著者:雨守&蓮夜崎凪音(にゃぎー)
「 第二章 」




−2−

 部室棟につく頃にちょうど三限終了のチャイムが鳴り、既に授業を終えて活動に入ろうとする他サークルのメンツがちらほら、出入りをしているのに混じる。
 その中に一人、見知った人がこちらへ歩いてくるのにいち早く早紀が気づいた。
「げ、谷村先輩だ」
 明らかに嫌悪感を含んだ声の方へ幸一が視線を揺らすと、確かに一つ上の谷村が鼻歌交じりにトレードマークのバンダナを頭に巻きながらこちらへ歩いてくるところだった。
「うえ……あの先輩苦手」
 幸一の後ろに隠れて放った「苦手」の語尾と、前の谷村が二人に気づくのが、ほぼ同時だった。
「お、今日も可愛い子犬を連れてお散歩か?リュウコ」
 リュウコというフレーズに反応しかけるよりも早く、後ろから怒号があがった。
「誰が子犬ですかっ!誰が!」
「お前のほかに誰がいるってんだよぅ……あーあー、そんな可愛い顔しちゃってさ、もう。さっそくむぎゅー」
 早紀が「幸一バリア」を展開するよりも早く、幸一が避けた。
 結果的に声を張り上げるために若干前に出ていた早紀が、谷村に抱きつかれた。
「セ、セクハラオヤジっ!」
 食らいつけばやられるのはわかっているだろうに、部室棟の前で無様に声を上げる早紀の姿は哀れとしか言いようがなかった。
 部室棟入り口なので、他サークルの人間も数多いが、毎度のことなので事情を知っている人間は軽く笑うだけで幸一たちの脇を通り抜けていく。
「た、助けて、幸一!」
 仕方なく求められた助けに、通り過ぎる人々と同じ笑みを浮かべる。
「先輩、全てが計算づくのすばらしい戦法ですね」
「そうだろうそうだろう。まったく、我ながらすばらしいぜ」
「いい加減にしないと訴えますよっ」
「愛しいものをめでるのに法律は意味を成さないんだよ。んー」
「それはいくらなんでも倫理的に不道徳だ。離してやれ、"タニー"」
 絶体絶命の早紀に助け舟を出すように、後ろから呆れた声が上がる。
 一斉にそちらを見ると、一見して細い印象の優男がテニスウェア姿で突っ立っていた。
「あ、"シバ"さ〜ん」
 一瞬、早紀の目には天使が映ったようで、助け舟の名前をすがるように呼ぶ。
 手を離した谷村から一目散に走り去り、即座にシバの後ろに回りこむ。
「まったく、忘れ物を取りに来たと思ったら………独り占めはよくないぞ、"タニー"」
「そっちですか!?」
 溜息混じりに谷村を嗜めるシバに、ショックを受けながらも早紀が吠えた。
「え?……なにか違った?」
 シバはツッコミをさらりと笑顔で交わし、早紀の頭を軽くぽんぽんと撫でた。
「今度は捕まらないようにな。"タニー"は意外と頭がいいから」
「意外とってなんですか、"シバ"さん」
「そのままの意味。あ、"タニー"着替え終わってるなら、柔軟手伝ってよ」
「あ、いいッスよ」
「二人は早く着替えておいで。もう始まるよ」
 さすが、指導力は部長をしのぐといわれてるだけあって、状況把握と指示の振り方がうまい。はいと言いかけて、幸一ははたとここに来た意味を思い出す。
「あ、そのことなんですけど」
「ん?」
「今日、見学に回れませんか?」
「どうして?」
「あ……その」
 聞かれて、まさか「自分を殺しかけた犯人を捜すため」ともいえない。
ましてや犯人がこの中にいる以上、相手がいくら信頼の厚い先輩でも迂闊なことは喋れない。
「私の付き添いだそうですよ」
 必死に理由を思案している途中で、シバの後ろにいた早紀がふてくされたように言った。
「付き添い?」
「実を言うと、今日ちょっと二人揃って怪我しまして。私はやる気でいたんですけど、"リュウコ"に止められたんです。ね、"リュウコ"君?」
 口裏を合わせろと言わんばかりのくどいような状況説明で、戸惑う前に幸一は理解した。どう転ぶかは分からなかったが、ここは早紀に任せてみる。
「コイツは、目を放してる隙にやりかねませんからね」
「え、さっき「ぎゅう」したときに痛くなかったか?平気か?」
 怪我と聞いて、谷村が慌てる。
「怪我したのは足ですから。でも、走るときになんかあったらまずいだろとか言って」
「保健センターには行ったの?」
「ええ、湿布貼ってもらいました」
「湿布貼ってるなら、今日はリュウコの言うとおり、無理しない方がいいな」
「そうだな………試合も近いし」
 シバに同調するように、谷村も相槌を打った。
「でも、それは分かったけど……それなら"リュウコ"の見学理由にはならないと思うけど?」
 相変わらず鋭いところを突いてくる。
 早紀に任せたのは失敗だったかと心中で幸一は舌打ちした。
「あ、道子先生によると"リュウコ"は程度がもっとひどいらしいんです。いっちょまえに我慢してるみたいですけど。怪我した時は大げさなくらいに痛がってましたから」
 ………いつの間にそんな話になったんだ。
 幸一が軽く睨むと、早紀は気づかれないよう、目だけで笑って返した。
「ああ、そうなのか………分かった。そういうことで部長には報告しておく」
「おいおい、二人揃って大丈夫かよ?ただでさえ部員少ないんだから、注意しろよ?」
 谷村が、心配そうに眉をひそめた。
 通常ふざけてはいるが、こう見えて真面目な状況では頼れる先輩だ。
「もう平気ですけど、私は念のためということで。今日は諦めました」
「あ、でもどうせなら二人で帰ってもいいぞ?いてもつまんないだろ?」
 やや「二人で」のところに強調がされたようだが、幸一はそれを軽く流した。
「いえ、どっちにしてもコイツ、"カワトモ"に用事があるそうで」
 ややうろ覚えで、早紀のダブルスの相方の名前を出すと、二人ともそれ以上何も詮索しなかった。
「ああ、なるほど。言っておかないと相手に悪いからね」
「っと、"シバ"さん。そろそろ行かないと」
 一段落して時計を見た谷村が思い出したように言った。
 なんだかんだで少し立ち話が過ぎたらしい。
「分かった。んじゃ、無理はしないようにね」
「はーい」
「失礼します」
 去ってゆく二人を少し見送って、二人でどことなく安堵の息をつく。
「とりあえず、なんとかなったかな」
「私、トモちゃんに用事なんてないよ?」
「用事に見せかけて世間話でもすればいいだろ。パートナーなんだから、一応謝っておいた方がいいと思うけど」
「あー………確かに。誰かさんのせいで休むって言うのに、まったく美人は苦労が耐えなくて困る困る」
 何か言い返そうかとも思ったが、こんなところで争ってる場合でもない。
 溜息一つで早紀をやりすごして、幸一は歩き出した。





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