「め・し・や」
著者:そば




 典明は昼ごはんをどこで食べようか考えながら歩いていたが、そのまま商店街のはずれまで来てしまった。昨日食べたラーメン以外にしよう、と思ったきり、何を食べるか考えていなかったからだ。
 おまけに店がほとんど開いてなかったせいで、なんとなくどことも決められなかったのだ。
 思わず頭をかきUターンしようとした時だ。ふいに道端に座っている高校生と目が合った。
「もうこいつでいいか。ここ、全然人通んねぇもんな。」
 話しかけるでもなく独り言をブツブツ言っているくせに、高校生は典明から眼を離さない。
 典明はもう社会人だ。こういう危ない奴は無視するのが一番と知っている。
 クルっと後ろを向くと、足早にもと来た道を戻った。
「あの、お兄さん。ねぇ。別に怪しいもんじゃないよ。お兄さん。ちょっと待ってって。助けて欲しいんだよ。聞いてって。とりあえず止まろ。お兄さん、悪い話じゃないから。ちょっと聞いてよ・・・ねぇ・・・お兄さんにしか・・・頼めないんだって。」
(人のこと「こいつでいいか」と言ったにしては、結構食い下がるな。)
 50m近く歩いたところで、典明はしかたなく振り向いた。
「良かった・・・お兄さん・・・足・・・速いね。」
 よく見ると、ブツブツ顔の高校生が息を切らしている。茶髪の髪はバリバリ固めてあって、毒のあるアロエみたいだ。
 ガクランの前が開いていて、趣味の悪いシルバーアクセがジャラジャラしてるところまで見て、典明は振り向いたのを後悔した。
「何か用?」
「いや、ちょっと相談したいことがあるんだけど。」
「何?」
「お金持ってる?」
「はぁ!?」
「いやいやいやいや。ちょっと待ってよ。別にカツアゲとかそういうんじゃないから。俺がそういうことするわけないじゃん。」
 二言三言しゃべっただけなのに、典明は猛烈に腹が立ってきた。10歳近くも年下の初対面のガキに、何でタメ口きかれなければいけないんだ。しかも、「お金持ってる?」だと?
 空腹のせいで余計に腹が立つ。
「おい。」
「はい?」
「初対面の年上の人には敬語使えよ。学校で習わなかったか?」
「まぁいいじゃんそんなこと。うちの田中ちゃんなんて、みんなからタメ口きかれてるよ。」
「『田中ちゃん』って誰だよ!?」
「え?地学の田中ちゃんだけど?」
「知るか!」
 典明はどっちかといえばツッコミ担当だ。
「まぁまぁ。分かりましたよ。敬語くらいできるっスから。それで、別に金盗ろうって訳じゃないっスけど、お金いくらくらいあるっスか?」
 典明はこの際、この体育会系みたいな敬語で妥協して、ツッコミを入れないでおこうと思った。話が進まなくてしかたない。
「先にどういうことか説明してくれる?」
「いや、10万も20万も必要なわけじゃないっスけど、3万あります?」
「だから何の3万か説明しろって言ってんだろうが!」
「あ、そうでしたね。」
「こっちはなぁ、腹減ってイライラしてんだよ!!」
「あ、腹減ってます?ちょうどよかった。」
「はぁ!?」
「あそこにめし屋があるんスけど、そこに一緒に入って欲しいんスよ。」
「分かったぞ。そこで俺におごれってんだろ?誰が3万もおごるか!お前一人で行け。」
「待ってください。二人じゃなきゃ入れないんス。それに3万は、うまくいけばかからないっス。タダで本格イタリアン食べられますよ。」
「なんだ、うまくいけばって?」
「お兄さんがルールを破らなければ、ってことっスよ。」
「なんだそれ?」
「まぁいいじゃないっスか。とにかくめんどくさいことは俺がやりますんで、お兄さんは黙っててください。いいっスね?」
「いいわけないだろ。ちゃんと説明しろよ。」
「いや、細かいことはおいといて。まぁ入れば分かりますよ。とにかく、お兄さんは初めてだから、何もしゃべらないでください。そしたら3万はかかんないっスから。」
 まだまだ聞きたいことはあったが、空腹に耐えられず、財布には4万入っていたので、典明は承諾することにした。決め手はやはり「本格イタリアン」の一言だった。
(ちょうどありきたりな定食とラーメンに飽きてたところだ。まぁ暇だし、うまくいけばタダならいいか。)
 典明は案外バカだった。
「オッケイっスね。じゃあ行きますよ。俺は葛木真(かつらぎまこと)っていいます。よろしくっス。」
