「二十八年と七ヶ月の孤独」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)





「あれ?」
 部室の隅から隣の書棚。
「………あらー?」
 あっちへ行ったりこっちへ来たり。
「あれ、どこ置いちゃったっけ………あれぇ………どこだろ」
 あちこちの書類の下や物影、戸棚にある来客用とっておきクッキー缶の中や自分の引き出しをのぞき見ては。
「小津さん、一体何を探してるんです」
「え?」
 給湯ポットの中を開けだしたところで、私はたまりかねて溜息を一つ吐くと、ようやく彼女に声を掛けた。
 目の前でさっきから部屋の中をウロチョロとコソドロのように漁っていた小津珠絵の嬉しそうな声が返ってきた時、私は自分の推理が大体あっていることを確信した。
 探している場所を見ていても、あんまり検討がつかないのが一つ。大概のものは給湯ポットの中には入らないし、これ以上突拍子もないところを捜索されると何が起きるか分からない。
 もう一つは、以前に何度が似たようなシチュエーションに経験がある。理由としては決定的だ。
 と言うことで、小津は、私に事情を聞いて欲しいか、協力してもらうためにこんなことをしているのだ。給湯ポットは私がなかなか切り出さないものだから、パフォーマンスついでだろう。
 ………まったく面倒くさい女だ。
「探し物でしょう?」
「ええ、まあ………」
 少し言を濁して、小津が言う。さっき嬉しそうな声を出してたのは一体誰だ。
「リモコンが、なくなっちゃってさ」
「リモコン?」
 復唱すると、小津はええ、と困ったような顔で笑った。
 一概にリモコンと言っても、その種類はたくさんある。
 この部屋にはテレビもエアコンもあるし、その気になれば遠隔から照明も付けられるし、冷蔵庫の中身をリスト化したり、声だけでお風呂だって沸かせる近未来指向型的なデバイスもある。この女がリモコンの定義をどの辺まで位置づけているかは知らないが、もう少し情報が必要だ。
「あのね、これくらいで、うすっぺたいの」
 情報が足りない、とでも自分の顔に書いてあったのか、小津は名前の通り小さな両手でA6判用紙(105mm×148mm)をちょうど横にしたような四角を作って見せた。
「それで、何のリモコンなんです?」
「え、あ、ああ。エアコンの奴だよ?」
「エアコンの奴って………そんな大きかったですっけ?」
 エアコンの奴は、この前小津が暑い暑いとか言ってだらしない格好で部屋をうろつきながら、片手でコチコチいじっていた気がする。そのサイズではどう考えても両手で………。
「小津さん、もしかしてこの前持ってた携帯ゲーム機とかと勘違いしてません?」
 ナンテンドー社製、ナンテンドーNSならサイズも似ている。両手で操作するし。
「そこまでモウロクしてないよ!」
 怒られた。
「………そうですか」
 よっこらせ、と座っていたソファから立ち上がる。リビングは14.6畳。対面キッチン4.8畳がついてるので空間的にはかなり広い。2人であちこち移動していても手狭な感じは全然しない。
 さっきから小津が探している、リビングの隅に雑然と積まれた仕事関連の書類の間は任せるとして、手短な所でほとんど使用機会のない42型ワイドテレビの周りを捜索を開始する。前に一度だったか、テレビのリモコンと間違えてこの辺りに放り込まれていることがあった。
「ところで、リモコンの色とかは?」
「白か、灰色っぽかったかな」
「ボタンとかついてます?」
「えーとね、ABボタンと十字キーが」
「やっぱりそれナンテンドーNSじゃないですか」
 その前に、一般的なエアコンのリモコンにも十字キーなんかついてないはずだ。
「いや、もっとボタンあったんだよ」
「たとえば?」
「自爆ボタ」「ない。絶対エアコンのリモコンじゃないです、それ」
 再び立ち上がる。テレビ周りにはそういった奇妙なリモコンの類はなかった。とりあえずAB自爆ボタンと十字キーがついたエアコンのA6サイズリモコンは信用ならないので、小津の証言は話半分で聞いておこう。
「最後どこに置いたのか、覚えてないんですか?」
「あー………えーとね、確か………お風呂場で見たような」
「なんでそんなとこに持ってったんですか」
 リビングばかり探しているから、てっきりリビングの中にあるのだと思っていたが、この女の実力を見誤っていた。侮れない。
 相変わらず書類の間を捜している小津を後に、脱衣所と風呂場を覗く。ざっとみておかしなものが紛れていそうな雰囲気は………。
「………洗濯しろよ」
 明らかに怪しいのは洗濯機の上に積まれた洗濯物の山だ。夏のカキ氷よろしく見事な山を築いている。
 女性の洗濯物をどうこうする気はさすがにないので、ここは最後に小津に探してもらおう。
 ついでにざっと見て回ろう。
 トイレにはない。
 廊下にもない。
 入るな、と銘打たれた小津の部屋は………やめとこう。後で何を言われるか分からない。
「………」
 小津には悪いが、ここは王宮ではなくただの1LDKだ。そんなものが置いてあれば分かるはずなのだが………。
「ん?」
 ある既視感に捕らわれて、ふと、廊下から玄関の方を見た時。
 玄関に備え付けてある靴箱の上の物置スペースに積まれた靴箱の間から、何かがはみ出しているのを見つけた。
「………」
 この感覚、どこかで。
 小津が言ったような妙な形のリモコンなど私は見たことがないが、なぜかその少しはみ出ている何かが、それであると私は理解した。
 引き抜くと、確かに十字キーとABボタン。自爆ボタンはウソだったが、代わりにレバーやツマミがついている。
「これは………」
 少なくともエアコンのリモコンじゃないだろう、小津よ。
 十字ボタンを除けば音楽編集で使うミキサーに似ている。
 しかし、小津は何を以ってこれをエアコンのリモコンと言ったのだろう。いくら小津と言っても、さすがにこれをリモコンと言うほどもうろくはしていないだろう。
 とすれば、小津は何か私に対して後ろめたいか、隠し事でもしているのではなかろうか。
「………」
 こんなリモコンに何かあるとは思えないが、裏表を確認しながらリビングに戻る。裏側の一部に変なシミがついている以外は、リモコンにもヒントと思しき文字列はなく、記号と数字の羅列が白い文字で書かれているだけだ。KM028-203805。
「小津さん、あったよ」
 まだ書類と格闘していた小津に見せ付けるようにリモコンを持った手を振り、元のソファに座る。
「あ、あった? あ、それそれ。どこにあったの?」
 書類を元に戻して、スリッパの音をパタパタさせて駆けてくる小津に、パネルを手渡した。
「玄関の靴箱の間に挟まってたよ」
「あー………この前玄関にゴキブリ出た時かなあ」
「それで何をしたのかは聞かないでおきます」
 パネル裏にあったあのシミ、まさか………いや、考えるまい。
「ところで小津さん」
「はい?」
「それ、なんのリモコンなんです? エアコンのじゃないでしょう、間違いなく」
「ああ。これですか。そうですね、エアコンじゃなかったです。えっと、これはですねー」
 小津は手馴れた動作でリモコンを両手で掴むと、私の方を見た。
「君のリモコンですよー」
 ぶちり。
 頭の中で何かが途切れた音がした瞬間、私の意識は星のように瞬いては消える0と1、そして暗闇の中に消えた。


