「901」
著者:雨守



-1-
 放課後。
 
教室に生徒の姿はすっかり無くなる。
 電気も消えて静寂に包まれた薄暗い教室…。
 その教室に一つの影が入ってきた。
「…」
 なるべく物音を立てないようにしているのか…、その人物は息を殺し足音までも消そうとしている。
 そしてその人影は教室内の一つの机の前で立ち止まる。
「…」
 カタッ。
 小さな物音。
その人物が空っぽの机の中にそっと何かを入れた音だ。

そして…

「盗んだモンを返しにきたのか?」
 
「…っ!?」 
ふいに背後から聞こえた声に人影は大きく反応し、振り返る。
 振り返った先に教室の後の方にある机に座り、腕を組んでいる大石孝治の姿があった。
「やっぱり君だったんだね。咲子を突き飛ばして財布と宿題を盗んだのは…」
 孝治の鋭い視線がその人物の歪んだ表情に突き刺さる。

「武田由美…さん」

 その人物…、『武田由美』に。
 
由美は孝治の顔を見た瞬間は焦りを隠せなかったが、やがて平静を取り戻し心を落ち着かせる。
「何で…私だってわかったの?大石君…」
 それはつまり孝治に指摘された事を認めるという返答でもある。
 由美の口調はいつもの明るくはじけた感じの彼女とはまるで違って、別人の様に落ち着いていた。
由美は静かな笑みと共に孝治に回答を求める。
「気付いたのは最後の最後。君が保健室を出る時に咲子に残した言葉を聞いた時だった」
 と、孝治。
「実は俺休み時間に保健の先生に聞きに行ったんだけどさ、咲子は額に包帯を巻いてた様に見えたけど実はぶつけたのは後頭部らしいんだ…」
「え?」
 軽く聞き返す由美。
「実は体を横から押されてそのまま後頭部を電柱に強くぶつけた。後頭部じゃガーゼを貼ったりできないから額から後頭部にかけて包帯で固定しているらしいんだ」
「ふうん…。でもそれがどうかしたの?」
 由美は孝治の話を聞いても今一ピンと来ない。
 孝治の言いたい事がよくわからないのだ。
「普通はさ、『いきなり突き飛ばされて電柱に頭をぶつけた。犯人の顔は見ていない』
 っていう話を聞いて、しかも額に包帯を巻いている咲子の姿を見たりしたら誰だって『後から突き飛ばされて電柱に額をぶつけた』思うものなんじゃないかな?」
 と孝治。
「ええ、そうでしょうね。私も今の今までそう思ってたよ?」
 何気なく由美は答える。
「へぇ、そう?」
 突然、孝治の目つきが変わる。
「じゃあ何で保健室を出る時、咲子にあんな事を言い残したの?」
「あんな事…?」

…。『じゃーね、咲子。あ、そうそう。頭の怪我がガンガンする様なら私に言ってね?昼休みに氷枕でも借りてきてあげるから』。

「っ!?」
 やっと孝治の言わんとしている事に気付き、由美の表情が一転して険しくなる。
「『氷枕』…。頭の怪我が痛む時、確かに氷枕で冷やすと言う方法は間違ってはいない。しかし氷枕で冷やせるのは後頭部だけだ。君は何故氷枕が必要だと思ったのか…」
 孝治は腕を組んだまま淡々と語る。
「なるほどね…、そう考えれば咲子の怪我が『額』で無く『後頭部』だと知っていた私が怪しく思えるのも無理はないわね」
 由美はため息を一つ。そして…
「それで?まさかそれだけで私が犯人だなんて思ったわけではないでしょ?」
 由美は引き続き孝治に質問を投げる。
 確かに。今の孝治の話だと由美が「怪しい」と言うだけで、決定的な証拠にはとてもなり得ない。
「確かに、それだけでは君が犯人だとは言い切れない。でもね、今になって思い出してみると、君はその前にもかなり妙な事を口走っていたんだ…」
「妙な事?」
 孝治が狙ったように放った意味深な言葉に由美は食いつく。
「覚えてる?保健室で咲子が事件の大すじを説明していた時の事…」
 孝治は間をおいて由美の不思議そうなキョトンとした表情を一目確認すると、話を続ける。
「咲子はこう言った。『盗まれた宿題は英語の教科書の和訳だけ』だとね」
 孝治の話を聞きながら、由美もその時の会話を思い出す。
「それに対して君は妙な事を言った…」 

