「きちょうめんなひと」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)




−A−

「被害者はマーサ・パトロン。四十一歳。二度の婚歴があるが、二度離婚。現在の身寄りはいないようだね。住所はビーカー街221B。下宿を営んでいて、下宿人はウォーロック・ホースムとジョン・F・ワトンソの二人。近所とのいさかいなどはなく、いたって温厚な人物だったようで、借金などもなかったようだ。死因はそこに転がっている花瓶で後頭部を殴打されたことによる頭蓋骨陥没、おそらく脳に傷がついてしまったんだろう」
「はい、詳細な現場説明どうも。で、警部。僕はいつこの部屋に入れるのだい?」
 頑張って説明した下宿人、ジョン・F・ワトンソに無表情の一瞥をくれ、同じく下宿人のウォーロック・ホースムは自分よりも1フィートは背の高い警官を見上げた。目がぎょろりとしており、賎しい。体が大きかったが、目だけでよく「ネズミ」と揶揄されることをホースムは知っていた。名前は確か…。
「昨日やりかけのジグソーパズルがこの部屋におきっぱなしなんで、ぜひとも完成させたいんだが………ええと、その、誰だっけ」
 結局名前を思い出せなかった男に殊更じろりと睨みつけられた。
「私はプレパラート警部だ。お前達は日ごろお世話になっている下宿の主人が死んでもなんとも思わないのか、田舎の三流探偵と藪医者が」
「せめて助手といえ、訂正しろ」
 ワトンソは早口で、それだけは言い切った。
「………それはすまなかったな、三流助手君」
「三流は付くんだな。まあいい。彼の助手は、僕だけなんだからな」
 なんに張り合っているのかホースムには良く分からなかったが、自分のあずかり知らないところで何かが起こっているらしい。とりあえず今は気にしないことにした。
「ふん、三流の助手は三流だろう」
 お前に言われたくないよ、四流刑事、といいかけて、ホースムは代わりに部屋の中を見た。机の上のジグソーパズルは、パトロン婦人と犯人が盛大に踊ったダンスのせいで床に散らばっていた。ホースムは心底がっかりと溜息をついた。
「にしても、一晩のうちにものすごい部屋に改装したものだね」
 ワトンソが溜息交じりに冗談を漏らす。プレパラート警部は冗談が気に食わなかったようで、眉を吊り上げた。
「昨日と同じところになに一つ同じものが存在しない感じだね」
部屋の中は、文字通りの全壊だった。壁には平行に何本もの傷が走り、棚の上の調度品が全て床に散らばっている。カーテンは全て切り取ったように斜めに切り裂かれ、無事なのは、ドアの入り口に入ってすぐのところにあった折りたたまれたままの洗濯物くらいだ。
 ホースムは扉の入り口から改めて中をうかがうと、やれやれといった風に頭をかいた。
「几帳面すぎるくらいの君は、たまにはこんな部屋に住んでみたらどうだい?ワトンソ君」
「冗談じゃないね。今だって掃除がしたくなって仕方が無いくらいだよ」
「こら、まだ鑑識が中にいるんだ、入るな」
 プレパラートに一喝され、ホースムは生きているのも面倒くさそうに息を吐いた。
「ねぇ警部、僕等は起きてからまだ何も食べてないから朝食にも行きたいし、コーヒーも飲みたい。新聞だって読みたいし、フラスコ街にいるライバルのモリ・アーチーとの賭けチェスもまだやりかけだ。外にだって出かけたいんだよ。このままじゃ人殺しだよ」
「ホースム、それを言うなら生殺しだ」
 冷静なワトンソの突っ込みに溜息をついたのはプレパラートだった。
