「夏夜」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)





「それで、その話は終わりだと、私はそう思っていたのですよ」
 坂田くんはそう言って下を向き、組んでいた両手をようやく組み替えると、その場に居た誰もが、話の終わりに吐くはずだった安堵の息を、再び飲み込んだ。
 元々、物音一つしない部屋はさらに深く静寂に沈み、誰も動かない閉め切られた部屋の中で、細く長い蝋燭の火だけが、不穏に『揺れた』。
 まだ続きがあるのかと、ある者は慈悲にもすがる思いで目を見開いて坂田くんを見つめ、ある者は隣人の袖を掴んで、目を瞑りながら耐え、またある者は恐ろしく深刻な、複雑な表情をして、その話の続きを待った。
「その後………そうです、確かこんな夜でした。
 会が解散した後、あんなことがあったのに一人、戻ってきたのです。
 忘れ物を取りに来た、そう言って、戻ってきたんですよ。
 そう、木崎さんです。
 でも、私はすぐ、おかしいことに気づきました。
 だって、おかしいでしょう?
 彼女はここに来るのを、あんなに怖がっていたんです。
 あなた方もさっき通ってきた、あの竹林があんなにも怖いと言っていた。
 それを、たった一人で通ってきたと、確かにそう言ったんです」
 坂田くんはそこで一旦間をおいて、一同を見渡した。
 私も途中で彼と視線がぶつかり、黙ってその続きを促した。隣では大学の後輩の新入生、都築さんが、私の向こう隣の生田さんの肩に頭を押し付けて震えている。
「ただ、私も多少不思議に思ったものの、そこまで深く考えませんでした。
 彼女は言いました、忘れ物を取りに来たと。
 多分、竹林の怖さと天秤にかけてでも、取りに戻らないといけないものなんだろう、そう思って尋ねたんです。
 『何を忘れたの?』
 そうしたら、彼女は答えました。
 『あのお話、まだ続きがあるはずですよね。私まだ、それを聞いてないの』
 そう言って彼女は、笑いました。
 彼女は知っていたんです。
 先ほど、皆さんにもお話した事件が、まだ終わっていないことを」
「ちょっ、都築! 痛い、痛いって!」
 話を遮るように、声が上がった。
 生田さんが、左の肩を掴むように都築さんの頭を押しのけようとしている。
「も、もう、やらぁ…………」
 鼻をすすり上げながら、か細く情けない声を上げるのは都築さんだ。あぁ、鼻水垂らしちゃって、可愛い顔が台無しだ。
 その情けない顔に雰囲気が少し和らいで、思考が現実に戻り始める。
 曰く、一気に場が白けた。
 ようやく、一同から溜息にも似た息が漏れ始める。
「うーおー………あれで終わりかと思ってたのにまだ続きがあんのかよー」
「気になるけど………ききたくねー」
「都築さん、具合が悪いなら隣の部屋に行って休んでなよ」
「ひっ、一人は、ちょっと………」
 そう言って、都築さんは鼻をすする。ワガママとは思わないが、よっぽど今の話が応えたんだろう。
「かと言って、付き添いは………」
「アタシは今の話、続きを聞きたいんですけど」
 生田さんはキッパリと明らかに不満げに口を歪ませた。後輩のケアも重要だとは思うけど、いつでも一緒、と言うわけではない。
「ちょ、ちょっと休憩しませんか」
「うん、それがいいね。じゃあ、ちょっと休憩しようか」
 坂田くんがそう言って、部屋の蝋燭は消えた。


