著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)
序 章



 恋をするって、なんだろう。
 人を好きになるってのは、なんなんだろう。
 そんなにも誰かのことを求めて、僕らは何がしたいんだろう。
 オブラートに言えば子孫を残す欲求とか独占欲とか自分にないものへの嫉妬とか羨望とか支えてもらいたいとか支えたいとか。
 一側面から見た観点としてはそういいかえることも出来るそんな感情を僕らはなぜ恋とか愛とか、一見素敵に見える言葉で着飾らないといけないのだろう。
 そんなのは傍から見ていても、実際してみてもくだらないように思えるんだ。
 僕はたった一度だけ、それを友人の白井に打ち明けたことがある。
 忘れもしない、高校一年にあがって最初の月とゴールデンウィークが終わった次の週だった。そろそろ学校の仕組みとか周囲のグループ分けにも慣れてきて、「高校ってこんなもんなのか」って思い始めた頃。確か、昼休みだった。
 白井は僕の長々とした主張を別段重く受け止めた風もなく、購買で買ったウグイスパンをほうばりながら、いとも簡単にその禅問答みたいな問に終止符を打ったのだった。
 僕は夢でその白井のことを思い出すたび、毎回そこで記憶の映像が止まる自分を後悔し、そして目を覚ます。
 なぜ彼の言葉を覚えていないのか、なぜすっきりとそこだけ忘れてしまっているのか、今となっては分からない。答えを探そうとして、無理矢理似通った言葉をそこに当てはめてみてもそれははっきりと違うもので、胸にしっくり来ることはない。
 今日も、久々にそれを見て起き上がっていた。
 例の夢を見る時は大概、汗がひどい。春先でまだ布団の外から足先を少し出しただけでもひんやりするのに、風邪を引きそうなほどの寒気を感じるこの汗のかき方は異常だと思う。
 夢でよかったと思うのと、腹の辺りに何かが淀んでいるような気持ちになるのとが混ざり合う、複雑な朝。
 どんな気持ちでも、朝起きて始めにすることはカーテンを引くことでも、顔を洗うことでもない。ぼんやりとしたまま携帯を耳に着け、眠っている間に入っていた留守電に耳を傾ける。今日の夢が夢だっただけに余計、彼女の声が聞きたかった。
 彼女の声は、携帯の合間からラジオの周波数を合わせる時のような、荒いノイズとして聞こえてくる。それが人の口調に合わせてにビリビリと震えるのを、僕は毎朝、寝ぼけた頭でぼんやりと聞くのだ。
 相手がどんな類のことを喋っているのか、僕には分からない。けれど毎日毎日ノイズを留守電に吹き込んでくるこの相手を僕は知っている。かなり遠いところに居るからこんなノイズがするのだろう。僕はそう思って、なんとか彼女のノイズが聞き取れないかやってみていたりするのだが、未だにそれらしき法則性すら見つけられずにいた。
 ほんのり抑揚とか、調子なんてものに特徴があって、それが彼女のクセだと言うことは分かるけど相変わらず言ってることはさっぱりだった。ノイズを翻訳する機械、なんてモノがあるのなら、どんなことをしてでも手に入れてやるのにと思う。
 あまり精神に心地いいとは言えないだろうノイズで、次第に自分の頭が目覚めてゆくのを感じながら、僕はベッドから立ち上がった。それでもノイズを発する携帯を耳に充てたまま、少しカーテンを引く。差し込んだ光は鮮やかで、今日もいい天気だ。

 ニ一七九年四月十九日。
 それがこの場所のこの時間、「僕」と「今日」に与えられた区切りの名前。
 遠い異国から届いた騒がしい言葉に耳を傾けながら、今日も僕の一日は始まる。