「お前ら、第一発見者と第二発見者だろう。状況を聞くのは当たり前だろうが。たまには我が大栄帝国が誇るスットコランドヤードに貢献しろ」
「ふん、権力の犬め」
「なんか言ったか、三流探偵」
「いいや、何にも。で、どんな情報がご所望ですか、偉大なる大栄帝国が誇るなんだっけ………もういいやめんどくさい」
「もういい!本当なら鑑識結果が出てからの方がよかったが、分かった、始めよう」
「ああ、本当に手短に頼むよ、警部。五秒くらいで」
 片手をあげて、ホースムはプレパラートを見あげて笑った。
「まず、アリバイだ。死亡時刻は午後十一時ごろと推定されるが、その時何をしていた」
「僕はもう寝ていたね。昔から寝るのは早いんだ。九時ごろにはもう寝ていたよ」
 ワトンソは了解を取るようにホースムを見、ホースムもうなずいた。
「確かに。ワトンソはいびきがうるさいからすぐ分かる。ええと、僕も昨日は十時には寝ていたな。昨日、いい酒が手に入ってね。気が付いたらソファーの上でぐっすりさ」
「では、これだけの破壊があって、二人とも起きなかったというのか?」
 信じられない、と言う目つきでプレパラートが二人を交互に睨んだが、ワトンソはただ戸惑うように、ホースムは軽く笑うようにしているだけだ。
「次は現場の状況だが、ココから見て何か変わったことは無いか」
「うーん、部屋の入り口からだと良く分からないな」
「これだけ引っ掻き回したんだ、突発的な強盗の線は無いのかい、プレパラ」
「略すな。それに、そんなもんお前らに言われんでもすぐ分かる」
「へぇ。まあいいか、そんなことどうでも」
 床を見つめながらホースムは一度、確かににやりと笑った。
「警部。ちょっといいかな」
「なんだ」
「今気づいたんだけど、不思議なことが一つある」
 視線を横に放り投げ、ホースムは深く溜息をついた。
「なんだ?」
「何で君はこのくらいの事件も解けないのに警部なんだ?」
「………しまいにゃぶっ殺すぞこのヤロウ」
 二人の目の前の警部はバカにされ続けて既につかみかかる寸前だ。そんな警部を横目に、ホースムは彼に手を差し出した。
「パイプは部屋の中だからこの際仕方ない。煙草を持っていないかい、強い奴」
「業務中は吸わん主義だ」
「意外とつまらない生き方してるんだな」
「余計なお世話だ」
「ワトンソ、悪いんだけどこれからこの役立たず警部にパトロン夫人殺害事件の要点を語ってあげないといけないから、あの例の店で紙煙草、買ってきてもらっていいかい?どうせ吸うならあの赤い、マルなんとかって奴がいいな」
「ホースム、いい加減ヤニが無いと事件が解けないのはどうにかならないのかい?」
 呆れたように、ワトンソが言った。かつて、医者としてたしなめたことがあるが、一向に効果がないので諦めてはいるのだが、医者としての癖でついつい口うるさくなる。
「謎を解くたびに寿命を縮めるのだから、僕は寿命を引き換えにして社会、いや世界を救ってることになるね。その理屈は尊いと思わないかい?」
「思わないけど………分かったよ。ついでに何か食べるものでも買ってこよう」
 半ばうんざりしたようにワトンソは立ち上がった。ホースムはポケットから小銭を取り出して、ワトンソに渡した。
「それより、僕にも後で聞かせてくれるだろうね?」
「もちろん。煙草が揃ったら解決編と合わせて聞かせてあげよう」
 ホースムの自信ありげな笑顔に、ワトンソは少し笑みを浮かべて下宿を出て行った。
「さて、警部。行数もかなり伸びたところですし」
 冷たい声で、ウォーロック・ホースムはプレパラート警部の方へ振り向いた。
「こんなくだらない事件、さっさと終わらせましょうか」

