「ラボホテル」
著者:白木川浩樹(とぅもろー)



 給料が高くて楽で短時間で出来る仕事。
 たまたま目に付いた求人広告の片隅に、そんな謳い文句が並んでいた。
 普通に考えれば、そんなものなど有り得ない。もしも、そんなものが有るとしたら、それはこんな新聞の折り込み広告に載せられるような合法的なものではないだろう。
 だとすれば、これは一体どのような仕事なのだろうか。
 湧き出た好奇心のままに広告を手に取り、その内容にしっかりと目を通す。
 端から端まで、ものの一分も立たずに読み終えてしまった。何てことはない、そこにはただ給料等の条件と、連絡先が書いてあるだけだったのだ。
 謳い文句に負けないだけの時給はあるようだが、肝心要の業務内容については一切が秘されている。ここまで不安と興味を湧かせるような求人は、そうないだろう。
 常識を持った人間なら、とてもではないがこんな不審なものに連絡を取ろうとは思わないはずだ。
 その理屈から言えば、どうやら自分は非常識な人物のようだ。右手にはすでに携帯電話が握られており、すでに電話番号の入力も終わっている。
 なにせ入社したばかりの会社は倒産し、貯金もすでに底をつきかけているのだ。飢餓に苦しむ者は、たとえ毒が入っていようともそれを喰らうだろう。
 通話ボタンを押し、電話を耳に当てる。スピーカーからは、無機質なコール音が二度、三度と響く。
 相手に繋がったのは、おそらく十度目くらいだったと思う。なかなか繋がらなかったので、そろそろ切ろうと思った矢先のことだった。
「お待たせして申し訳御座いませんでした」
 意外なことに、電話の向こうから聞こえてくる声は若い男性のものだった。半年ほど前の就職活動の名残か、この手の電話番は女性か中年男性だという固定観念があったらしい。
「求人募集の広告を見てお電話したのですが、まだ募集はしていますか?」
「ああ、その件なら大丈夫ですよ。少々お待ちください」
 予想外のことに戸惑いはしたが、取り乱すほどのことではない。相手の丁寧な応対も、こちらを落ち着かせるのに一役買った。
 数分後、電話口の男の声が再び聞こえた。
 紙をめくる音と、小さくカチッと音がする。どうやらメモ用紙とペンを取りに行っていたようだ。
「お待たせしました。それでは、幾つか質問しますがよろしいですか?」
 もちろん異論は無い。それを伝えると、男はこちらの名前や連絡先などを次々と尋ねてきた。その声から想像するに、恐らく自分と同年代くらいだと思われるのだが、その割には話し方は堂々としており、電話で話をすることになれているような印象を抱いた。
 質問の後、聞きたいことはないかと言うので、一体どんな仕事なのかと尋ねてみた。
 すると、男は笑って
「生憎ですが、教えてはいけない決まりなんです」
 とだけ答えた。


