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テニスサークルはこじんまりと佇む部室棟の二階端に部屋を陣取っている。
一部屋が少し大きめにあてがわれているため、特に私物や道具類をおかない部屋にしては贅沢すぎるくらいのものだ。ここに全員揃うこともほとんどなく、たまのミーティングや雨の日の連絡に使われるくらいで、使用頻度は概ね低い。
「そういえばさ」
部室棟の階段を登る途中でふと思いついた疑問を投げかけると、一、二歩先を歩いていた幸一が、何気なく早紀を待ちながら振り向いた。
「ん?」
「どうして、部室棟なんかに来たの?」
確かに更衣室は部室棟にあるが、見学と称してメンバーを観察するなら、サークルがいつも使っているテニスコートへ直接向かった方が手っ取り早い。
「ああ……ちょっと確かめたいことがあってな」
幸一は回りくどく、少し言を濁した。
「確かめたいこと?」
「落ちてきたカゴとラケットについて」
溜息混じりにそう告げられて、はたとあの事件のことを思い返す。
だが、早紀の脳裏に浮かんだのは、落ちてきたラケットカゴが見事にひしゃげるほどラケットが入っていたことと、追撃を避けるために一目散にその場から駆け出したことだけだ。あれが部室のものかどうかは覚えていないし、もう一度現場に戻ったときには誰かが片付けていたようで、ラケットもひしゃげたラケットカゴもその場にはなかった。
「それが、どうしたの?」
「今うちのサークルに居るのは七人だ。あれだけ大量のラケットなんて、体育で使うために体育用具室から持ち出されたか、うちのサークルにある古い奴くらいしかないだろ」
「あ………」
「あの時現場からはなれて、戻ったらなかっただろ。だから、誰かが片付けたらひしゃげたラケットカゴがないか確かめに行こうかと思ってさ。体育用具室は貸し出しに先生の許可もらわないといけないから、あとで履歴を調べればわかる」
「なるほどー」
早紀が目を丸くして幸一を見ると、幸一はその視線に溜息を返した。
「俺だって死に掛ければそれくらい考えるさ」
「でも、今まで授業もギリギリの回数しか出てない人が、って考えれば印象代わるよ」
「失礼な………」
幸一が軽く睨んだところで、問題の二階中ほどの教室の前に立つ。
中から笑い声が聞こえてきて、誰か居るのだとわかる。
「………」
一瞬ためらったように引き戸を眺めてから、その後はさすがの幸一も平静を装った顔で引き戸を引いた。
「ちわっス」
「こんちわー」
中に入ると、中央の小さな丸テーブルの辺りに二人が談笑していた。
「お、"リュウコ"と"ワンタン"じゃん」
「………どうしたの。珍しい」
「その前に、"ワンタン"ってやめてくださいよ、部長っ」
対照的な顔を見せる二人にまず、早紀が吼えた。
「だって、"タニー"がつけたもんだからねぇ。一応君の先輩だし」
右手に持った鉛筆をくるくるりと回して、メガネの男が嫌味とばかりに笑う。
「あのオヤジ………」
「まぁ、決定事項だしな」
今にも噛み付きそうな顔の横で、幸一が早紀にとどめの横槍を入れた。
「わーん、トモ〜、みんながいじめるよー」
大根役者振りを発揮して、早紀がもう一人の女性の方へ飛びついた。相手にとってはいつものことで、向かってくる早紀をやさしく受け止める。
その光景が一番犬らしいとは、幸一は口が裂けてもいえないのだが。
「はいはい、よしよし……で、こんな時間にどうしたの?」
「ああ、今日コイツが怪我したから、練習中止にしてもらいたいんだ」
幸一の言葉を聴いて、"カワトモ"の顔がさっと青ざめる。
いきなり胸元で泣きまねをしていた早紀の両肩をつかんで引き離した。
「どこっ?どこ怪我したの?大丈夫っ?痛いなら痛いっていいなさい」
「あ、慌てない、慌てないっ。かすり傷だから平気なの!」
ガクガク揺すられた早紀の方が慌てて事情を説明する。
「そう………?ほんとに平気?」
「大袈裟なの、皆。だから、今日は休むの」
「はぁ………っとにもう、アンタは」
「ということで、"カワトモ"に報告に来たんだよ」
