「アイイロ」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



 夜空は黒じゃない。
 群青とも言われているけど、そんなのは夜空が見せる一時の姿でしかない。
 時に藍色、水色、鼠色。
 雲がかかる日にはその雲に赤黒いものが薄くのる。

 しかし、そんなくだらないことは、人は忘れているし、知ろうもしないのだ。
 私も、そんなことは知らなかったし、知ろうもしなかった。
 ただ、あの時までは。


 海を見るといったって、色々見るところがあるんだと思う。
 水平線やら、倉庫群に灯る常夜灯の灯りでぼんやりと見える波のしぶき。ちと視線を逸らせば、空の色は、もう夜の群青色を明らかに薄くし始めていた。
「アイイロ」
 私が海じゃなくて、空を見ていたのが分かったのか、隣の啓太がさっきの私よりも興味深そうな視線で、ぼんやりと言った。
「アイイロ?」
「………染物で、使う色だって、今日のテレビで言ってたよ」
 明るくそう説明する啓太の声に、私はもそもそと元の体育座りに戻って、膝に顔を伏せる。
 カラダが、だるい。
 眠気もあったけど、やっぱりこういう日はやってしまった後の方が疲れが大きい。
 溜息混じりにまた顔を上げて、明るくなり始めた空を啓太と一緒に眺めた。

 薄い黒……それじゃ濃い灰色。
 濃い青……紺じゃないのかな。

 くだらない。
 そんなこと考えて、この後どうにかなるわけじゃないし。
「っていうかさ、僕達、なんでこんなところにいるの」
 きょとんとした顔で、事実を平然と告げる啓太。
 同年代のハズなのに私を覗き込む顔は、ひどく幼い子供のように見える。
 私は、その当たり前をいおうかどうか迷って、しばらく黙り込んだ後。
「人を、殺したから」
 自分でも分かるくらいに、面倒くさそうに、事実をありのまま。
「最後の仕事だったね。これで人殺しの一区切りかと思うと感慨深い」
「………はぁ」
 責任感に対抗するように放った溜息に、啓太が目を丸くする。
「どっか、具合でも悪い?」
 『お前のせいだ』って言おうとしたけど、やめた。
「……違うから、少し黙っててくんないかな」
 確か、飴があったな。
 懐から取り出した飴玉を啓太に差し出す。
「なに、これ?」
「飴食べ終わるまで、しゃべっちゃダメ」
「うん、分かった」
 そういうと、啓太は無邪気に飴玉を放り込んでコロコロ言わせた。
「〜♪」
 こうしてみると、高校生というよりはガキだ。
「………」
 私は、胸の辺りを一度、叩いて、かちん、ていう音と一緒にその重みを確認する。
 小さな小さな拳銃は、今も飴と同じ懐に入ってて現実を見据えさせる。
『私は、これを撃ってきた』
 その事実だけが、果てなく重い。

 ガリッ、ガリリッ。

 突然、奇妙な音が隣でした。
「おい」
 私がにらみつけると、にやりと笑ってみせる啓太。
 噛んでやがる、こんちくしょう。
「………」
 にらみつけたままでも、啓太は私にまるで動じないで飴を飲み込んだ。
「だって、しゃべらないの飽きるよ。寝ちゃいそうなんだもん」
「………アンタさ」
「うん?」
「これからやること、わかってる?」
 少しいらだちと、そして恐怖に近い感情を載せて。
 それでも。
 啓太は笑った。
「俺達の所属してた団体からの逃走。場合によっては追っ手を迎撃、かな?」
 啓太は黒いスーツの懐から拳銃を取り出すと、にやりと私に向かってポーズを決めた。
 同じ方の、私と同じ拳銃。
 当然、飛び出す弾丸も同じわけで。
 私の持っているこれが見つからない限りは、啓太の犯行確定は間違いない。
「……なんで?」
「なにが?」
 さも当然という風に、啓太が切り返してくる。
「だって、今までの犯行、全部犯人にされて、警察からも追っかけまわされるんだよ」
「僕だってあのおっさんが真帆に殺されるところを見てたんだから、逃げるって言う意味であれば、共犯じゃない」
「そういう意味じゃないでしょ」
 ふてくされたように顔を見ると、それでも啓太は笑っていた。
「そういう意味じゃないか。どっちにしたってここまできたら僕は君を犠牲には出来ないし」
「…………」
「………どったの?」
「よくもまぁ、そんな恥ずかしいセリフ言えたもんね、ってコト」
「一蓮托生、でしょ?」
 屈託のない笑顔。

 その笑顔が、とてつもなく、怖かった。

 懐から、取り出した拳銃で啓太を差す。
「………」
「おいおい、怖いことするな………」
「ごめん」
 短く切った言葉に、私は引き金もろとも全てを乗せた。

 ドンッ!

 朝の静寂を突き破る音がして、目の前の啓太が、胸から紅を散らして転がった。
 二回、三回―――。
 横に転がったところで、引きずられたような赤い線がコンクリートの床に走る。
 拳銃が床にからから音を立てて、明後日の方向へ転がってゆく。
 その瞬間、迎撃を待ち構えていた私は構えをといた。

「………真、帆?」

 回転が止まったところで、仰向けの状態の啓太が言った。
「依頼なの。不穏分子を削除しろって」
 かすれた声に、できるだけ冷たく響く音を。
「……グル、ってコトか」
 痛みを押し殺すような、低くて獣みたいな声。
 さわさわと鳴る潮の音が、彼の声を消しにかかる。
 自慢じゃないが、かなりキツイところに入れた。
 致命傷は免れない。
「…………」
「………そっかぁ………グルだったのかぁ」
 吐く息に、力が篭もる。
 私は、銃を突きつけたまま、言葉を走らせた。
「早く、楽になりたい?それとも、このままがいい?」
 あくまで無機質に。無表情を装って。
 群青色の空は明けてゆく。
「もう、いいや…………楽に、してくれ」
 啓太が、両腕で顔を伏せた。
 口の端が、笑っていた。
「…………」
 私は無言で銃口を突きつけると、そのまま引き金を引いた。


 海を見るといったって、色々見るところがあるんだと思う。
 水平線やら、倉庫群に灯る常夜灯の灯りでぼんやりと見える波のしぶき。ちと視線を逸らせば、倉庫のあたりから、背の高い男が一人こっちに向かってきていた。
「終わったようだな」
 私に近づいて、一言だけ。
 倒れた啓太には、一瞥だけ。
「…………」
 彼は啓太の銃を拾い上げると、遠巻きにあごで私を促した。
「次の仕事だ」
 促されるまま、私は歩き出す。

『僕は君を犠牲に出来ない』
 耳にこびりついたように残る声。
 ………見誤った、私のミスだ。

 男の後に続きながら、私は空を見上げる。
 逃げることも出来ない。戦うことも出来なくて。
 ただ従うだけの毎日にうんざりも出来なくて。
「………」
 心の色が黒なら、ためらいもなく人を殺せるのかしら。
 藍色の空を眺めながら、私は忘れていたことを、確かめた。




[終]