第一章:合鍵同盟
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



    −1−

 どわっ。

 四限終了直後の小ホール・購買前を一言で表すなら、これだ。
 ごった返す人の波、後ろから押されるは踏まれるわ。
 まさに踏んだりけったり。

「っと、おわっ」
 そばにあったやきそばパンをつかんだ後、秋山武志は後ろから体当たりのようなものを食らった。
「って……」
「いったぁ……」
 後ろでぼやく女子生徒もどうやら押されてきたクチらしい。ターンできないので良く分からないが、二、三言呟いた後、大騒ぎの中へ消えた。
「くそ……」
 位置取りが悪くなってきた。
 実際、学校内にこれだけの人がいるもんなのかと思い返しながら、武志は一度戦線を離脱することにした。
 人垣を一気に抜けると、少し離れた定位置、四限のない奴らがのんびりと昼を食べながら醜い争奪戦を眺めるという嫌な席に、問題の男が座っていた。
「お、やきそばパンゲットしてきた?エライエライ」
 手を伸ばそうとする男に間一髪、武志はそれをかわして振り返った。
「まだ会計済んでねえよ」
 とりあえず、こんなちんけな犯罪に付き合う暇はない。
「あ、そなの。それじゃ、再びいってらっしゃ〜♪」
 上機嫌で手を振る男に武志は何も言わずに、再び並んでんだか並んでないんだか良く分からない並びに突っ込んだ。
 脳裏に思い返される忌々しいあの出来事。

 あの時、チョキさえだして反撃していれば、あの席に座っていたのは俺だったのに。

 毒づきたくもなる。
 波を反対側に抜けると、長い長いカウンター。
 その上に、膨大な数のパックジュースがランダムに並んでいる。
「俺、これ」
「あいよ」
「私、それーっ!いちご牛乳ッ!」
「あいよ」
「………どれにするかな」
「あいよ」
 せめてパンと会計別にすればいいのに、うちの学校は奇妙なところで合理化が進んでいる。しかも会計をさばいているばあさんがなぜか一人でこれをまかない切れているのが学校の七不思議のひとつだ。
「ミルクティー二つと、これ!」
 カウンター最前列までたどりつくと、武志は開口一番、早口でまくし立ててさっき棚から回収したパンと五百円玉を突き出した。スピード勝負なら、武志だって負けない。
「あ、アタシそれーっ、いちご牛乳!あーっ、盗るなーッ!」
 さっきからやかましい横の女が叫んだ。どうやら、いちご牛乳が目当てだが、どうやら遙か遠くにあるらしい。
「これください」
「あいよ」
「俺はそれだーっ!」
「あいよ」
 はっきりいって、やかましい。
 しかも、気合入れても「それだーっ」で分かるわけないだろう。
 相変わらず奇妙な相槌を聞いているうちに、速攻でつり銭が返ってきた。

 その時だった。

「武志っ!来たぞッ!」
 ざわめきの、波の向こう側。「嫌な席」に座ってるはずの方から、聞きなれた声がした。 よほど聞きなれていないと分からないくらい小さかったが、それでも相方の佐々木達矢の声くらいは分かる。
 そして、それが警戒警報であることに。
 武志は一気に波を駆け抜けて廊下に躍り出ると、相方の位置を確認した。
 もう既にさっきまで余裕しゃくしゃくで買物帰りの武志を待っていたはずの達矢は、既に少し先にあるL字廊下の接合点まで距離を置いていた。
「早くっ、武志!」
 武志は買ったパンとパックを達矢へ放り投げると、自分の分の袋を握り締める。
 そして、こっちから見えるその反対側の廊下からエラくどす黒い殺気がこちらをにらんでいるのを確認した。
「秋山ッ!佐々木ぃッ!」

 やばいっ!
 眼が合った!

 付近の生徒が何事かと振り向いた時には、武志の身体は既にL字廊下へ向けて走り出していた。
「待ちやがれッ!このアホ生徒ドモッ!」
 後方の「殺気」も猛然とスパートを開始するのが足音で分かる。

 一、二、三ッ。

 校内で唯一のL字廊下を曲がる。
 長い長い廊下に、人はいない。
 ありったけの力を込めて、再び廊下を駆け出す。
「うわっ、来たーッ!」
 達矢がこっちを見たらしい。
 なにがそこまで俺達を追い詰めさせるのか、「殺気」の有様を目の当たりにしたんだろう。声が震えている。
「ちえぇーすとーっ!」
 数瞬の後、世にもおぞましい声が上がった。
 来たッ!
 後方から来た、おぞましい天敵の声。
 武志は背を向けていても、なんとなく何かを振りかぶったのが予想できる。
 そして、これが凌げれば相手が追いかけてこられずに勝てることも。
「おりゃーッ!」
 女とは思えない掛け声と共に。
 その何かが放たれた。

 どごっ!

「ぐはっ!」
 生々しい音。
 やられた。
 ……達矢が。
 目の前でうめき声を残して達矢が崩れ落ちる。
 背中にはテニスボールが見事に突き刺さっている。
 その影の横を無情にもすり抜けた後、武志は階段に差し掛かるところで、一度だけ振り返った。
 上体をあげたままの達矢と目が合う。
 後ろには、昼にもかかわらず紅い眼光を放つ保健医の坂巻が仁王立ちで目の前の獲物を見下ろしていた。
「た、武志ィーっ」
 情けない声で叫ぶ達矢。
「ふっふっふ。佐々木達矢ほかーく」
 手をわきわきさせた後、坂巻は達矢の首根っこをつかんだ。
「ぐわっ」
「ほら、秋山武志。友達が苦しがってるぞ」
「………」
「友達を救いたかったら五限の授業にはちゃんと出なさい、午後サボりツインズ。昼飯は保健室で食いなさい」
「武志!オレに構わず先に行けーッ!」
 間抜けな三文セリフを昼の廊下で叫ぶ達矢。
 とりあえずどう返そうか悩んだが、
「おう、後は任せた!」
 達矢に笑って一目散に走り出した。
 じゃんけんの借りは、これで返った。
 踊り場の所で相方の声と分かる断末魔が聞こえたが、とりあえず武志はこれを聞かなかったことにした。