自己完結してる二人に注釈を入れるように、幸一がポツリと言った。本当は多分に嘘だが、この際突き通してしまったほうが楽なのは明確だった。
「そういうこと。今日練習出られないから、って」
「ああ、それなら携帯で言ってくれればよかったのに」
「携帯で怪我したーっていったら、今みたいに錯乱するかなって思って」
「う………」
「一本取られたな、"カワトモ"」
苦い顔をした"カワトモ"の反対側で忘れ去られていた眼鏡男が笑った。「部長」と肩書きがついてからそちらの方しか呼ばれておらず、幸一も早紀も彼のあだ名のようなものは知らない。白瀬というのが本名だ。
「部長は驚かないんですね」
「さっき"フローレンス"経由で"シバ"から連絡が着たからね。こっちで会うだろうけど、って注がついてたから、来るのも知ってた」
「なんだ、そうなんですか」
早紀があからさまにつまらなさそうに口を尖らせた。
「………そういえば、二人で何してんスか。こんなとこで」
「しかも二人っきり……?」
ぼそり付け加えた早紀の悪戯で、"カワトモ"が爆発した。
「なっ、なに言ってんの!この、"ワンタン"っ!」
「あ、禁句っ!」
さっきまでじゃれあってた二人がおぞましいオーラを放って立ち上がった。
後の会話を聞く興味が失せ、テーブルの反対側の眼鏡の男に視線を合わせると、彼の方も困ったような笑いを浮かべて、テーブルを持っていた鉛筆で叩いた。
「合宿の費用概算をまとめてたんだ。毎年やってるけど昨年まで二年連続で僕だったから、今年は"カワトモ"に手伝ってもらって、来年以降やってもらおうかと思ってさ」
「ああ、なるほど………」
ちらりと見るテーブルの向こう側は既に地獄だった。
この前シミのついた服についてくだらない激論をかわす二人に、幸一は溜息を一つ送ってに視線を戻す。
「………"ワンタン"のお守も大変だね、"リュウコ"」
「それほどでも……ありますか」
とは言っても、付きまとわれてからパターンは大体読めている。今はあしらうのも一緒に行動するのも最初に比べればあまり苦ではなくなっていた。
「あ、そうだ、部長」
「ん?」
「ちょっと、荷物いじっていいスか?」
そういって、荷物がごちゃごちゃに積まれた奥の方へ歩き出す。西日になりかけた光が差し込むベランダまでは足の踏み場があるが、その横辺りは色々無造作にいろんなものが置かれている。
「……どうしたの?」
「いや、今日ラケット入った見慣れないラケットカゴみたんで………もしかしたらウチから持ち出されてんじゃないかと」
「体育で使ったんじゃないのか?」
「いえ、別のとこにおいてあったんで」
「じゃあ、僕のところに貸し出しの声がかかってないから、別のじゃないか?」
「そうスか………むぅ」
諦めて、立ち上がる。
正確には、諦めたフリをして、だ。
ベランダの横、すぐ傍にまるで「見つけてくれといわんばかり」に十数本のラケットがひしゃげた鉄製のラケットカゴに積まれていた。
『舐められてるのか………?』
殺されかけた怒りが再び、ふつふつと湧き上がる。
「"リュウコ"?」
寸前のところで部長に呼び止められて、幸一は我に返った。
自分でもわからないくらい熱が篭もっていたのか、部屋を流れる空気がいやに冷たく感じる。
「………」
「なんか怖い顔してるけど、なにかあったのか?」
「あ、やっぱりそう見えます?」
つとめて明るく笑う。
「………どうしたんだ?」
「実は今日、全部の講義寝ちゃいまして。ノートどうしようか考えてたんですよ」
「………おまえなぁ」
部長の表情が、緊張から呆れと溜息に変わる。
「体育ならノート取らなくても単位取れるんですけどね」
「当たり前だろ……まったく、心配してやればこうなんだから。"リュウコ"は」
部長は一度立ち上がった場所から、元の椅子を引き寄せて座った。
「そんな心配してたら気が狂いますよ、部長」
「自分で言ってりゃ世話ないよ。とりあえず、留年だけはやめとけよ。カッコつかん」
「……前向きに善処します」
「よろしい」
そこまでいって、部長は丸椅子を回転させて残りの二人の方を見やった。
