「落葉の森」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



『全ての望みを絶つから、「絶望」と書くのだよ』
 昔、誰かが言ったそんな言葉が、胸に寄せては還って行く。

「…………」

 辺りは、たとえるなら穏やかな寂寥を纏っていた。

 役目を終えた枯葉がはらりはらりと、私の視界を幾度となく遮る。
 足元に積もった落ち葉は、さながら霜のように音を立てて、足音の代わりとなる。

 ばり、ばり、ざく。

「…………」

 清涼を抜け、寒気となった明け方の風は穏やかに澄み、さながらに空が高くみえた。鳥の声が、どこか遠く、寂しげに啼いている。

 ばりばり、ぱきっ。

「…………」

 本来道であるはずの、見えない路をただ進む。
 落ち葉を踏み砕きながら、まだ柔らかい地面に無造作に突き立てられただけの、歪んだ十字の墓達を左右に、ただしんと静まり返る、滅びかけた森を抜けてゆく。

 ざっ、ざくっ…………

「……………」

 ………ざく。

 その路の終わり、少し開けた崖の上に、彼はいた。
 足音で私に気付いているはずだが微動だにせず、ただ私に背を向けて、空へ祈るように膝を突き、頭を垂れていた。
 そして、その傍らに、まるで落ち葉に埋もれるように―――。

「――――」

 嗜めるように、促すように放った彼の名は、強い風に掻き消された。
 それでも、足音と気配に気付いたのか、彼の肩が一度微かに震えて、温かみのない顔がゆっくりとこちらを向いた。

「ずいぶんと、遅かったな」
「君の子供たち、私が気に入ったのか、離してくれなくてな」
「………」
「全員をブチ殺すまでに、時間がかかったよ」
「そうか………それなら、仕方ないか―――」

 ふわり、風を受けて目の前の上着が翻る。
 立ち上がった彼の、その脇腹に残るおびただしい血跡。
 私が突き刺した杭は外れ、血は既にもう乾いていた。傷は塞がっていると見ていい。
 傍にある死臭と乾いた血の匂いが、秋風に載って私の鼻腔をくすぐる。

「お前がいない間に、久々に"補充"させてもらった」

 口の端を吊り上げて、彼は目元を哀しげに細めて、笑った。
 自分のしていることが、既に意味のないことであることを、知っていた。
「愛しい人を殺めてまで、そうまでして生を取ったか。鬼の末よ」
 分かりきった大義名分で傷口をなぞるように、私はその事実を告げる。
 片足を半歩前に寄せて落ち葉を踏みしめる音に、彼の歯が鳴る音が重なった。
 静かに食いしばるその姿が、じっと私を見据える。

「…………なぜ、放っておいてくれなかった」

「………」

「なぜ、見逃してくれなかった。そうすれば、私は―――」

「可能性は、存在しうる限り排除する。これが異端狩りの基本だ」

 彼の言葉を、全ての希望を断ち切って、私はつとめて冷静に放った。
 五年来の上辺の親友に。
 そして、長年追い求めてきた標的に。

「特に貴様のような人外は、一度現れれば、甚大な被害が出る」

「…………なぜ」

 短い交錯の間に、目の前の存在がどす黒く変貌する。
 怒りが、彼の心を押しつぶす。
 怒れ、もっと怒れ。
 立場に逃げた弱い私を憎め。
 君をかばえない、私を恨め。

「お前を友と………友と信じてっ!」

「私はお前を――――」

 強い風が私の声を掻き消した。
 聞こえたのか定かではなかったが、彼の顔は比類なき絶望と、底知れぬ怒りに歪んでいた。
 私を殺さない理由はもはや、ない。
 そしてその方がやりやすいのも事実だった。
 一瞬、頭をよぎったものを、強く振り払う。
 もう戻れないのに、今更言ってどうなるというのだろうか。
「…………」
 もはや人の皮を剥いだその顔を一瞥し、私は腰の剣を抜いた。

 血の雨を、降らそう。
 この落ち葉よりも、沈みかける夕日よりも赤い血を。
 もはや、言葉は要らない。
 『敵』に向けて、私は剣の切っ先を向けた。

「さあ」

 この世に、この時代に、生まれたことを悔いて、
 私に出会ったことを、私を信じたことを、全てを悔いて。

「殺しあおう」

 死んでくれ、友よ―――。




[終]