−B−

「事件を終わらせるとは、どういうことだ?」
「やめてくださいよ、そこまで無能じゃないでしょう。字義通りとっていただいて結構。犯人はごく身近に居ますよ。簡単な話です」
 先ほどのふざけた態度が嘘のように、冷たい笑顔のホースムは続ける。
「伊達に三流探偵で食ってるわけじゃありませんからね」
「………犯人が分かったのか」
「まあ、状況から考えて一人でしょう。長年一緒に居ればわかりますよ」
 遠い目のまま気だるげに溜息をついて、ホースムは今、ワトンソが出て行った入り口の方をぼんやりと見た。事務的、というよりは感情を押し殺しているようにプレパラートには写った。
「ワトンソ………なのか?」
「十中八九。『誰かの突発的犯行』じゃなければ、状況は揃ってるし彼以外考えられない。まず突発的にしても、パトロン夫人は道端じゃなくて自分の家で死んでいる。これはパトロン夫人が見知っている人に殺された、と言うことだ。通り魔的な犯行ではない。
また、花瓶で殴打するために部屋を壊す必要は無い。下宿人がいると分かっているのにそんなリスクを背負い込む必要は無いし、カムフラージュするにしても状況が不自然すぎる」
「む………それは確かにそうだが」
「ということは、下宿人が寝ている、その上物音を立てても早々起きない。つまり、条件の二つ目は僕達下宿人の生活習慣がわかる人物。ワトンソは僕が二日前に濃いアルコールの入った酒を、モリ・アーチーからもらってきたのを知っていた」
「だが、お前らが起きてきたところを殺すつもりだったかも知れんぞ?それに単独犯だと決まったわけじゃないだろう。この管轄にもガラの悪い奴等の一人や二人」
「いや、犯人は単独犯だよ。それにそんなの、リスクを犯してまでやる必要ないだろう」
 プレパラートが言い決まる前に、ホースムは言い切った。
「壊れた部屋がおかしいんだ」
「おかしい?」
「部屋は全壊してた。でも、なんで壁の傷が揃って同じ向きに平行なんだろう。調度品はそこまでしなくてもと思うくらい、全て床に落ちていたし、カーテンにいたっては同じ角度で切られている。極めつけは、洗濯物だ」
 ゆっくりと、二人の視線がドアの横に移る。生前最後の仕事だったのだろう、パトロン夫人が畳んだ洗濯物はそこにきっちりと、ホースムとワトンソの分が置かれている。
「見たところ、普通の洗濯物だが」
「普通なのがおかしいんだよ。洗濯物はあらかじめ犯行に及ぶ前に畳まれていたものだろう。ただ、洗濯物だけは、メチャクチャにした部屋の中で唯一、乱してゆくことが出来なかった。混沌の中の秩序。こだわりが完璧すぎる。複数犯でやったのなら、よほど事前に打ち合わせして統率が取れているかだけど、『洗濯物だけは乱さないように』なんてのはおかしすぎる」
「………」
「さっき、聞いてたかい。ワトンソは異常なくらいの几帳面なんだよ」
 ホースムは部屋の中に入り、テーブルの下に転がったパイプを確かめて、口にくわえた。それから、力ない笑顔でゆっくりプレパラートに最後の言葉を付け足した。
「………それこそ、念入りに、僕の部屋の酒に薬を入れるくらいにね。ヤニ狂いで酒の味も分からないと思われていたのかも知れないけど。彼の仕事柄、眠り薬を手に入れるのはたやすいだろう。部屋を調べてみるといい」
「鑑識、この男の部屋から酒とグラスを持って中身を調べろ」
 プレパラート警部は静かに言った。それを聞いて、部屋の中であくせく作業をしていた鑑識係の一人が渋々といった風に部屋を出る。
「だが、腑に落ちない。動機はなんだ?」
「下宿人同士のいざこざ」
「あったのか?」
「僕が家賃滞納で度々言い合いをしたこと以外は知らない。一応、僕は完済した」
 瓦礫の中に鎮座していた一人がけのソファーによいしょ、と座り、ホースムはそれきりプレパラート警部の方を振り向かなかった。
「僕の仕事は事件の謎を解くこと。それを吐かせるのは、我が大栄帝国の誇るスットコランドヤードの仕事では?」
「………そうだな」
「動機………僕の予想ですが、多分、第一話だから準レギュラーの自分が犯人になる、なんてことは考えもしなかったんでしょう」
「………お前、たまにわからんことを言うよな」
「そんなことはおいといて、早く彼を追ったらどうですか。多分彼は僕の最後の情けに縋って、ビーカー街を脱出しようと逃げている最中なのでは」
 それを聞いて、プレパラート警部の眼が光った。 
「僕は彼の友人です。彼が殺人犯でも、捕まれとは言ってやれません。それに捕まえるのは僕の仕事ではない」
「ウォーロック・ホースム………今回は貸しにしておくぞ」
 プレパラート警部は身を翻して歩き出した。
「警部」
「なんだ?」
「彼に一つ伝言を。『もう二度と、ここには来るな』と。これでチャラです」
 瓦礫の山を見ていながら独り言のように、ホースムはソファーにもたれかかった。
「…………分かった」
 プレパラート警部はそれだけいうと、慌しい足取りで部屋を出て行った。

−C−

 ホースムは破壊された部屋を見渡して、一つ息を吐いた。
「ちょっとやりすぎたかな………まぁいっか、これで念願の探偵事務所が開けるし」
今頃買出しにでかけただけのワトンソは警邏隊にでも囲まれている頃だろう。パトロン夫人といい、ワトンソといい、なんでこう回りはうるさい奴等ばかりなのだろう。それがいっぺんに静かになって、いい気分だ。
酒に薬を盛ったのは自分だし、ワトンソがどれほどの物音でも起きないのか、というのも、パトロン夫人と幾度にわたる言い合いをして、大声や物音を立てることでリサーチ済だ。無論、壁に走る平行の傷も、調度品も、洗濯物も。自分がやり遂げた。
自分が後やることは、ワトンソがもし何かの状況に気付いて推理を逆転した時のために、医師の黒い部分を徹底的に洗い出し、それを元にパトロン夫人殺害容疑を再度彼に向かって後押ししてやればいい。そうすれば、十年は出てこないだろう。
そう、邪魔者はいなくなったのだ。
 引き出しの中に入ったままのマッチをすり、詰めた草に火をつける。使い慣れたパイプから、心地よい煙が喉に絡み付いてくる。
「ふー」
 ホースムは椅子にゆったりと腰掛けながら、ゆっくりと煙草の煙を吐き出した。





[終]