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電話のコール音だけが耳の中に鳴る。
何コール目か忘れた頃にブツ、と音が切れて、一瞬の静寂の後
『はいはいもしもしー。ふわー………あ、と』
こちらの雰囲気をまるで読まない、のんびりした景汰の声が聞こえた。
「景汰、ちょっと聞きたいことがある」
誠一は受話器越しに、自然と強い口調になった。今、誠一を見つめている二つの視線が、真夏だと言うのに冷ややかに、不安げにゆれているのが分かったからだ。
『どしたんだ一体。卒研で何かあったか? あー、共同でやってる佐倉班が今日徹夜で爆発実験してたから、研究室爆発したとか?』
「そうじゃない、昨日のことだ」
『昨日?』
「昨日の夜、お前、どこにいた?」
これは賭けだった。
自分が昨日関わった澪と吉田が、自分と同じように7月22日を繰り返し始めた。
澪はともかくとして、少なくとも吉田よりは景汰や教授の方が、関係が近い。同じ状態になっていてもおかしくないはずだ。
『なんだよ、まるで警察のアリバイ調べじゃねえか』
「いいから答えてくれ」
『えーっと………昨日は大学で四限終わって、バイト行って………九時ごろいつも飲む仲間と会って、菊原駅前のファミレス………あそこはえっと………あ、ナムサンか。あそこでで閉店までダベってたぜ』
「じゃあ、ウチには来てない………よな?」
『何寝ぼけてんだ。行くわけねえだろ。それに行ったらお前が覚えてるはずだろ?』
「分かった、ありがとう」
『あん? いったいなに』
景汰が言い切る前に携帯を切り、澪と吉田の方へ向き直る。
彼女たちはそれぞれ、不安そうな表情のままこちらを見ていた。
学食裏手の、日陰になったオープンテラスには、今は誰も居ない。日陰で幾分涼しげではあるが、誰も居ないのは午前中なので、と言うよりは外は暑いから、と言う理由だろう。
「どうだった?」
澪の問いかけに首を振る。
「景汰は、俺たちみたいになっていないようだ」
「いったい、どういうことなんでしょう………佐倉さんも昨日のこと覚えてなくて………今日、ぜんぜん話がかみ合わなくて」
吉田が力なく言葉をこぼした後、またボロボロと泣き出した。ただでさえ頼りなさげな顔が、半分泣いていたせいでさらにやつれて見える。
「とにかく今のところ、こんなことになってるのは私たちだけってことだよね?」
吉田の背中をやさしくさすりながら、澪は言った。
さっき、二人きりだった時よりも落ち着きを取り戻してはいるが、澪もいつもの楽観的な顔と比べて表情が険しい。現状を徐々に受け入れはじめている分、打開策が見当もつかないことを分かっているのだ。
「今のところはな。他にいないとも限らないが………」
誠一も、7月22日が繰り返されている現象については二人に話した。おそらく、自分が実体験をしてなかったらい佐倉や澪が来たところで「何の冗談だ」と突っぱねてしまった所だろう。
「他に、心当たりはない?」
澪にそういわれて、腕を組む。
前の三日間と、出会った面子に違いがあるわけじゃない。澪、教授、景汰、後は吉田に佐倉。他に言葉を交わした人間、と言うくくりで言えば、図書館の掃除のおばちゃん、くらいだろうか。声を掛けてもらったと言えば夕飯を買ったコンビニの店員も入るが、一方的なコミュニケーションなので論外だ。
誠一は、いつの間にか自分が手の指を折って数えていたことに気づいて、溜め息をついた。
「どしたの?」
「いや、昨日会った人がこんなに少ないのかと思うと、ちょっとな」
別にそれ自体、多ければいいというわけでもないが、実際確認したらしたで少し思うところはある。今回は逆に、少なくて幸いだが。
「いまさら何言ってんの。いつもなら要らないとか言うくせに」
澪の呆れた声が返ってきた。それには誠一も苦笑した。確かにそうだ。
「心当たりは、特には………ないな。後は教授に聞いてみるくらいだ」
「私も昨日は、原因になりそうな特別なことはしてないし、出会ってもない」
「わたしも、特には………」
三人の間を一瞬、深い沈黙が流れた。
が、澪が沈黙を打ち消すように、ぐったりと椅子の背もたれに体を寄りかからせた。
「あーもー………私が一体何をしたって言うのよー………」
「それは俺も聞きたい」
いよいよ、勘違いでは済まなくなって来た。
原因は分からないが、自分達は実際に、7月22日を繰り返している。
澪と吉田は今回が初めてで、自分は既に4周目を繰り返している。
その差が一体何なのかも分からない。手がかりが少なすぎるのだ。
こればっかりは事細かに3人の行動や情報をまとめてみないと分からないだろう。
ただ、1、2周目で起こらなかったことが3周目で起こったということは………すくなくとも自分が影響して、彼女達を巻き込んだ可能性は容易に想像が付いた。
自分がこうなった理由はともかく、責任を感じずにはいられない。
くぅー…………。
そうそう、可愛いお腹の鳴る音………ん?
「はぅっ!」
いつもの小さな声とはかけ離れた、びっくりするくらいの声を上げ、吉田が腹の辺りを押さえて立ち上がった。心なしか顔が上気している。
「ああ………確かに腹減ったな」
思わずつぶやいていた。考えてみたらもう昼に近い。お腹が空くのも無理はない。
「ごめんなさい、い、いえッ、だ、大丈夫ですっ、お腹、空いてません!」
「鳳」
なんだかおかしなことを言い出した吉田を見ていたら、澪が険しい顔でこっちを睨みながら、手招きをしていた。
「ん?」
「ちょっと」
「なんだよ」
「あんたねぇ、そういうのは恥ずかしいんだから、分かってても黙ってなさい」
「でもお腹空い」
「いいから黙ってろ」
「………はい」
ここは黙っているのが賢明だろう。
決して澪の剣幕に押されたわけではない。合理的な判断と言う奴だ。
「さーてと、私もお腹すいたし少し早いけど………ラーメンでも食べに行かない?」
「………お前、この暑いのになんでわざわざラーメン一択なんだ」
「いいじゃない。だって、昨日………じゃなかった、前の日はカレーだったんだもん」
「汗だくだくだな」
メニューの暑さは大して変わらない。むしろカレーの方がひどい気もする。想像しただけでも汗が吹き出る。
「それだけ汗かいてもお化粧崩れないなんて、うらやましいです………」
「いやー、崩れるけどー………気にしてたらカレーもラーメンも、食べられない!」
「カッコいい………」
吉田は別のところで変な関心をしていた。
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