 翌週。
 後日、改めて電話で指定された場所にやってきた。
 持参したのは履歴書のみ。他の物は一切必要ないと、正確には持ってきてはいけないと言われたので、鞄は見事なまでに薄っぺらくなっている。
 時刻はすでに九時を回っている。空には薄汚れた雲で輪郭がかすれた月がゆらゆらと浮かんでいた。都会と呼んで差し支えのないこの街では、それ以外の一切の星は見えることはない。
 こんな時間に来いとは非常識に思えるが、もとより常識など何一つなかったのだ。今さら一つくらい増えたところで大差はないだろう。
 ポケットからメモ用紙を取り出す。
 そこに書かれている名前と、目の前にある建物の名前を見比べ、その二つが同一であることを確認し、もう一度メモをしまった。
 その時、若いカップルがこちらを盗み見しながら通り過ぎていくのが見えた。
 それもそうだろう。この場所にある建物の殆どが、恋人たちの為に建てられた宿泊施設なのだ。こんなところに男が一人でいれば、誰だって不思議に思うはずだ。
 その手の建物が乱立するなか、例外的にビジネスホテルが一軒だけ建てられていた。それこそが、たった今確認したばかりの目的地だ。
 おおよそ十階建てくらいだろう。周囲のピンク色のネオンに照らされているせいで雰囲気こそ怪しげなものの、建てられてから間もないのか、それなりに綺麗なものだった。
 一体どんな仕事をやらされるのだろうか。多少の疑惑が生まれるものの、今さら悩んでも仕方がない。意を決して中へと足を踏み入れる。
 ホテルには入ったがフロントには誰もおらず、呼び出しようの卓上ベルが一つ置いてあるだけだった。
 それを鳴らすと、奥から一人の男性が顔を出した。
「先日、求人募集のお電話を差し上げたものですが」
「新しい人ね、話は聞いてるよ。とりあえず、控え室にどうぞ」
 男性は気さくに中へと促した。電話口の男とは別人のようだが、年齢は同じくらい、おそらくは大学生だろう。
 控え室には中年男性が一人、ここの責任者だそうだ。
 責任者に履歴書を渡す。
「………うん、なるほど。それで、いつから働ける?」
「今日からでも」
 あっさりと採用されてしまい、正直拍子抜けの感はあるが、話が早いのはこちらとしてもありがたい。
「では、葉山くん。一緒に五〇一号室に行ってくれるかな? ちょうど依頼があったんでね」
 そう指示されると、葉山と呼ばれた男性は嬉しそうに頷いた。
「お、ラッキー。あそこは支払いがいいんだよねぇ。では新人くん、俺と初仕事だ」
「一体どんな仕事なんです?」
 年下のようだが、仕事上は先輩だ。念のため敬語を使っておく。
 葉山は悪ガキのようにニヤッと笑って、
「来ればわかるさ。いや、わからないのかな?」
 と言った。


「………と言うわけで、私の発見は世界を変えるものだといっても過言ではないのだよ。わかるかね?」
「さっぱり分かりません」
 五〇一号室に入ってからすでに一時間。
 その間ずっと、白衣を着たオッサンに、延々と講釈を垂れられていた。
 量子力学がどうこうと言っていたが、あいにく三流大学卒の頭では何一つ理解できない。隣でお茶をすすっている葉山も同じようで、先程こっそり欠伸を噛み殺しているのが見えた。
「いやー、さすが博士だ。話が高度過ぎて俺たちには全然理解できないっすよ」
「うむ、そうだろう。凡人には到達し得ない世界だからな」
 オッサンは満足そうに頷いた。
「さて、それでは研究の続きに取り掛かる。早々に出て行きたまえ」
「了解です。それじゃ、頑張ってくださいねー」
 部屋を出た途端、大きく息をついた。
 あんなよく分からない話を延々と聞かされた挙句、眠らずに適当に相槌を打たなくてはならないなんて、修行僧にでもなった気分だ。
「お疲れさん。まあ、慣れれば楽な仕事だから、頑張っていこう」
 葉山がねぎらいの言葉をかけてくる。本人の言うとおり、葉山はあれが全然堪えてないようだ。
「で、結局この仕事はなんなんです?」
 あのオッサンは何やら研究をしていたようだが、それの手伝いをするわけでもなく、ただ話を聞いていただけだ。もっとも、手伝いをしろと言われても出来ることなど何一つないのだが。
「ん? ただ話を聞くだけだよ」
 それが当たり前だと言わんばかりに、葉山は答える。
「このホテルはあの手の『自称研究家』御用達でね、篭りきりでああやって研究をしてるんだ。それで、完成した研究内容を誰かに話して褒めて貰いたくなることがあるんだよ。自分のやってることはスゴイって」
「はぁ」
「俺らはそれを聞くだけ。内容なんてわからなくていい。むしろ、勝手にそれを盗んだりしないように、わからないほうがいいくらいなわけ」
 どうりで、責任者は俺の学歴をみてあっさりと採用を決めたわけだ。
「まあこんなところにいる研究者なんて金持ちの道楽みたいなもんだから、ほとんどがくだらない研究ばっかりなんだけどね」
 バイトなんていう気軽な立場に研究内容を聞かせるのも、その辺の理由らしい。まあ、こちらとしてもそんな理解できないものを盗むつもりはないし、給料さえもらえればどうでもいいわけだが。
 なんにせよ、給料が高くて楽で短時間で出来る仕事には間違いないようだし、頑張るとしますか。


