「日常」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



「…………あれー?」

 校門に差し掛かるところで、私は疑いが核心になると同時に歩みを止めた。
 結果、先に行く羽目になった悠子が二、三歩前から私を振り返る。
「………さっきから、どしたの?」
 ちょっと坂になっている校門の手前側と外側に互いに立っていると、私たちの横を数人がそぞろに通り過ぎてゆく。顔の明暗がくっきり分かれているのは、これからある春休みのせいと、春休み効果すら効かないほど成績が悪かったかのどっちかだろう。
「携帯、どっかに忘れてきたみたい」
 そういいながら、念のためとばかりに鞄の底を確認してみるがやっぱり携帯の姿はない。同時に心当たりを探りながら、最後に確認した場所を思い出す。
「おかしいなぁ………帰りにちゃんと入れてきたと思ったんだけど」
「………心当たりは?」
「今のトコ教室くらいしか」
 最後に見たのは確かに教室だったけど、教室に置き忘れた実感はなかった。
 でも、実際手元にないのは確かだ。
 行ってみないとそれが真実かどうか確かめる手立てはない。
 それを察したのか、悠子が顔を少しだけ傾けた。
「一緒に行こうか?」
「ううん、先に皆のところ行っててよ。後で合流するからさ。駅前のファミレスでいいんでしょ?」
 念押しのように言うと、少し不満そうな顔をした後、悠子は首を縦に振った。
「じゃあ、後で必ず来なさいよ。あんた何かっていうとすぐ逃げんだから」
「了解。じゃ、また後でね」
 軽く手を上げて、入り口の坂を悠子が降りてゆく。後姿を少し確認して、私はゆっくり、元来た道を戻りはじめた。


 昇降口につくと、もうあらかた下校は終わりなのか、ぱたりと人気が途絶えた。
 今日だけはけじめ、ということなのか部活も禁止なので、辺りに制服以外の人間もいない。
 ざわりと、昇降口横にある木が強い風を受けて大きく揺れた。少しその背の高い影を見上げると、私の髪もすくい上げられるようにして春の風に舞う。

「…………ついにあと一年かー」

 今までの二年間が終わったことに特に感慨はないが、後一年、という差し迫ったものは薄々感じている。
 初めて高校受験の模試を受けたりもしたし、大まかな進路希望なんかもやった。
 部活は次の試合が最後、って言うクラブもあったり、クラスでも友達関係が変わっていて、最初仲良かったのに、最近もうなにをしているのかさえ分からない子もいる。
 どんどん周りが変わっていって、それに応じて自分が変わっていく。
 悪いことじゃないけど、とても怖い。

「………やめやめ」

 頭を振って気分を切り替える。私はそんな柄じゃない。
 それに、そんなことは、三年になってからうんと悩めばいい。
 第一、こんなところでしんみり浸ってる場合じゃないし。
 切り替えて、当面の目的を思い出す。
 とっとと携帯見つけて、悠子たちのところに行こう。
 昇降口に入ると、室内に入ったせいか、やたら空気が変わった。
 これから休みに入るので、おそらく大多数の窓が閉められているのか、空気が止まっていた。
 強い風はここまで届かず、比較的頑健な窓の並びは音もしない。
 そのまま自分の下駄箱に手をかけて、履き変えようとした時、私はふと、段差の方に「いつもないもの」を見つけた。
 かなり履き潰された感じのスニーカーが一足、それでも丁寧にこちらを向いていた。
「…………」
 同じ目的の人が、いるのかな。
 少し異様な状況だったが、私はそこに得体の知れない安堵を感じた。同族意識というと相手に失礼かもしれないが、大別すればそんな感じだ。
 スニーカーを眺めながら通り過ぎて、私はぱたぱたと人気のない廊下を歩き出す。