「おーい、始めるってよ」
 十五分の休憩の後、二年の君津くんが隣の部屋から頭だけ出して言った。
「あ、はーい。だって、どう、都築?」
「私もう………いいです」
 生田さんの問いかけに、都築さんはソファーの上で力なく首を振った。
 私も彼女のそばで、二人を見下ろした。
「仕方ない、私も残るからいいわ。私は任せて行ってらっしゃい。生田さん」
「え、でも………」
「私はあの話の結末、知っているから」
 いいんですか、と言われる前に前もって用意していた言葉。
「え、そうなんですか?」
「期待していいわ、それはもう、最悪のラストよ」
 意地悪く笑うと、さすがの生田さんも顔が引きつった。
「うっ………」
 ソファの上で、再び都築さんが涙目になった。


 生田さんが襖の奥に吸い込まれ、隣室と都築さんと私が残された部屋はどちらも再び静けさに包まれる。
「あの、すいません………わがまま言って」
 ソファの上から、うなだれた声がした。
「いいのよ。怖い話、苦手なのね」
「む、昔からですけど………でも、この合宿で『ある』って聞いて、特訓したんですよ」
「へぇ?」
 怪談を特訓とは、珍しい話だ。
「CDとかで怖い話聞いて、耐性をつければ大丈夫じゃないかって………でも」
「まあ、生の語り部が怖いのは事実よね」
「………坂田先輩はうますぎます」
「ま、そこは否定しないわ。気持ち悪い顔してるものね」
「え、そ、そういうわけじゃ」
「ふふ」
 先ほど台所で汲んできたコップの水を一口飲む。彼女はちらちらと、私のことを伺いながら、何かを聞きたそうにしている。
 彼女が切り出す前に、私はひとつ伸びをして切り出した。
「実は私も、怖い話、苦手なのよね」
「え、そうなんですか?」
「とてもそうは、見えない?」
「………話の途中でも顔色変えずに、全然応えてないんだろうな、すごいなって」
「そうじゃないわ。必死に堪えてただけ。二回目だけど、やっぱり怖いものは怖いわよ」
「へぇ………」
 私だけじゃなかったんだ。
 そう心中で思っているだろう彼女の額に、そっと手を触れた。
「熱は大丈夫ね。頭痛とか、吐き気はない?」
「あ、はい」
「ん、良かった。お水はいる?」
「いえ、今は大丈夫です」
 これだけ答えられるなら、ひとまず大丈夫だろう。
 私は、物音を立てないように立ち上がり、窓際に歩き出す。
「それにしても………ちょっと趣味が悪いわよね。合宿で怪談必須なんて」
「最初はびっくりしましたけど、でもこういう機会って滅多にないですよね」
「そうね。怪談をするために寄り合いをするってのは、確かにね。でも、さっきの話は確か………」
「え?」
 開けっ放しだった縁側のカーテンを引くと、部屋の中には余計に静けさが立ち込める。
「あの事件も、戻ってきた彼女も、実際一年前に起こった事実よ」
 向き直った後、ソファーの上の彼女は幾分、顔が引きつっていた。
「あれは、怪談なんかじゃないわ」
 都築さんと、視線がかち合う。
 戸惑いと、疑問が頭の中で渦巻いて、心に生まれるものがある。
 それは好奇心と言う、避けられない性だ。
「それって、どういうこと………ですか?」
「私の知っている『事実』は、多分襖の向こうとは、別の結末のはずよ」
 そう言って、私は襖を見やる。先ほどから物音一つしないその部屋の向こう側は、実際もう、誰も居ないのかもしれない。
「本当は別に、大した話じゃないのよ。たわいもない話」
「………そうなんですか?」
 ソファから半身を起こさんばかりに、彼女が安心をしたがる。
「都築さん、聞きたい?」
「こ、怖い話じゃないなら、はい」
 おずおずと、好奇心に負けた哀れな羊がやってくる。
 後は………その首をそぎ落とすだけ。
「それじゃ、暇つぶしにでも、ね」
 私は彼女とテーブルを挟んで反対側のテーブルに座った。
「彼女、木崎はね、ホントはその時わざと忘れ物をしたの。
 もう一度、彼に会いたいがためにね。
 なんでか………分かる?」
「………いえ」
「木崎はね、確かにあの話の続きを聞きたかった。でもそれは、あの事実を『どこまで知っているか』を聞きたかったのよ」
「………それって」
 予想通り、都築さんはすぐにその結論に行き当たった。
 怪談で怯える彼女のことだ、きっとその研ぎ澄まされた感受性は、先ほどの話の結末を、幾通りも「悪い方向に」考えている。
「さっきのあの話の続きが、全て事実だとしたら、犯人は?」
「木崎さん………」
「そういうことよ。
 坂田くんは、その時全てを知っていたの。
 彼女には自首をして欲しい、そう言った思いで彼女へあの怪談を語った。
 けれどね………」
 私は足を組んで膝の上に手を置いた。そして、横になった都築さんを見下ろす。
「彼女はその事実を隠蔽するために、たった一人残った坂田くんがあの怪談の最後をどこまで知っているか、仮に全てを知っていたら黙っていてもらうために話の続きを促した。
 仮に交渉が決裂した場合、口封じを行うことも、視野に入れてね」
 彼女の顔色が、見る見るうちに歪んでゆく。
 非難めいた視線が、テーブルの向こう側から飛んでくる。
「や、やっぱり、こ、怖い話じゃないですか!」
「いいえ?」
 追い討ちをかけられ、慌てふためく彼女に笑顔を返す。
「そんな、だって怖くないって、嘘じゃないですか」
「私はね、それほど怖い話だとは思っていないのよ」
 私は立ち上がり、彼女の目の前に腰を下ろした。息を呑んだ彼女の汗ばんだ額を、ゆっくりと撫でる。
「その交渉はね、決裂したの」
「………」
「木崎は、あらかじめ用意していたナイフを使って坂田くんを殺そうとした。
 でも、ダメだったのよ。結果的に木崎は坂田を殺せなかった」
 私は顔をぐっと近づけて、彼女の耳元でそっと、囁いた。
「………私はね、ともだちが欲しいの」
「………え?」
 彼女の心臓の鼓動が聞こえそうなほどの近くで、彼女は私をじっと見つめた。
「一緒に、この部屋の下に埋まってくれるおともだち」
 さっき、水と一緒に台所から持ってきたナイフは、部屋の灯を受けてきらりと、光った。

