「自慢話」
著者:白木川浩樹(とぅもろー)




「すごいな。これ全部かよ」
 テーブルの上に並んだ8つの携帯電話を見て、スーツ姿の男が声を上げた。
「使い分けってのがあるからね。みんなこれくらいは持ってるさ」
 髪の長い男が自慢げに答える。
「これなんかは特に人数多いぜ」
 携帯電話の1つを操作し、画面をスーツ姿の男に向ける。
 ディスプレイに写ったものを見るや、小さくうめき声を上げた。
「うわ……。おい、これ見てみろよ」
 スーツ姿の男が、隣に座る眼鏡をかけた男に携帯電話を渡す。
 ディスプレイには『登録:138件』と表示されていた。
「ま、他のはそこまでじゃないが、全部あわせりゃ500は越えるな」
「すっげ。ちょっとホストなめてたわ」
「うん。びっくりしたよ」
 眼鏡をかけた男は素直に敬意を表す。
 長髪の男はその評価にまんざらでもない顔をしていた。
「裏に『カ』ってあるけど、これ何?」
「カモ用」
 事も無げに長髪の男は答える。
 二人は呆れた顔を見せたが、付き合いの長いこの友人ならそんなものだろうと何も言わなかった。
 その分類の仕方はあくまで仕事の一巻としてのものであり、悪意があるわけではないのは分かっていた。
 眼鏡をかけた男が携帯電話をテーブルに戻すと、『得』と書かれた別の携帯電話が震えだした。
「お、悪い。メールだ」
 長髪の男がすぐさま受信メールを確認。そのまま返信作業を始める。
「お得意様だな」
「お得意様だね」
 続けて『面』と書かれた携帯電話にもメールが届いた。
「おっと忙しいな」
 器用な手つきで両手に持った携帯電話を操作する長髪の男。
 それぞれ異なる相手に同時にメールを打つという行為に慣れているのか、その操作に淀みはない。
「面白い客かな?」
「面倒な客だろ」
 微妙に嫌そうな表情をする長髪の男を見て、スーツ姿の男はそんな分析をした。


「長くなりそうだし、とりあえずほっとくか」
 次々と届くメールの対応に追われる長髪の男を放置し、スーツ姿の男はビールの入ったジョッキを傾けた。
「それでだ。俺のほうはこんな感じさ」
 鞄から手帳のようなものを取り出し、眼鏡をかけた男の前に差し出す。
 眼鏡をかけた男が受け取ると、見た目よりもずしりと重さを感じた。
 中を開いてみるとそこには、ずらりと名刺が並んでいた。
「営業はとにかく人に会うからな。いくら整理してもどんどん溜まっちまう」
「僕は名刺ってほとんど使わないからなぁ。こうして他の人のを見るのは新鮮だよ」
 パラパラとページをめくり、無数の紙片に目を向ける。
「あ、この会社知ってる。こういうところとも付き合いがあるんだ」
 眼鏡をかけた男が指差したのは、最近CMでよく見かける企業だった。
「ん? ああ、ここな。うちの社長とここの部長が昔なじみらしくてな。そのコネで知り合った」
 この会社とかもそんな感じ、とスーツ姿の男は別の名刺を指差す。
 業種こそバラバラなものの、どの会社も名前くらいは誰でも知っている、というものばかりだった。
「あ、英語のもあるんだ」
「社内で英語を推奨してるんだってさ。そのくせまともに喋れるのは社内で中堅の社員だけらしいけど」
「この葉っぱみたいな形のは?」
「ただのインパクト狙いだろ。こういう変な形した名刺なんか渡されても、管理がめんどくさいだけなんだけどな」
「このメールアドレス変わってるね」
「あー。ここは山田さんが10人くらいいるらしくてな。しかも名前まで同じなんで無理やり変化をつけてるんだと」
 眼鏡をかけた男は説明を聞きながら、その一つ一つに感心するようにうなずいていた。
「お、面白そうなの見てんな」
 長髪の男が会話に入ってきた。いつのまにかテーブルにあった携帯電話はすべて片付いている。
「俺は顔が名刺みたいなもんだからなぁ。……ん、偉そうなやつのは少ないな」
 社名と肩書きにだけ目を通し、長髪の男はそんな感想を口にする。
「そういうのは別にしっかり保管してるからな。今日持ってきたのはそれほどでもないやつだ」
「これで? 結構いいところばっかりなのに」
 眼鏡をかけた男が驚いた声を上げる。てっきり有名なものを集めてきたのだと思っていた。
「これでも有能ビジネスマンなんだぜ」
 どうやらこの友人の仕事ぶりは想像以上のものだったようだ。
「おかげで管理するのが面倒だが、まあこれも仕事のうちだな」
 それで話は終わりとばかりに、スーツ姿の男は名刺をまとめて鞄へと戻した。


「で、お前のほうはどんなもんだ?」
 スーツ姿の男が、眼鏡をかけた男に尋ねた。
「僕は、これくらいだよ」
 眼鏡をかけた男は小さな手帳を二人に広げて見せた。
 ごく普通のアドレス帳に、20人ほどの情報が記載されている。
「はーっ。ずいぶんと少ないな、それ」
 長髪の男が感想を漏らす。その意見にスーツ姿の男が首肯で同意を示す。
「まあ、二人に比べればね。僕は異動もないし、外回りとかも無縁だからそうは増えないよ」
 眼鏡をかけた男は特に気にした風もなく、ただありのままに自身の考えを告げた。
「ちょっと味気ないというか、達成感がなさそうだ」
 俺には真似できない、と長髪の男が首を振った。
「勧誘しなくても客が来るってのは、ちょっと羨ましいけどな」
 スーツ姿の男はそう言って、ジョッキのビールを飲み干した。
 そのタイミングを狙ったかのように、スーツ姿の男の懐から流行の歌が聞こえてきた。
「おっ、会社からだ。……悪い、面倒起きたみたいだ。先帰るわ」
 テーブルに自分の分の代金を置き、スーツ姿の男は慌しく店を出て行った。
「それじゃ俺も仕事に行くかな。お前はどうする?」
 長髪の男は立ち上がり、眼鏡をかけた男に尋ねた。
「もうちょっとだけ飲んでいくよ。明日は土曜日だしね」
「さすが、規則正しい職場なだけはあるな。それじゃ、これ」
 スーツ姿の男と同じように、長髪の男も紙幣を数枚テーブルに載せて去っていった。

 
「本当は、僕が一番なんだけどね」
 眼鏡をかけた男は呟き、財布に入れている自分の身分証を取り出した。
 そこには毎日鏡で見ている自分の顔と、生まれてからずっと使い続けている自分の名前。
 その隣に、小さな文字でこのように書かれていた。

 『所属 ○×区役所戸籍課』



[終]