…。『え〜?英語だけって…犯人はたかがノート一冊盗む為だけに咲子をこんな目にあわせたって言うのーっ!?』。

「たかがノート一冊…。君はなぜそんな事がわかったの?咲子は英語の宿題と言っただけでノートが一冊だけとは一言も言っていない」
「あっ!?」
 由美は自分の言動を振り返って指摘された失敗に気付いた。
「英語の教科書の和訳なら、教科書のページをコピーした物に直接書き込んだり、提出用のレポート用紙に書いたり方法はいくらでもある。それなのに、君は迷わずにノート一冊と言い切った」
「…ふぅ」
自分の犯した小さなミスを悔やみ、由美はため息をつく。
まさかそんな事から自分が犯人であるとばれてしまうとは全く予想していなかった。
「でもね、大石君。じゃああれはどう説明するの?咲子が目が覚めたら工事現場に倒れていたっていうのは…」
 突然、由美は小さく笑みを浮かべる。
「私には気絶させた由美を工事現場まで運ばなければならない理由なんて無いわよ?」
 由美は遊んでいる子供のような微笑。 
 既に孝治には自分が犯人だと完全に知られてしまっている。諦めた上で、こんな挑発行為をしているのだ。
 既にその顔にはいつもの由美の様なあどけなさは見当たらない。
「ホントに無いの?」
「え?」
 孝治の一言が由美の微笑をかき消す。
「それ、どういう意味?」
 少し顔に余裕は無くなったが、何とか作り上げた笑みで由美は孝治に問い返す。

「…チョコレート」

「っ!?」
 その単語が由美の笑みを完全に崩壊させた。
「確か君かなりの甘党で、いつもスカートのポケットにチョコレートをいくつか入れて持ち歩いてるって言ってたよね?」
 由美の大きな動揺の表情の前、孝治は眉一つ動かさない落ち着き様で語る。
「恐らく咲子を突き飛ばした拍子にポケットに入っていたチョコレートが偶然落ちちゃったんじゃないの?それがたまたま倒れた咲子の制服にべっとりと…」
 と言って由美を一瞥。
「この暑い中チョコをポケットに入れといたりしたら当然溶けている。しかも落とした拍子に包み紙がはだけて黒いチョコが咲子の制服にべっとりと付いた。君は焦ったはずだ。咲子の制服にチョコレートが付いていたりしたら自分が疑われてしまうからね…」
 由美の歪んだ表情。
 孝治の説が図星だという事を示す何よりの証拠である。
 確かに、由美は極度の甘党でいつも大好物のチョコレートを持ち歩いている。同じクラスの女子なら誰もが知っている事実だ。
 つまり『チョコレート』という手掛かりを元に犯人を捜せば真っ先に自分が疑われてしまう。由美はそれを恐れていたのだろう。
「だから君は気絶した咲子を水道工事の現場に運んだんだ。咲子の制服に泥をたっぷり付けてチョコレートをカムフラージュする為にね」
「…」
 孝治は一通りの説明を終え一息つく。
 もはや由美には反論する術も意思も残されてはいなかった。

 
一時余裕を持った後、二人は教室の真ん中辺に並んで座る。
「…私、一学期の半ばに体調崩してずっと学校休んでたでしょ?」
 今度は由美が語り手、孝治が聞き手に変わる。
「あれで英語の出席日数が足りなくなって…、先生に脅かされたの。夏休みの宿題を完璧にやって、定期試験も全部満点に近い点数を取らないと単位はやらないって…」
 由美の重々しい口調。
「うちの学校は英語を重視している。落とした時点で進級できなくなるからな…」
 孝治なりに気を使っているのか、声のトーンを由美に合わせて話す。
「私、英語が苦手でさ。親にも友達にも相談しづらくて一人で悩んでたんだ…」
 由美の辛そうな声が場を埋め尽くす。
「それで咲子の宿題を…」
「でも、これだけは信じて!」
 由美は一瞬声を張り上げて会話を制する。
「咲子を突き飛ばすつもりなんて無かった」
「え?」
 由美の意外な言葉に孝治は少し驚く。
「学校に来る途中たまたま咲子の姿を見かけて、ふざけて驚かせてみようって思っただけなの。で、物陰に隠れてワッと飛び出したら勢い余って咲子が電柱に…」
 由美は少しバツ悪そうに話す。
「私焦ってすぐに咲子を学校の保健室に連れてかなきゃって思った。でもそんな時…、咲子が気絶している間に地面に落ちた咲子のカバンを見て、つい出来心で…」
 由美の大まかな説明を聞いて孝治はようやく理解した。
 もともとは偶然が生み出した出来事だったという事に…。
「じゃあ英語のノートと一緒に財布を盗んだのは?」
「泥棒の仕業と思わせる為。ハナからお金に手を掛けるつもりなんて全く無かった…」
 孝治がおまけの様に付け足した質問に対しても予想通りの返答が返ってきた。
 こうして全ての謎は明らかになった…。
  

