「I and Cousin」
著者:白木川浩樹(とぅもろー)



「今からいいモノを見せてあげるよ」
「はい?」
 ぼくが自分の部屋で読書をしてると、いきなり啓一兄さんが入ってきてそんな事を言った。
 今年から社会人になったこのイトコは、いつもロクな事をしない。
 一昨日は「山に山菜採りに行こう」とか言い出して行ったはいいものの、野生のイノシシに追いかけられて死にそうになった。
 昨日は「川で釣りをしよう」と空が曇っているのに無理やり連れ出して、案の定雨に降られてびしょぬれになって帰ったし。
 おまけに、途中で足を滑らせて川に落っこちたってのに、懲りない人だ。
「もうすぐ俺は東京に帰らなきゃいけないから、その前に教えておきたい場所があるんだよ」
 なぜか少し興奮気味にしゃべる啓一兄さん。
 顔が赤いけど、熱があるみたいだ。
「啓一兄さん、風邪引いてない? なんか顔赤いよ」
 原因は昨日川に落ちたせいだな。間違いなく。
 啓一兄さんはずんずんと近づいてきて、ぼくの腕を掴んで引っ張る。
「いいから、いいから。さ、行こう」
 マズイ、中途半端に熱があるせいでテンションが高くなってる。
 これは逆らっても無駄かもしれない。
 あいにく、外は昨日とうって変わって雲ひとつない日本晴れ。
 この暴走イトコを止めるのはもう不可能らしい。
「さあ、耕太も中学生最初のゴールデンウィーク、青春を謳歌しようじゃないか」
 このセリフを聞くのも今日で三日目、楽しくない事はないけど、ぼくはもう少し落ち着いた連休を過ごしたかった。
「やれやれ」
 社会人になったっていうのに、啓一兄さんはまったく変わらない。
 ぼくは大きくため息をついて、うれしそうに手を引っぱるイトコの後をついていった。


 この田舎町に引っ越した時、ぼくはまだ十歳だった。
 五年生にあがる直前、桜が満開の時期だ。
 ぼくがそれまで住んでいた町は、ビルがたくさん建ったせいで空気が汚れていったらしい。
 そのせいか、ぼくは肺の病気にかかってしまった。
 とはいえ、環境さえよければ、スポーツをしても問題がないそうなので、それほど重いものではない。
 それで、自然がまだ残っていて、空気がきれいな父の田舎で暮らす事になったのだ。
 学校を転校する事になってしまったが、別にそこまで仲のいい友達がいるわけではないし、学校が面白いとも思っていなかったので、悲しくはならなかった。
 だから、引越しをするかと聞かれたとき、ぼくは迷わず頷いた。
 違う環境で暮らすのも面白いかもしれないと思ったからだ。
 都心から車で移動する事三時間、ぼくたちはやっとたどり着いた。
 そして、ぼくは少しだけ後悔をした。
「……ココって、本当に関東なの?」
 着いて最初の感想は、そんな感じだった。
 どこを見ても田んぼだらけで、たまに井戸や肥溜めなんかがあったりする。
 遠くにはどの方角にも高い山が並んでいる。
 道路も今走ってるような大きな道しか舗装されてなくて、あとはあぜ道のようなものばかり。
 父さんが言うには、交通手段はバスしかない上に、一日に二本しか走っていないらしい。
 ぼくが知る限りでは、前の家の周りにはこんな場所はない。
 いくらなんでも、ここまで違う環境だとは予想していなかった。
「ああ。いかにも日本の風景って所だろ」
 運転席の父さんはそう言いながら、うれしそうに周りを見回してる。
 なんでも、帰ってきたのは十五年ぶりで、結婚以来らしい。
「いい所ね」
 母さんは、そんな父さんを見て微笑んでいた。
 多分、父さんが喜んでいる姿を見るのが嬉しいんだろう。
「……日本の風景、ね」
 頭に「昭和の」をつける必要がありそうだけど。
 車から見える風景はさっきからほとんど変わらない。
 田んぼを見るのに飽ききった頃、家がそれなりにある通りに出てきた。