「岡典明(おかのりあき)だ。」
 二人は50m程の所にある、レンガ造りの赤い屋根を目指した。



 店の表には小さいA字型の看板の形をした黒板があるきりで、レストランぽいが、中に入ってみないと何の店か分からなかった。
 黒い皮の張ってある分厚いドアを開けると、ジャズがフェイドインしてくる。
 二つしかないテーブル席の手前の方に、典明と真は座った。小さいけれど、それ以外は別段変わっているわけではない。どこにでもあるレストランだ。
 真がテーブルをノックするように数回叩くと、ウェイターが満面の笑みで近づいてくる。
 身長は典明より少し高いくらいだろうが、細身のため実際より高く見える。笑うと目が細くなるのか、もともと細めなのかはわからないが、こういうタイプは敵に回すと怖そうだ。
(この小さい店だ、彼がコックと2人でやっているのかもしれない。)
 実際、ウェイターには、年の割りに、雰囲気というかオーラというか、「若くして店主」みたいな感じがあった。
 細目のウェイターは軽く会釈をすると、開口一番こう言った。
「きたね。」
 典明は一瞬で10通りはツッコミが浮かんだ。客に対して開口一番「きたね」とは何事だ。「いらっしゃいませ」とか「ただいまメニューを持ってまいります。」とか言わないのかよ、と思ったが、真との言葉を来店30秒で破るわけには行かない。しかたなく黙っていた。
「きたよ。」と真が言う。
(おいおい、なんだこいつら。)
 典明の疑惑の目をよそにウェイターは続けた。
「なんだ?」
「なにが?」
「なまえ。」
「マコト。」
「いいね。」
「どうも。」
(ここのレストランは来客が少ない分、高級ホテルみたいに、客とのコミュニケーションを濃密にとって、狭く深く付き合うのか。じゃなきゃ名前なんか聞く必要はない。てか、会話が切れ切れだな。)
 典明が疑問に思うのは無理もない。ここまでのやり取りは、たとえ2人が知り合いだったとしても不自然すぎた。
「キミは?」
 典明はドキッとした。ウェイターが典明の方を向いている。顔は相変わらず満面の笑みだ。
「・・・。」
「オカだ。」
 真が慌ててウェイターに話しかけた。
「なにが?」
「カレが。」
「オカダ?」
「オカだ。」
「オカか?」
「そうだ。」
「いいね。」
 典明は黙っていた。
 再びウェイターに質問され、真はさっきと同じ口調で続けた。
「たべる?」
「むろん。」
「なにを?」
「にくだ。」
「なんの?」
「ブタだ。」
「はいよ。」
 そういってウェイターはメニューをもって下がっていった。
 真がもらったおしぼりで汗をぬぐい典明を見ると、典明は妙に納得した顔をしていた。おそらくここの「ルール」に気づいたからだろう。
(ようは3文字でしゃべればいいんだろ。そんなの簡単じゃんか。別に黙ってなくたって・・・それより、早く何か食べたいぜ。)
 早々とウェイターが戻ってきた。シルバートレイに水のグラスが2つのっている。
「ないよ。」
「なにが?」と、真が訊く。
「ブタが。」
 二人とも一瞬絶句した。料理屋に豚肉がないなんてこと、そんな当たり前のように言われても困る。
 さらに一瞬の2倍くらいの時間をかけて、ようやく真が口を開く。
「なんで?」
「たべた。」
「だれが?」
「ヒラキ。」
「きゃく?」
「コック。」
「あほか!」と、思わず典明が口を挟んだ。
 その瞬間、真は真っ赤な顔をして向かいの典明につかみかかった。
「だまれ!」
「・・・!」
「いいな!」
 今の真は、さっきの変な敬語のガキとは似ても似つかない。常に細目のウェイターに無言で止められた後も、典明をにらんでいる。
 典明の方はといえば、さすがに気まずい顔をする。彼のほうからしてみれば、ルールをわかった上で、一応約束は守らなければいけないと思いつつも、やはり、この異様な空間に対してツッコミを入れたくて仕方ないのだ。それが自分の使命であるとさえ感じていた。
 空腹も手伝って、典明の怒りにも似たストレスは募る一方だ
「たべる?」
「なにを?」
「コース。」
「いいね。」
「たべる?」
「たべる。」
「まいど。」
「はやい?」
「すぐに。」
「たのむ。」
 典明はため息をついた後、一口水を含んだ。
 するとどうだろう。驚きが、のど元を通り過ぎた後からやってきた。
(えっ?)