 どこからか流れてくる、暖かな風の匂い。
 まだ昼時をいくらか回ったの鮮やかな日差しは、対照的に薄暗い廊下へと差し込み、この孤独を一際強く感じさせる。
 外に広がる喧騒をものともしない圧倒的な静寂に満ちた、誰もいない学校。
「………」
 開放的でありながら、明らかに感じる異質なものに混じる興奮と緊張。
 辺りを見回せば見回すほど、その緊張と、居心地の悪さに拍車がかかる。
 小学生の時に誰もが一度は感じる、延々と続く孤独感。
 それが今、ここにある。
「早くかえろ………」
 言い聞かせるように足を早めながら、教室まで最短距離を通って、目的の教室へ向かう。
 窓はやはりすべて閉め切りになっており、日差しの暖かさと、この廊下の冷たい空気の差に異質を覚える。
 春、というのにはあまりにもこの場所は殺伐としすぎていた。

 教室のある三階まで登り終えて一息つくと、私はそのまま、一番近くにある教室の引き戸を引いた。

「………………」

「…………?」

 突如、視線がかち合う。
 人間?
 ………この学校の男子?
 でも、見覚えはない。
 教室間違えた?

 でも、その考えは間違いだと分かる。

「あ、えーと………」
 教室にたった一人残っていた少年は、私の携帯を握っていたからだ。
 私は訳がわからなくなって、彼からひったくるようにして携帯を取り上げた。
「な、なんで、あんたが私の携帯持ってんの!」
 もしかしたら、中見られた?
 そんな危惧が頭の中をぐるぐる回る。
 見も、知りもしない男にプライバシーを詮索されるとは心外を越えて論外だ。
「人の携帯勝手に見るなんて、最低っ!」
「あ、落ち着け落ち着け。中は見てない、見てないって!」
 私の非難を防御するように、両掌を私に見せて、彼。
 かといって、はいそうですかと信じられるものでもない。
「ホント、マジで。って証明できないからこれ以上何にもいえないけど」
「………」
 半ば余裕のないところを見ると、どうやら本当らしい。机の上かなんかに置きっぱなしになっていたのを拾ったんだろう。
 しばらくの沈黙の間に携帯の中身を一応確認しながら、どうしたものかと気まずそうにしている彼に切り出した。
「で、アンタ人の教室でなにしてんの」
「あ、ああ。荷物まとめるついでに、ちょっと休憩してたんだけど」
「荷物?」
「あれ」
 指差された先、一番後ろにある机の下に、小さめのナップサックがぽつんと一つ、置いてあった。
「ほら、クラス替えだからさ。ここに前のクラスのものがあっても、捨てるだけだろ?」
「………?」
 何か、かみ合わない。
 まるで、彼はここが自分のクラスであるような口調だが、私のクラスにこんな男子はいなかった。
「ああ」
 私の心中を察したのか、目の前の彼は納得したような表情で一度うなずいた。
「え?」
「そういうことか」
 やっと事情を飲み込んだ顔で彼はにやり、不気味な笑みを浮かべた。
 彼が座った机がぎぃ、と悲鳴をあげる。
「アンタが俺のこと知らないのも無理ないよ」
 相変わらず得体の知れない笑顔で、彼は続けざま、違和感のある真実を紡いた。
「このクラスに不登校の生徒がいたろ。それが、俺」
「………は?」
 あまりにも想像と違う言葉を言われて、思わずそんな言葉を返してしまった。

 確かに不登校の生徒はいた。
 名簿に名前が載っているだけの、教室に机もない、そんな存在。

 が、それと彼を結びつけるイメージがあまりにもかけ離れていた。目の前の彼はすぐあげられるような特徴もなく、噂されていたひきこもりだの不良だのというイメージはまるでない。
「は、って言われてもなぁ」
「じゃあ、アンタがあの?」
「そう、水谷直也。………なんだ、最初から不登校って結構忘れられてるかと思ったけど意外に覚えてるもんなんだな」
 あからさまに残念そうな溜息をつく、目の前の水谷。
「一度も来なかったから、最初の頃ちょっと話の種くらいにはなったけど」
 一年の頃もぎりぎりだったとか、実際は宇宙人と交信していて忙しいとか。今からするとかなり根も葉もない噂だったと納得できる。
 それに対して、彼は興味もなさそうに相槌を打って、机から降りた。
「ま、そんなわけで荷物まとめに来たわけさ」
「………いつも来ないくせに、なんで今日だけなの?」
「留年確定なのに、わざわざ授業ある日に学校来てどうすんだよ」
 面倒くさそうな顔で、水谷が私を見た。
「それに、居ない奴は居ないと思われてるほうが気楽なコトもあるし、いたらいたでまたなんか問題ありそうだし」
「…………」
 やんわり、釈然としない理屈を放って、水谷は例の机まで行って荷物を拾い上げた。
「さて、お腹も空いたし、これ以上人にバレないうちに帰ろうかな」
 水谷が視線をはずした先を見れば、時計は既に十二時を回っていた。
 話を逸らされた気がしたが、私も携帯は見つかったからここにこれ以上いる理由もない。
 結局追随することもできず、私達はそのまま教室を後にした。