 それからしばらく経ち、この仕事にも大分慣れてきた。
「………がついに証明されたのだ。それにより………」
 今日も相変わらず話の内容がわからないが、どうせ理解するつもりもないし、したいとも思わないので問題無し。
「へぇ。そんなことも出来るのですか」
 適当に相槌を打つ技術は大分上達したように思えるが、この技術、他の仕事で役に立つことはまず無いだろう。あまりにも退屈なので、そんなことばかり考えてしまう。
「ふぅ。今日はこれくらいにしておこう。最後の仕上げがあるんだ」
「そうですか。頑張ってください」
 部屋を出ると、窓の外に夕日が見えた。
 もう一仕事くらいしたら、今日は上がるとしよう。午前中から入っていたし、ろくに聞いていないとはいえさすがに疲れた。
 控え室に戻ると、ちょうど管理人が依頼の電話を受けているところだった。
「お、ちょうど良かった。……はい、さっそく向かわせます」
 受話器を置いた管理人が、今受けたばかりの仕事を告げる。
「今回は七〇三号室だ。そろそろ浅見くんが来る頃だから、これが終わったらあがっていいよ」
「はい、行ってきます」
 正直なところ少し休みたかったのだが、呼び出しがあっては仕方がない。さっさと行って帰るとしよう。
 七〇三号室にいたお客さんは、すでに齢六十は越えてそうな、真っ白な髪をした老人だった。
 体は年相応にやせ細っていたが、その双眸には衰えを知らない力強さが窺える。
 部屋に入り、椅子を借りて腰掛けたところで、老人は話を始めた。
「私は、『研究者』を研究している者だ」
 老人の口調は淡々としたものだった。
 今までの人たちは皆、程度の違いこそあれ熱く語っていたのだが、老人はどこかつまらなそうにすら見えた。
「このホテルでは研究対象に事欠くことは無い。そう思っていたのだが……」
「今は違うと?」
 老人は頷く。
「確かに数は多いが、どれも小粒だ。すぐに終わるような研究ばかりしている。研究とは膨大な時間と手間をかけるべきものだというのに……」
 確かに、ここに篭っている人たちの研究は早いペースで終わることが多い。こちらとしてはその方が仕事が増えるから嬉しい限りなのだが、老人にはそれが不満のようだ。
 何かを突き詰めた人物というのは大抵が変わり者らしいが、この老人はその中でもとびきりの大物かもしれない。
「それでは、研究者である自分自身を研究するのは如何でしょう?」
 バイト規定に『自分の意見は求められない限り言わない』というものがあるのだが、早く帰りたい思いもあって、つい口にしてしまった。
 余計な事を言ってしまい怒っていないかと様子を窺うと、老人は何やら呆然とこちらを見つめていた。
「…………そうか」
「えっ?」
 老人は勢い良く立ち上がり、そのまま机に向かってワープロのキーを叩き出した。
 五分ほどその後ろ姿を眺めていると、老人は笑顔で振り向いた。
「君の言う通りだ! これなら一生研究が続けられる!」
「はぁ……」
「今日で終わりにしようと思っていたが、とんでもない。私はまだまだやるべきことがあったのだ!」
 早口でそれだけ告げると、老人は再びワープロで作業を始める。
 とりあえず、これで今日の仕事は終わりだろう。最後に一言挨拶をし、部屋を出た。


 あれから一年ほどこのホテルで働いているが、あの老人からの依頼は一度も無い。
 依頼が来るのは研究が終わったときなので、老人のやるべきことは未だに続いているようだ。
 結局、あの一言は老人にとって幸福だったのか、不幸だったのか。
 知る由も無く、今日も給料が高くて楽で短時間で出来る仕事に精を出すばかりであった。




[終]