会話は既に解決したらしく、たわいないただのおしゃべり化している。
「"カワトモ"」
「はい?」
「そろそろ練習に行こう。後は支出合計をまとめるだけだから、今日中に終わるだろうし」
まとめていた書類をあらためてトントンと叩いて端をそろえて、部長が立ち上がった。
「あーい。でもなんか早紀がいないとやる気失せるなぁ」
「また、甘え上手〜」
「………さっきのおぞましいオーラどもはどこへやった」
「え?何か言った?」
幸一の呟きは、本当に耳に入っていなかったらしい"カワトモ"の聞き返しによって潰れた。
「いや……なにも」
「さ、そうと決まったら出た出た。鍵掛けちゃうから」
部長の一言で、"カワトモ"が荷物をまとめはじめた。幸一と早紀は荷物はあるものの、出していないから肩に背負うだけだ。
「そういえば、二人はもう帰るの?」
"カワトモ"の問いにやや分かりづらい様子で、早紀が頷く。
「うん、そだけど。なにかあるの?」
「ああ、別にそうじゃないんだけど。早いからどっかに寄るのかなって」
「そのつもりはないよ」
幸一がきっぱり言い切った瞬間。
「あーっ!」
早紀が奇声を上げた。
「なんだ、うるさいな」
「忘れてた!とんこつラーメン大盛りチャーシュー入りっ!」
今にも襟袖をつかみかからんばかりの勢いで、早紀が幸一に迫る。幸一はそれこそ憎々しげな顔を浮かべて、早紀をもてあますように視線を外した。
「…………覚えてたのか」
「思い出したんだよ」
あくまで真顔の早紀に、"カワトモ"が吹き出した。
「なに?とんこつラーメンがどうかしたの?」
「幸一の奢りなの。言ってくれてアリガト、トモちゃん」
「………後で覚えてろよ、"カワトモ"」
少しテンポを落として、幸一がじとりと"カワトモ"を睨んだ。
「あ〜ら、怖い怖い」
そう言っても別段幸一が何をするわけでもないのを知っているから、"カワトモ"の反応はえらく浅かった。
部室を出ると、さすがに廊下は多少なりとも人影がちらりほらりと廊下の隅にある。三階はないが、二階は隣棟へ接続されているので、そこから授業終わりに流れてくる人間が多い。
「じゃ、僕達は部活行くから」
「私達は、学食ね?」
「はいはい」
わざと念を押すような早紀に、幸一は溜息を混ぜて応じた。
「んじゃ、今日は大人しくしてんのよ」
「はーい」
それだけ言って、二人は更衣室の方に消えていった。
「………あの二人いつくっ付くんだろうな」
「ねえ、幸一」
なんとなく見送るような形で立っていた早紀は、幸一の話題に乗らなかった。
その視線は"カワトモ"たちの消えた方へそそがれたまま、ただ表情だけがはりついたように固い。午後の陰影も手伝ってか、その表情にただならぬものを幸一は感じた。
「………なに?」
「目的のものは、見つかったの?」
「あ……ああ。あった、カゴとラケット」
「………そっか」
固い表情のまま、多少うつむき加減に、早紀が歩き出す。
「どうかしたのか?」
「やっぱり、テニス部の誰かなのかなって思ったら、ちょっとね」
幸一の問いに顔を上げた早紀は、力なく笑っていた。
早紀とて、チームメイトに裏切られるような行為に対して憤りを覚えていないはずはない。
「今の所、可能性は高いからな」
うかうかしていると、殺されるかもしれない。
それはわかっていたが、情報が少なすぎる。まだ会っていないメンバーの残り一人を除いて、彼らはごく普通の接し方で幸一たちの前に現れた。
あまりに自然すぎて、意識してみれば見るほど、よくわからなくなる。
そして、冷静になればなるほど、誰が犯人か疑っている自分自身に罪悪感を感じてしまう。
「…………早いところ見つけ出さないとな」
「うん」
軽く早紀がうなずいて、そのあとにぱっと笑った。
「その前に腹ごしらえしないとね。さ、食堂へ行こ」
「………結局そこに結び付けるんだな」
嬉しそうに前を行く早紀に引っ張られるように、幸一は少し複雑な溜息混じりに、彼女の後を歩き出した。
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