 マンションやアパートなどはほとんどなく、たいていは一戸建ての家だ。
「お、あったぞ。あの家だ」
 意外にもその家は木造だったが、結構きれいな家だった。
 庭に止めた車から降りて、改めて新しい我が家を眺める。
 前に住んでた家と同じ二階建てで、瓦の屋根や縁側などはまさに日本住宅。
「さあ、荷物を入れるぞ。母さんは先に鍵を開けてきてくれ」
「はい」
 母さんが中から縁側の鍵を開けたのを見て、トランクから荷物を運ぶ。
 ある程度の家具は揃えてあるし、かさばるものは宅配便で送ったから、それほど量は多くない。
 さっさと荷物を中に入れた後、中の大掃除が開始された。
 ぼくは自分の部屋にする予定の二階の一室を掃除した。ホコリを吸い込むと体に悪いので、マスクは欠かせない。
 掃除がすべて終わる頃にはお昼の時間になっていた。
 今日の昼食は近くのスーパーで買ってきたお弁当とお茶。
 量はそこそこあるけど、味はイマイチなお弁当を食べているとき、家の中にチャイムの音が鳴り響いた。
 おそらく親戚の誰かだろう、そう言って父さんが玄関へ向かった。
 そしてすぐに、そのお客さんを居間へと連れてきた。
「どうも、由希子さん。これ、引っ越し祝いです。お、君が耕太か」
 そのお客さんは背が高く、やや細身で髪は茶色だった。
 右手に持っていた紙袋を母さんに渡した。
引っ越し祝いの中身はどうやらお菓子のようだ。
「耕太は初めて会うだろう。父さんの兄の子供、つまりお前のイトコだよ」
「はじめまして、俺は葉山啓一。二十一歳で見てのとおりナイスガイだ」
「あ、耕太です。はじめまして、啓一……さん」
 その普通じゃない自己紹介に、呆気にとられてうまく言葉が出てこない。
 一度父さんを見て、そのイトコに視線を戻す。
 今まで大学生と話す機会なんてまったくなかったので、どう話せばいいかわからない。
「あはは、緊張してるのかな。そのうち慣れると思うから、まあ座って」
 父さんが楽しそうに笑い、啓一さんに椅子を勧める。
 そして、母さんを含めた三人で、話を始めた。
 ぼくはそれを聞きながら、一人黙々とお弁当を食べ続ける。
「それにしても久しぶりだ。前にあった時は高校生だったかな?」
「そうですね。あの時は本当にありがとうございました」
 啓一さんは高校のときに一人で東京に出て、それからずっと一人で暮らしてるらしい。
 別に家庭の事情とかではなく、ただ向こうのほうが楽しそうだったから、というのが理由だという。
 父さんと母さんはその時に、いろいろと世話をしていたそうだ。
「あれから七年だから、あと一年で大学も卒業かしら?」
「いや〜。二回ダブっちゃって、まだ二年なんですよ」
 そんな話を聞いてるうちに、ぼくはお弁当を食べ終わった。
 父さんたちはまだ楽しそうに話し続けている。
 部屋に戻ろうかと思ったとき、突然啓一さんに話しかけられた。
「耕太、いまから遊びに行こうか。この辺りの案内がてらに」
「へ?」
 あまりに脈絡がないので、ぼくはまたもや呆けてしまった。
「おお、それはいいかもな。」
「そうね、耕太もここに慣れるいい機会だし。行ってきたら?」
 なぜか僕を置いて話は勝手に進んでいく。
「え、啓一さんと?僕が?」
「『啓一さん』とは他人行儀な、『兄貴』と呼んでかまわないぞ」
 それは謹んで辞退させていただきます。
 遊びに行くのはいいんだけど、なんかやりづらいな、この人。
「じゃあ、啓一兄さんにします」
「『兄者』とか『兄上』でもいいんだぞ」
「で、啓一兄さん。どこ行くんです?」
「うわ、流された……。まあいいや、とにかく外に行こう。叔父さん、叔母さん、お邪魔しました」
 一瞬落ち込んだかと思えば、すぐに復活して外へ出て行った。
 仕方がないので、僕も後を追う。
 啓一兄さんは家のすぐ前で、大きなバイクにまたがってぼくを待っていた。
「耕太。ハイ、これ」
