「サクトキ、サケバ。」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



 アスファルトが剥げた工事中の道を過ぎる頃には、もう傾斜はなだらかに下っていた。 ここまでくれば、目的地までは後もう少し。
 僕はペダルを漕ぐのをやめて、逆にゆっくりとブレーキに力を入れ始める。
 すると、きゅうに胸の辺りに回された腕の力が強くなった。
「美佳………怖い?」
 改めて意識する、回された華奢な手。
 いつもと違う、「後ろに人を載せてる」感覚に戸惑いながら、僕は聞いた。
「…………」
 無言のまま、彼女は少しだけ腕の力を緩めてくれた。
 制服越しに押し付けられた彼女の小さな鼻が、冷たい北風の中、微かにだけど鳴った。
「………残念だったな」
 月並みな言葉しか思い浮かばない自分がとてつもなく嫌になる。
 もっと、なにか言ってあげられたらよかったのに。
「……へいき」
 ウソつけよ。
 心の中で即答した言葉をあわてて飲み込んだ。
「ならいいけどさ」
 坂の途中のカーブを軽やかに滑りぬけて、僕たちを乗せた自転車は無言のままひたすら下へと駆け下りてゆく。
 切り立ったカーブの先から見えるいつもの町並み。目指す中学校も、視界の端に見える。
 でもなんだかそれが、いつもより寂しく見えた。
「………学校、行くだろ?」
「部活の潮原先生も、待ってるみたいだから」
「………あー、そっか」
「ねぇ、祐二」
「ん?」
「職員室まで、ついて来て、くれる?」
「俺も行くから、一応報告だけしとかないと」
「…………そっか」
「……」
 ここまでしおらしくされてしまうと、僕は何にもいえない。
 いつも元気な美佳とは、全然別人に見える。
 そしてこれをどうすればいいのか全然分からない僕が自分にいらだつ。

 傾斜が終わって、ペダルを漕ぐ暇もない距離の踏み切りを越える。

 しばらく直進すると、僕たちの中学校が見える。
 その建物の横をフェンスごしに横切っていく。
 一年生が授業中なのが見えた。
「………もう、三年なんだね。私たち」
「うん」
「高校、別になっちゃったね」
 自転車の後ろにいるはずの美佳の声は低くて、とても傷ついたものだった。
「……………うん」
 聞こえたのか聞こえていないかの声くらいしか、僕は出せなかった。

 校門に差し掛かって、僕らは自転車を降りて歩き出した。
「サクラなんて、咲かなきゃいいのに」
 敷地を囲むようにしてそびえる桜の木を見ながら、美佳が言った。
「なんで」
「だって、咲いたら春だよ」
「…………」
「このまま、ここにはいられないもん」
「………高校、行きたくない?」
 彼女は首を縦に振った。
「怖いもん」
「………怖いけど、行かなきゃ」
「……」
 自転車置き場に自転車をいつものように放り込む。
 鍵を抜き取ったのを確認すると、僕は美佳の方に向き直った。
「終わったよ」
「祐二」
「ん?」
「ごめん」
「………なにが?」
 唐突に謝られて、本気でワケが分からない。
「やっぱり、一人で行く。潮原先生んところ先行くから、先に職員室行ってて」
「………」
 彼女は、少しだけ笑った。
 僕は、それがぎこちなさすぎて笑えなかった。
「わかった。万一先に終わったら校門にいるから、待ってて」
「うん、分かった。それじゃ、後で」
 振り向いて校舎の方へ消えていく彼女の体が、すごく小さく見えた。
「……………」
 僕はしばらくその場に突っ立っていた。

 たぶんきっと、同じキモチなんだろう。

 すぐに目頭の熱さと共に、僕に構わないで涙がぼろぼろ零れ落ちた。
 留まることのないそれは充てた袖に染み込んでいく。

 強い北風が、散りかけた梅の花を飛ばして。
 終わりの、そして僕らの別れの春は近い。




[終]