 私は全てを悟った彼女を見て、ようやく満足した。
 坂田の怪談では、目を瞑って、震えるばかりで見られなかった。
 その、声も出ないほどに、恐怖に引きつった顔を。

「あなた………さ、坂田さんの知り合いの方じゃ」
「知り合いといえばそうだけどね」

 そう言えば、知らないはずだ。
 一年前のこと…………特に『新入生』は、自分の顔など。

「はじめまして。私はあなたの『先輩』よ。仲良くしましょう?」
 怖がられないように、笑顔を作る。
 都築さんは大きく見開いた目に涙を溜めて、改めて私を見た。
「木崎……さん」
 ようやく絞り出した声に、応じる。
「はい」



「そう………私が、木崎よ」

























 −−−


「あー、怖かったぁ」
「坂田さん、ホントこういう話上手だよな」
「どうやったらあんな話し方できんだろうな」
「でもさ、あの話。そしたら木崎先輩の幽霊ってヤツは今のこの屋敷にいるってことだろ?」
「ちょっと、もうやめてよ………って、あれ?」


「………都築は?」


「都築さんなら、先に寝室で休ませてるわ」
 襖から出てきた顔色の悪い後輩達の顔を見ながら、私は言った。
 私は去年大学卒業と同時に結婚したからOGで、そのまま「木崎姓」になってしまったが、先輩には変わりないはずだ。
「ちょっと、可愛くってこっちで意地悪しすぎちゃった。その、気を失っちゃってね」
 残り少なくなった水を飲み干して立ち上がるのと同時に、隣室から呆れた声の語り部が、のそりと顔を出した。

「………またやったんですか。姉さん」



[終]