 そう言ってぼくにヘルメットを投げてよこした。
 これを着けろ、という事らしい。
 ヘルメットを被ると、啓一兄さんが自分の後ろのシートをポンポンと叩いた。
 意味はすぐにわかったので、ぼくは後ろに座った。
「よし、それじゃあ行くぞ」
 ゴーグルだけ着けた啓一兄さんが振り返り、ぼくがしっかりしがみついてるのを確認してから、アクセルを開けた。


「あの時は本当にやばかったなぁ」
 あの後、ぼくらは時速百キロで村中を走り回った。
 啓一兄さんは楽しそうにあちこちの説明をしていたが、結局わかったのは啓一兄さんのバイクの後ろに乗ってはいけないということだけだった。
 なぜかぼくは啓一兄さんに気に入られたようで、その日からいろいろとつれまわされたりした。
 あれから二年、啓一兄さんは髪が黒くなった以外、何一つ変わっていない。
 そのせいでぼくは今、薄暗い獣道をひたすら歩いていた。
 雑草は膝くらいまであるし、地面のあちこちに木の根っこがはみ出していて歩きにくい事この上ない。
 春の日差しも木々にさえぎられて、まるで夜のように気温が低い。
 ぼくは手がつけられなくなった啓一兄さんに引っ張られ、村で一番高い山を登らされていた。
 体力がないわけじゃないけど、二時間も山登りをすれば流石に疲れる。
「ほらほら、あと少しだから頑張ろうよ」
 前を歩く啓一兄さんはやたらと元気だ。本当は病気じゃなくて、危険なクスリでも打ってるんじゃないかと疑いたくなってくる。
 雨でぬかるむ土を踏みしめ、生い茂る木々から降ってくる雫をまったく気にせずにどんどん先に行ってしまう。
 ここで置いてかれると帰れなくなりそうなので、ぼくものんびりはしていられない。
 足を滑らさないように気をつけながら、確実に上を目指し続ける。
 太陽の光が届かないこの森の中では、もし腕時計をつけていなかったら、時間なんてまったくわからないだろう。
「うわ、もう十二時か」
 家を出た時間から数えると、もう三時間になる。
 お腹もすいてきたし、さすがに体もヘトヘトだ。
 少し休もうかと思ったとき、上のほうで啓一兄さんが立ち止まっているのが見えた。
「耕太、ココだよ」
 啓一兄さんが指差した先には、小さな広場のような場所があった。
「うわ……」
 先ほどまでとは違い背の高い木はなく、景色が視界いっぱいに広がっている。
 青い空を覆い隠すものはなにもなく、手を伸ばせば吸い込まれそうなほどだ。
 地面には逆に、色とりどりの花が咲き乱れていた。
 そこはまるで、いつか本で見た天国のようだった。
「すごいだろー。驚いたか」
 啓一兄さんが誇らしげに胸を張った。
 確かに、これには驚いた。
「高校の頃に山篭りしたときに見つけたんだ。俺もその時は驚いたよ」
 山篭りする高校生の存在も十分驚くよ。
 それにしても、ここは本当に綺麗なところだ。
 ぼーっと眺めていると、啓一さんが肩に手を乗せてきた。
「ふっふっふっ。実はもう一つびっくりするものがあるんだよ」
 ニヤッと笑ってぼくの手を引っ張る啓一兄さん。
 そこは広場の端っこにある草むらを越えて少し上ったところで、この山の頂上だった。
 その向こうに広がるものは……。
「ほら、これが今朝言ったいいモノだ」
「…………」
 すごい。
 こんなものは想像すらしたことがない。
 今、ぼくらが見ているのは一見ただの草原のようだった。
 だがその草原は、新緑に包まれた山々で出来ているものだ。
 風に揺られて、草原は一瞬たりとも同じ表情を見せない。
 五月の光を浴びて、緑はまるで輝いているように見えた。
 その様は、いつまで眺めていても飽きる事はないだろう。
「俺のとっておきの場所だ。キレイだろ?」
「はい。こんなの、初めてです」
 素直な感想を言うと、啓一兄さんはうれしそうに笑った。
 景色で感動するなんて、生まれて初めての体験だ。