 気品に満ちた水に、典明は思わず歓声を上げるところだった。グビグビと一気に飲み干す。
 まるで砂漠を三日間うろついて初めて飲む水のようにさわやかだったのだ。
 思わず真の顔をのぞくと、彼は涙を流している。あまりのうまさに感動したのだろう。
 とにかく、この水と次に出てきた食前のワイン(これもなんともうまかった)で、さっきまでのゴタゴタが帳消しになるような爽快感を、二人は共有した。
 細目のウェイターは、さっき奥に引っ込んだかと思うと、さっと料理を運んでくる。
 真は感動で気付いていない様だが、典明は、いくらなんでも早すぎる、と思った。もしかしたら、出すものは元々決まっているのかもしれない。
 何しろメニューは「○○風〜」とか「〜の○○ソースがけ」とか、とにかく長たらしいものばかり。この店においてはあってないようなものだ。
 まぁジェスチャーも含めて、うまく注文すれば頼めるかもしれないが、空腹で余裕のない典明にはそこまで考えることは無理だった。
「サラダ。」
「うまそ。」
「どうぞ。」
「・・・。」
「どうだ?」
「トマト!」
「さらに?」
「チーズ?」
 トマトとチーズにレタス。それらに酸味のきいたドレッシングがかかったシンプルな前菜だった。
 さすがに真が本格イタリアンと言っただけある、と典明は思った。トマトを使った料理でイタリア料理にかなうものはない。さっぱりとしたチーズにジューシーなトマトがよく合っている。
 いや合っているだけじゃない、互いが互いをひき立てている。シンプルなだけに、素材のよさが目立っていた。
 さすがに真もそれがわかっているようで、かみ締めるようにトマトとチーズを口に運んでいる。3文字だから、「うまい」とは言えるはずなのに、材料名を叫んでいるあたり、アホさ丸出しだ。
(にしても・・・)
 典明は、アホ発言とはまた別の違和感を感じた。こんなにうまいものを食べているのに、耳に入るのは(馬鹿な掛け合いを除けば)音量を絞ったウッドベース主体のジャズだけ。笑い声もなければ話も我慢しなければならない。ウェイターは食べている間ずっとそばにいるくせに、料理の説明も大してない。料理はうまいのに大切な部分が欠けている気がする。
 前菜たいらげ、空腹との戦いにとりあえず一区切りできて、余裕の出てきた典明は、だんだんこの現状を疑うようになっていた。
 初対面のしかも礼儀も知らないガキと昼を食べに店に入るのも、本来ならありえないのに、入った店が3文字までしかしゃべっちゃいけない、おかしな店なのだから、無理もない。
 ひょっとしたら騙されて有り金巻き上げられるかもしれない。大体、典明が一言もしゃべらなかったとしても、真が口を滑らせたら、何の意味もないのだ。最初の口調からすると、真は金を持ってないだろうし、そうなると(おそらく)3万の支払いは全部典明ということになる。
 そうなっては典明はたまったもんじゃない。
(いや待てよ。始めっから店と真がグルで、結局ボッタクリに合うのかも。今に奥のほうから怖いお兄さんたちがオラオラ言いながら出てきて、ふんだくられるかもしれない。)
 だが、悩んでも答えが出る訳もなく典明は黙って料理を食べるしかなかった。
 食い逃げという手もあったが、細目のウェイターを怒らせたら、さらに怖いことになりそうだし、どんな料理が出るのか興味もあったので、結局動けなかった。



 不安は次のスパゲティーが運ばれてきて、どんなに麺とソースが絡んでも、辛味がきいてうまくても、消えなかった。心理的なプレッシャーを感じながら食べたのでは素直に喜べない。ウェイターと真を尻目に、典明はうつむいて料理を口に運ぶしかなかった。
「うまい?」
「うまい。」
「どうも。」
「それと、」
「なにか?」
「からい。」
「だよね。」
「なぁに?」
「ツメだ。」
「なんの?」
「タカの。」
「そうか。」
「すきか?」
「なにが?」
「からさ。」
「すきだ。」
「いいね。」
「あとは?」
「なにが?」
「グだよ。」
「イワシ。」
「イワシ?」
「つけた。」
「おスで?」
「シオで。」
「それだ。」
「すきか?」
「すきだ。」
(もうそこは素直にアンチョビって言えよ!!)