「さ、私の事情聴取はこれで終わりね。もう逃げも隠れもしないから職員室なり咲子の所なり好きな所に突き出して」
 由美はやけにさっぱりした表情で言う。
「…」
 その由美の様子を見て孝治は少しの間考える。
 開き直りと言えばそれまでかも知れないが彼女はもともと事件を起こしてしまった時点から罪の意識は感じていたのだ。こうして放課後に盗んだノートと財布を返しに来ているのが何よりの証拠だ。
 孝治にもそれはよくわかっていた。
「大石君?」
 無反応な孝治に由美が呼びかける。
「とりあえず咲子のノートと財布だけは返してもらうよ。後は自分で考えたら?」
 そういって孝治は由美がこっそり机の中に入れたノートと財布を回収すると、それを自分の薄汚れた鞄にしまった。
 それだけ済ませると孝治は黙って由美に背を向けて、教室の出入り口へと向かって歩いて行く。
「お、大石君?」
 孝治の行動に疑問を抱いた由美は戸惑った口調で孝治を呼び止める。
 自分は責められて当然の事をした。なのに何故この男は少しも責めずにこの場を去ろうとするのか…、由美には理解できなかった。
「英語の勉強…咲子に教えてもらったら?あいつ英語得意だからさ。今朝の事を謝った後でね…」
 孝治は振り返らないままそれだけ言い残すと教室を去った。 
「…」
 その先、由美は言葉を発する事が出来なかった…。
由美は教室の出入り口に消えていく孝治の後姿をただただ見つめていたのだ。
 その口元にふっと微笑が込み上げる。
 孝治の言葉に自分が今一番すべき事を見つけた…、由美はそんな小さな気持ちを抱いたのだった。


-2-
「ほい」
 学校の帰り道、孝治はいきなり「それら」を差し出す。
「…」
 無言のまま受け取る咲子。
「じゃ、帰るか」
 孝治は気を取り直して何事も無かったかの様に歩き出す。
「…って、ちょっと待ってよ!これって朝盗まれた私のノートと財布じゃないの!?」
 ワンテンポ遅れて咲子は気付く。
 相変わらずトロい女だ、と言わんばかりに咲子の慌て顔を横目で一瞥すると、孝治は無視してさっさと歩く。
「何で孝治が持ってんのよ!?」
 咲子はワケがわからずに大声でわめいている。
「ああ…、取り返してきてやったんだよ」 
 サラッと口走る孝治。
「ええっ!?誰から?」
「もう良いだろ?ノートと財布帰ってきたんだから」
 咲子の疑問に満ちた声を孝治は軽くあしらう。
「良いわけないでしょっ?誰が犯人だったの?ねぇ教えてよ」
 咲子は立ち止まり、孝治の制服の袖を掴んで引っ張る。
「ねぇってば!」
 咲子は孝治の袖を離そうとしない。
 その様子を見た孝治も咲子の性格から考えて、詳しい事を聞くまでは座り込みを決め込むだろうという事が容易に想像できた。
「…ふぅ」
 やれやれ、と行った感じで孝治は引き止められるがままに立ち止まり、咲子の方に向き直る。
 仕方がないから事件の概要を咲子に手短に説明しようと思ったのだ。
 その時…。

 咲子の方に向き直った孝治の視界に、ふいに咲子の額に巻かれた白い包帯が飛び込んできた。
「…」
 その瞬間孝治はあの少女の事を思い出す。
 『武田由美』の事を…。

「その内わかるよ。何もかも…」
「え?」
 気が変わった―。
孝治は咲子に一言告げると再び前に向き直り、帰路を進み始める。
「ちょ、ちょっと、答えになってないよっ!」 
 一瞬見せた孝治の真顔に圧倒されて誤魔化されかけたが、咲子はすぐに正気に戻り再び孝治に向かって騒ぎ始める。 
 が、既に孝治の耳には届いていなかった。

 そうだった―。
 俺はあの人、武田由美に後の判断を任せたのだった。
 今俺が咲子に事の真相を勝手に話してしまったら、由美は完璧に『事件の犯人』になってしまう。
 でもこの事件、由美が自分から咲子に全てを打ち明けてちゃんと謝る事で、『事件』ですら無くなるかもしれない。
 友達同士のいざこざ…。
 そう、初めから咲子に怪我をさせようなんていう人間はいなかったのだから。
 それが一番良いに決まっている。
 
孝治はそんな事を考えていた。
「ん?」
 ふと孝治は思い出す。
 「謝る」と言えば、もう一つ…。

「なぁ、咲子」
 突然孝治は立ち止まる。
「わっ!急に止まらないでよ〜」
 目の前を歩いていた孝治が急に立ち止まったものだから、咲子は勢い余って孝治の肩に鼻の頭をぶつける。
「夏休み前の事…」
「あ…」
 孝治の一言に咲子の表情は固まる。
 今の今まで咲子も忘れていた。
 二人は夏休み前の最後の日、喧嘩をしていたのだった。
 今日は朝からバタバタしていて二人とも気にする余裕もなかったが、二人の時間はあの時のまま、喧嘩をしたままで止まっていたのだった。
「…」
「…」
 数秒間二人は無言のまま見つめあう。
 そして、次の瞬間…

『ごめん』

 二つの高さの違う声が重なる。
「あ…」
「あ…」
 まさかお互いにハモる事になるとは予想していなかったので、お互いのキョトン顔を眺めあう。 
「ぷっ…」
「あははっ」
 二人は何だかおかしくなって思わず吹き出す。
 これも丁度同時だった。

「よし、帰るか」
「うん!」
 二人は爽やかな笑顔を交わすと、横に並んで同じペースで帰路を進み出す。
 さっきよりも互いの距離を近付け、小さく手を握り合いながら…




[終]


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