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著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)




「アズマ! 早く! 行っちゃうよ!」
 かなり先に行ったセイタは斜め上に伸びる長い階段を既に昇り終えていて、外の景色と俺の顔を交互に見ながら、階段の出口でそう叫んだ。
 そんなこと、分かってる!
 声を出して叫びたかったけど、そんなことをしている場合ではなかった。
 吐き出す息の分を力に変えて、エスカレーターの手すりを掴み、長い階段を一段飛ばしで蹴りあがる。
 幸い、他にエスカレーターを使っている人もいなかった。太ももの辺りがじんわりと暖かく、あげるのが辛くなって、息が、あがっていく。
 でも、そんなことを言ってられない。今走らないでどうするというのか。
「…………早く! アズマ!」
「どこだ?」
「あっちだ、あれ!」
 階段を昇り終え、いち早く駆け出していたセイタに合流する。延々と続く、目の前の白い鉄製のタラップを小気味いい音をさせながら駆け抜けてゆく。
 天気がいい。青い空と、白いタラップの先に、目指す最終便が搭乗者を待ち受けていた。
 アレに乗らないと、同じ便が出るのは確か三日後だ。せっかく引越しを決めたのに、こんなところで三日も待ちぼうけなどしていられない。
「ったく、なんでこんな日に寝坊するかな、お前は」
 走りながら、横のセイタが毒づいた。セイタも体力には余り自信のないほうだ。息が切れかけていた。
「目覚まし時計を荷物の中に入れてしまったからな」
 引越しの荷造りを手伝うと見せかけて、引越し道具の中に目覚まし時計を入れてくれたセイタに言われる筋合いはない。
「アレでないと俺は目が覚めないんだ」
「エラそうに言うな!」
 最終便の形がだんだんと大きくなってくる。その白く美しいフォルムは、動く人工建造物としてはいかにも巨大だ。
 やがて、タラップの先に受付と思しき人影が立っているのが見えた。
 否、人に見えるが、頭は機械だった。受付用のロボットだ
「良かった、受付用ロボ、まだいる」
「油断するな、アイツ等は融通が利かん、足を、緩める……な………はぁっ」
 とは言うものの、階段前から全速力で駆け抜けてきた自分の足は、セイタよりも遥かに消耗していた。
「く………」
「アズマの方が遅れてるじゃないか………先行くぞ」
「せいぜい、時間を稼いでこい………」
 差が開き始め、だんだんと小さくなるセイタの背中を見送りながら、普段の不摂生を痛く反省する。
 しばらくして、自分の足が歩いているのか走っているのか分からなくなった頃、セイタが受付ロボットの下にたどり着いた。ロボの頭がクルクル回って目がピカピカ光っているところをみると、受付はまだできるのだろう。
 というか、受付中に頭をクルクル回されるなんて、バカにされてるとしか思えない。
「はぁ………ちくしょう………はぁ………」
 今日は大して暑くないはずなのに汗が止まらなくなってきた。今までは拭っている時間も惜しかったが、間に合うとなると途端に気になる。
 少し休めるかなと、よたよた歩くくらいのスピードになった瞬間、ゴォー、という音が、どこかから聞こえた。次第に大きくなってくる。
「なんだ………?」
「そこのひとぉー! どーいてぇー!」
 後ろから、つんざくような女の声。ゴォーという音が後ろから大きくなってきた。
 振り向くと、恐ろしい勢いでかっとんでくる………スーツケース?