 典明にもツッコミを考えられる程度の余力はあるらしい。それとも、どんなに余裕がなくてもツッコミは忘れないのだろうか。
 一方、真はきれいにスパゲティを腹に収めると、すぐさまウェイターに顔を向けた。
「つぎは?」
「メイン。」
「なんだ?」
「ひつじ。」
「マトン?」
「ちがう。」
「ラムか?」
「そっち。」
「やった!」
「すきか?」
「とても。」
「まって。」
「はやく。」
「2ふん。」
「はやっ!」
 ウェイターが下がると典明は思わずため息が出た。
 真はウェイターと同じような満面の笑みで、ナイフとフォークを握りしめ背もたれに寄りかかってっている。
(案外兄弟だったりして・・・。)
 さらに不安になり、真が店とグルかどうか探りを入れたかったが、典明がしゃべることもできず、悩んでいる間にウェイターが来てしまった。
 しかし、ウェイターは手にトレイではなく、メニューを持っている。
「・・・。」
「どした?」
「ごめん。」
「なにが?」
「ないの。」
「まさか?」
「ラムが。」
「なんで?」
「たべた。」
「だれが?」
「バイト。」
「またか!」
「ごめん。」
「ヒラキ?」
「ササキ。」
「おこる!」
「まって。」
「よべよ。」
「だれを?」
「ササキ。」
「いるよ。」
「・・・?」
「・・・。」
「・・・。」
「わたし。」
「おまえ?」
「ササキ。」
「おまえ!」
「しかも、」
「なんだ?」
「バイト♪」
「くうな!」
 最後には典明が思わず叫んでしまったが、今度は真に怒られなかった。真はそれどころではない。ヒラキとかいうコックも、このササキという細目も、厨房で客に出す肉食ってた。
 ここまでくると怒りを通り越してあきれてしまう。
 典明も、この、いかにもやり手の店主っぽい男が実はバイト、というおいしいボケに対し、ツッコミを間違える程だ。
「かわり。」
 真は一度ため息をつくと、手渡されたメニューを開いた。ラムはあきらめたようだ。
「これを。」
 そういってササキに見えるようにメニューを指さしている。
(あ、なるほど。そうやれば品名をしゃべる必要はないか。)
「オカは?」
 ササキがくれたメニューを取ってから、典明は真を見た。
 真は典明が思ったよりずっと穏やかな目をして言った。
「いいよ。」
 てっきり、真はラム肉が食べられなくてイライラしていると思ったから、典明は内心ほっとする。真にとってもササキがラムを食べしまったのは予想外の自体だったらしく、ここはしゃべっていいらしい。
(ということは、とりあえず真と店がグルってことはなさそうだ。)
 典明は少し落ち着いてメニューに目を落とした。
 改めて品目の多さに面食らってしまった。コースでラム肉の代わりなのだから、この「secondo piatto(第2皿・メインディッシュ)」というところから選ぶのが正しいのだろう、と典明は考えた。
 だが、ここからが長い。典明は優柔不断だった。どれもおいしそうに見えてきて、しかも、頼んだ後に後悔するようなタイプだから始末が悪い。
 真に声をかけられたのも、元はといえば、昼ご飯を何にするか決められなかった優柔不断さに原因がある。
「まだか?」
 真とは裏腹に、ササキは少しイライラしていた。
(それが肉と魚に分かれていて・・・あ、これがいいかな。「ミラノ風カツレツ」、これにしよう。)
「いいか?」
 ササキが更に待ち遠しそうにしながら言った。
(それじゃ、)
 典明がメニューを指さしてササキを見ると、彼は何気なく言った。
「アウト。」
 真がショックで固まっているのを見て、一瞬遅れて典明も気がついてハッとした。言うつもりのない「それじゃ」を口に出してしまったのだ。
 典明はハッとした次に、ギョッとしなければならなくなった。ササキの顔が豹変していたからだ。
 前の顔と今の顔・・・「笑っている」という表現までは同じだが、その他は似ても似つかない。
(般若!?)