「しばらくこっちに戻れなくなりそうだからな、置き土産だ」
 仕事で忙しくなるらしく、去年まで見たいにしょっちゅう来ることはできないそうだ。
 ぼくたちはそのまま、交わす言葉もなくその景色を眺めていた。


 それから十年が経ち、僕は二十二歳になった。
 病気は完全に治っているが、ここが気に入ったので今更都会に戻るつもりはない。
 あれから啓一兄さんとは一度も会っていない。
 どうせあの人のことだから、東京でもいろいろやらかしているのかもしれない。
 だけど、いつかまたひょっこり現れそうな気もする。
「さて、今日はこれくらいにしとくか」
 僕は今、作家を目指して農作業をしつつ勉強している。
 いつか啓一兄さんのような、破天荒な主人公の物語を書くつもりだ。
 ノートパソコンを閉じ、一階に降りていった。
「ん?」
 居間のほうから話し声が聞こえてきた。
 こんな夜中にお客さんでも来てるのか、やけに賑やかだ。
「お、耕太。ひっさしぶりー」
 父さんと母さんが、そこにはいた。
 そして、懐かしいはずなのに、なぜか懐かしさを感じさせない人物もそこにいた。
「なんで居るんですか?啓一兄さん」
「うわ、ひどいお言葉。久しぶりに会ったイトコになんて事を言うんだ」
「東京に居られなくなるような事でもしたんですか?」
「盆休みだから帰ってきただけだ」
 そう言って二人で笑いあった。
 あれから十年もたったというのに、啓一兄さんはあまり変わったようには見えなかった。
 ただ、違和感が一つだけ。
「その子供は?」
 啓一兄さんの隣りには、おとなしそうな子供が座っていた。
 おそらく小学校の低学年くらいであろうその子は、啓一兄さんの影に隠れるようにしてコチラを伺っていた。
「ああ、その子は啓一君の子供だ」
 父さんが解説をしてくれる、って子供!?
「じつは夫婦喧嘩中でさ、こいつだけ連れて逃げてきたんだ」
 その奥さんは、十年前のあの日の翌日東京に戻った時に、悪化していた風邪の看病をしてくれた人らしい。
 そして、その一年後に結婚、その後すぐにこの子が生まれたそうだ。
「名前は一哉っていうんだ。ホラ、自分で挨拶しなさい」
 そう言われてその子は前に出てきた。
「あ、あの、一哉です」
「ああ、はじめまして。一哉君、僕は耕太っていうんだ」
「はじめまして、……耕太さん」
 一哉君はどうやら少し緊張しているようだ。
 なんだか昔の僕みたいだな。
 母さんもそう思ったのか、懐かしそうな目で見ている。
 と思ったら、予想外の一言が来た。
「なんだかその子って、昔の啓一君にそっくりね」
 啓一兄さんに似てる?
「え、そうですか?」
「ええ、私たちの結婚式のときの啓一君も、こんな感じだったわよ」
「そうそう、いつも両親の後ろに隠れてたなぁ」
 二人にそう言われて、啓一兄さんは照れたように頭を掻いた。
 しかし、啓一兄さんが昔はこんなだったなんて、意外だなぁ。
 今のこの人からじゃ全く想像できない。
 となると僕も啓一兄さんみたいになる可能性があったのか。
 そんな事を考えていると、啓一兄さんがこちらを振り向いた。
「あ、そうだ。耕太は今週ヒマか?」
「え、今週、ですか?……まあヒマ、ですけど」
 用事があるわけないのだが、急に話を振られたので、すぐには答えられなかった。
 そう答えると啓一兄さんは、いつのまにか眠っていた一哉くんの頭を撫でた。
「俺は用事があるんで、悪いが明日からこいつの事を頼む。遊び相手になってくれ」
 断る理由もないので、首を縦に振る。
 一哉君と僕、まるで十年前の啓一兄さんとぼくみたいだ。
 ぼくも啓一兄さんのように、この子をあちこちに連れて行こう。
 最初は迷惑に思うだろうけど、慣れると結構楽しいはずだ。
 僕も昔はそうだったから。
 そして、いつかこの子にも言ってあげよう。
『今からいいモノを見せてあげるよ』ってね。




[終]