    −−−

 誰も居ない廊下は、さっきよりも暖かく感じられた。
 考えてみるとシチュエーション的には知らない男と歩いている時点でアウトだが、教師陣がまだ残っている校舎内なら大声さえ出せば、何とかなるだろう。
 そんな腹黒い考えに気づいても居ない隣の男は、二年最後の日だというのにやたら新しい学ランを脱いで、暑そうに肩にかけた。
「歩いてみるとなかなかいい学校だったんだな」
 不意に彼がそんなことを言い出して、私は不可思議な思いにとらわれた。
 壁の掲示物は全て取り払われ、すっきりしすぎた廊下。
 何もない、がらんどうした教室。
 窓は全て閉ざされていて、ひとえに言えば今の学校には生活感はまるでない。
 それが、彼にとっては心地いいものらしい。
 私にとっては、この学校はいつもの学校に対しての違和感に過ぎないのに。
 だから、思わず口が滑った。
「来年、来る気になった?」
 一瞬見上げた瞳に、何か得体の知れないものが宿り、再び元に戻った。
 明らかに変質した、その感情はたぶん………。
「今のとこ未定かな」
「………ごめん」
「気にスンナ」
 おどけたような口調がやけに物悲しかった。
 そのまま、しばらく無言のまま歩いていたら、下駄箱までついてしまった。
 さっき脱いだまま放置されていたままだった靴に、水谷が足をねじ込む。
「やっぱり、それアンタのだったんだ」
「だって、上履きないからなぁ。そもそも、どこに入れるのかわかんねぇし」
 私が下駄箱から靴を取り出すと、紐を結んでいた水谷がぽつり言った。
「あ、そうだ。アンタ、名前は?」
「………坂上。坂上灯子」
 そういって、地面で履いた靴のつま先を軽く叩く。学校指定は紐がないから楽でいい。
「ふーん、坂上さん、か」
 意味のあるようでなさそうな含みを持たせながら、彼は私の名前を呼んだ。
「なに?」
「ん。いやさ、クラスメートの名前なんて初めて聞いたなぁ、って」
「………」
 照れたように笑う彼の顔を見て、私の心の中の違和感は膨れ上がる。
 どうしてだろう。
 どうしてこの男は、こんなに"普通"なのに学校へ来ないのだろうか。
「あの」
「さてと」
 私の好奇心とお節介を踏みにじる絶妙のタイミングは、おそらく意図してのことだろう。隠す素振りも無いそのわざとらしさには、踏み込んでくるなという無言の警告と嫌味とが多少なりとも混じっていた。
 一拍の気まずい沈黙の後、水谷はなんとも言えない顔で私を見、そして言った。

「互いのことを色々知ってしまう前に、元の場所に帰ろう。坂上さん」

***

 結局、校門で別れた私達はそれっきり会うことはなかった。
 何の因果か、三年生になった今の教室にも誰も座らない机はついてきてしまっているが、その持ち主のことを話すクラスメートは今更誰もいない。
 時折、何かの話のついでに「ああ、そういえば」と始まりの文句が添えられて続く彼の噂は信憑性が薄くて、根も葉もなさそうで、それでもその中のどれかが真実なのかも知れないと思わせるような話ばかりだった。

 今日も朝のホームルームが始まって、クラス全員が一人を除いて席に着く。担任も、もう改めてその空席を問いただしたりはしない。
 それが日常であり、みんな今更それに違和感を感じない。

 そして、水谷は今日も来ない。




[終]