 さっきまでの細目は見事なまでに見開かれて、眉と両頬が異様につり上がり、最悪の不気味顔になった。その顔の恐ろしさといったら、至近距離にいる典明の目には、こぼれた歯が牙に見えても仕方ない程だ。
「・・・!」
 いきなり。そう、いきなりだ。厨房へ続く通路の方の窓が割り、黒服グラサンお兄さんたちがオラオラと入ってくる。
「オラオラ!オラオラ!」
 表現ではなくて、本当にオラオラ言っているのが一見アホらしいが、実際に(しかも不意打ちで)遭遇すると一種の異様な恐怖を与えてくる。
「あーあ。」
 典明の耳に残ったのはササキの3文字だった。



 黒服お兄さんたちがテーブルを囲んでからは、非常に短時間でことが済んだ。
「小さい文字も1文字に数えるんですよ。4文字はダメですね、岡さん。」
 再び細目に戻ってしまったササキは元の笑顔で話した。ただし、さっきまでより何倍もイヤミったらしくはあったが。
 その後、典明が、最後に現れた(おそらく豚肉を売り切れに追いやるほど食ったであろう)ヒラキという太った店主に3万を支払った時は、思わず渡すはずの3万を握る手に力が入ってしまった。
 負け惜しみで、客の豚肉を食うな、この共食い野郎、と言おうとしたが、勢いばかりが先立ち、
「客が豚肉だと思うな、共食いさせる気か!」などと、意味のわからないことを言ってしまったため、先ほど以上に静まり帰ってしまった中、店を出なければならなかった。
 ドアを閉めた後、中で大笑いが聞こえてくると、典明は悔しくて涙すら浮かべた。
「残念でしたね。でもしょうがないっスよ。」
 再び変な敬語に戻った真が、典明の肩を叩いた。
 典明にとって予想外だったことは、ペナルティの値段が計3万ではなく、一人3万、計6万だったことであり、さらに予想外だったことは、真が半分の3万をキッチリ自分の財布から出したことである。
「よかったのか?俺のミスで3万払わせて。」
「いや、正直しょうがないと思うには大きい額っスけど、今回は俺が誘いましたし、何よりいいこと学べましたんで。」
「なんだよそれ。」
「俺、前に一度さっきの店に学校の先輩と一緒に入って、まぁあそこ二人、つーか、ウェイターと三人の状態でやる、半分ゲームみたいなもんなんスけど・・・」
「だから俺を引っ張り込んだわけだな。」
「はい。前の時は『primo piatto(第1皿)』食べてるときに俺が口滑らせちゃって、途中でつまみ出されちゃったんスけど、そん時に食べた料理ががめちゃうまで、リベンジに付き合ってくれる人を探してたって訳っス。でも、今回食べたのは、前回程の感動はなかったっていうか、『絶対完食してやる』って、しゃべらないことに必死だったっていうか・・・あ〜、何を話そうとしてたのかな?」
「学んだことの話だったんだろ?」
「そうでしたね。つまり食事の楽しみは単に食べ物のうまさだけで決まらない、ってことっスよ。」
「・・・どういうこと?」
「だから、やっぱうまいもんはうまいって言いながら食べるのがいいっスし、話をしたり、仲いい人と食べたりすると、食べてる喜びがグッと増すと思う訳っスよ。」
 そこまで聞くと、典明は真に親近感を覚えた。同じような考えに至っていたことに加え、同じゲームをしていた「仲間」の感覚がそうさせたのだ、と思った。
「まだ、腹減ってんだろ?」
「まぁ正直減ってんスけど、自分、しばらく一文無しっスから。」
「おごりなら来るか?」
「俺、駅前の洋食屋がいいっス!」
「バカ。俺がおごるときはラーメンって知らないのか?」
「知らないっすスよ、そんなこと。」
「覚えとけ。おい、そっちじゃねぇ。郵便局の角抜けたとこの『浅賀家』がうまいんだよ。」
「俺『家系(いえけい)ラーメン』嫌いなんスよ。この先の『堺』にしましょう」
「『浅賀家』はただの家系じゃない。他とはスープが違う。」
「しらね。」
「おい。」
「こっち。」
「やめろ。」
「やだね。」
「いくぞ。」
「いやだ。」
「ぶつぞ。」
「サカイ!」
「アサガヤ!」
「はい、岡さん、また4文字で負けっス。」
「勝手にしろ。金持ってんのは俺だ。」
「冗談じゃないっスか。行きますよ。『浅田屋』でしたっけ?」
「『浅賀家』だ。」
 二人は商店街の中に戻っていった。




[終]