  −−−


「自律稼働プログラムはまあまあ………反復による言語会話の知識蓄積反応はある程度出来てきたかな?………うーん、でもなんか、だんだん性格悪くなってる気が………反抗期ですかねえ」
 日がまったく入らない地下の室内にひとりごとがぼんやり聞こえる。光源の乏しい室内ではパソコンのモニタと各種機材が怪しく光り、生物の蠕動のように低い唸り声を上げていた。さながら、宇宙に漂う戦闘機のようだ。
 8畳ほどの洋室スペースには、いたるところに機材らしきものが積みあがっている。その中で一度煙を吐いた女史は、頭をガリガリかいた後、短くなった煙草を灰皿に押し付けた。
「ま、今回はそっちの感情入力系の試験じゃないからいっか」
 彼女は自身の右腕内部から伸びたケーブルを積みあがった機械から外した。試験結果のフィードバックだ。
 女史は回転椅子で半回転してこちらを向いた。8畳間の残ったスペースには植物の蔦のようにコードが絡まった一台の人型が巻きつき、機械の群れから栄養と情報を押し込まれている。
 女史はケーブルを自身の腕の中にしまうと、椅子から立ち上がり、人型の未だに硬い金属の頬を優しく撫で、静かに抱きしめた。女史の中に芽生えているその感情と呼ぶべきプログラムの名前を彼女自身は何も知らない。
「後輩君は、まだまだ私に近くプログラミングしちゃうと、自分がロボットだって忘れちゃうんだもんね。でも大丈夫。人間はもうこの星に誰も居なくなっちゃったし材料はなかなか集まらないけど、先輩の私がちゃんと作りあげたげるからね」
 彼の背中をトントンと叩いて、女史は立ち上がる。
「さ、私の充電が終わったら、人工皮膚の研究に入らなくちゃ。この小津主任研究員は、頑張りますからね」
 新しい煙草を胸ポケットの白衣から取り出しながら、女史は分厚いメガネの奥でにっこりと笑う。
 そして部屋はまた、新たな煙に包まれる。


[ 終 ]