 そのスーツケースの上で女の子が一人、必死の形相で俺をにらんでいた。
「どけぇー!」
 勢いと荒くなった語気に押されたわけではなかったが、間一髪でスーツケースをよける。
 よけた瞬間、長く編まれた彼女の三つ編みが鞭のようにしなりながら、俺の顔面にぶち当たった。
「があっ!」
 予期しない痛みに倒れて、俺はタラップを転がった。
 幸い目は直撃しなかったが、額がじんじんと痛い。
「いってぇ………」
「ああああああああああ!」
「うわああああ! 来るなあぁ!」
 起き上がる前に、さっきのスーツケース少女と思われる声とセイタの声がハミングした。
 想像はついた。
 スーツケースがかっとんで行くラインの、俺の延長上にある障害物。
 まあ、順当に行けばセイタだろう。
『コウソクイドウタイ、セッキン。 ボウギョタイセイヲトリ…………』
 ロボットが声高に警告らしきものを言い出して、途中で止まった。
 額を押さえながら立ち上がる。俺の足は走り続けて一度止まったせいで、ガクガクになっていた。もう乗り込んだらしばらく立ち上がりたくないというか、足を伸ばして寝ていたい気分だ。
「………一体、なんなんだ?」
 受付を見ると、案の定ひどい有様になっていた。
 セイタは………生きてる。
 スーツケースはセイタではなく、セイタの横に陣取っていた何の罪もない受付ロボットを巻き込んで、その持ち主の私生活が垣間見られる品を存分に撒き散らしていた。
 そして、スーツケースの上に乗っていた三つ編みの少女は、倒れた受付ロボットに頭突きをかますような格好で、ぐったりと倒れていた。かけていたメガネが外れて、片方のレンズには亀裂が入ってしまっていた。
「………よう、よく生きてたな。おめでとう」
 駆け寄って、まだ顔面蒼白のセイタに手を差し伸べる。セイタは俺の手を取って、力なく笑った。
「生きてここを出られないのかと思ったよ」
「にしても………むちゃくちゃする奴もいるもんだな」
 受付ロボットが防御体制を取る間もないスピードでスーツケース攻撃とは、なかなか堂に入った根性の持ち主だ。セイタがこれと頭突きを食らっていたら、間違いなく怪我ではすまなかっただろう。
「あれ………この子………」
「なんだ、知り合いか?」
「うわぁ………すごい。これシュミット&ベルガーだ、初めて見た」
 屈んで、不躾に彼女の衿の生地を摘みながら、セイタが感嘆に近い声を上げる。
「なんだ、それ」
「服のメーカーだよ。ドイツ発祥なんだけど、すごい高いんだよこれ」
 興奮しながら少女の服をつまんで顔を近づけているように見える光景は、同い年としては警察に通報しないといけないか本気で考えそうになる。
 と言うか、その前に人としてやらなくてはならないことがあるのではないだろうか。
「いやー………それにこれ、もしかして最高級品のリッセブランドじゃ………うわぁ、すげぇ」
「おい、婦女暴行はそこまでにしとけ」
「うぐぇ」
 セイタの襟首をつかんで、彼女から引き剥がす。
「何すんだよ、こんな機会、滅多にないんだぞ」
 ぶーぶー文句を言うセイタを無視して、倒れた少女の方を見る。
 膝くらいまでの丈の質素な鈍い青のワンピースと、その下に黒のピッタリしたもの着ているらしい。ワンピースは、確かに襟元や手首に細かい細工のような跡があるし、腰の辺りから下のスカートにあたる部分の意匠などは、大量生産の廉価品とは違う迫力がある。
 というか、良く考えたらスカートでこんなことするとは………。
「こんな高価ものお召しになって、つくづく度胸のある娘だな」
 何をしにいくのかは知らないが、ぶちまけられたスーツケースの中身も確かに、普通の一般人が普段持たないような高価な品に見えてくるから不思議だ。
 その時だった。
「お前等、手を上げて頭の後ろに組め!」
 激しい口調と冷たい銃口が搭乗口の向こう側から現れた。厳しい顔で拳銃を構え、現れた職員は、今度は人間の男性だった。
「………あぁ」
 この受付の惨状を客観的に見たら、確かに犯人は俺たちだろう。
 器物損壊、強盗傷害、婦女暴行………後は営業妨害ってところか。
「セイタ、とりあえず、この人に事情を説明するのが先だ」
 俺は溜息をつきながら両手を上げ、頭の後ろに組んだ。