。深奥を貫いて、その後にどうこうできる力も言葉も、立場さえ持ち合わせていない自らがひどく惨めで、未熟に感じた。
「何かと流行や世情に疎い私の為に、この筆が世の全てを見せてくれていると考えれば、酷く楽なのだろうに」
 言い放つや、ケっちゃんは覚悟を極めたようにグラスをぐいと傾けて、その後立ち上がった。
「ともあれ、報せてくれてありがとう。もう少し家で考えるので己は帰るが、君もそろそろ帰りたまえ。君が来るにも遅い時間であったが、帰るのにはもっと遅い」
 はたと気が付いて店の時計を見ると、九時を幾らか回っていた。大して居ないと思い込んでいたが、やはりこの店には異質な空気が流れているためだろうか、そう思えた。隣の男女も既に姿無く、夜の街を消えていったものと思われる。
 ケっちゃんが居なければ、ここに居る必要もないので頷くと、ケっちゃんは壁際に掛かっている茶色の粗末な外套を身に羽織り、至って昔風の帽子を頭に被ると、鞄を持ち上げて此方を向いた。
 既に無愛想に身を整えた、考え深げな顔が私の視線の遙か上を過ぎ、主人に代金を手渡して、私たちは店を出た。
 寒風が吹き、身を竦ませる。人影の疎らとなった通りの入り口には街灯の他に、幾つかの店がぽつりぽつりとその営みを灯すのみであった。私は一度ケっちゃんの顔を見上げ、先ほどの遣り取りを反芻していると、彼が不意に顔を此方へ落とした。
「なんだね」
 白い息をこうこうと吐きながらケっちゃんが云ったので、私はなんだか悔しくなって、
「なんでもない」
 と云った。彼は少し訝しげにこちらを見たが、その視線の奥は、やはり私には分かりかねた。
「それでは、これで失礼するよ」
「うん」
 素っ気無い別れではあったが、それが良くも悪くも彼であり、私の心地よいと感じる域の付き合いでもあった。別に彼にどうとされるわけでもなく、ただ傍に寄り添えれば、私はそれで良いのである。このような想いを抱いている訳で、これ以上の行為を下賤とは思いはしかったが、私はそれを求めているわけではなかった。
 家の反対側に去ってゆくその影を何時ものように見送ると、急にその重苦しい雰囲気から解き放たれたかのように、私は空腹を覚えた。
 帰途でコンビニエンスストアに寄り、手頃な食材を購入して店から出ると雪がちらついて居た。「道理で寒い」などと店の前で屯していた緑髪をした不良が云い、一度だけ眼が合ったが、私は其れが怖くなり急ぎ足でその場を立ち去った。
 そのまま走り出した途端、闇夜が急に膨らんだかのように目の前に広がり、私は寒いのも承知でその夜道を駆けた。
 途中、自動販売機の前で各々手を擦り合わせて笑う男女や、宵の口に入り赤ら顔で肩を組み千鳥足で互いに支えあう労働者などの全てを振り切って、私はひたすらに涙を流し、激しく鳴り響く動悸の鳴るままに、自分の未熟を悔いた。



 後日、あのカフエの主人から古びた封書が手元に届き、中身を開くと旧字の達筆な字で綴られた一編の物語が黄ばんだ原稿用紙へと封されていた。「珈琲舞曲」と題された物語は、孤独な一人の青年に恋を持ち、何時も話し相手になっていた少女の歪んだ思春期の内面を描いた、多少斬新にしても、取るに足らない愚作であった。
 なんのことはない、私もただ彼の持つ「右手」が綴る物語の一部であったに過ぎなかった。その悔恨の意を込めて、彼は其れを私へと遺したのだ。
 同封されていた手紙には『之より死に至る事、赦されし候』と、文面と同じ達筆な楷書体が綴られていた。私が殺したのだ、間違いない。
 記された日付は八十年もの昔、彼は何らかの方法で―――或いは筆の力を借りたのかもしれないが―――未来より私の言葉を持ち帰り、あの夜に首を吊って自ら命を絶っていた。
 今でも私はあのアメシストのような深紫のグラスを見るたびにケっちゃんの事を想い出し、あの不精な横顔に寒気のような愛惜を感じることが度々在った。
 だがしかし、私はあれきりケっちゃんに会っていない。




[終]