著者:雨守&蓮夜崎凪音(にゃぎー)
「 第二章 」




−4−

「後、会ってないのは倉本先輩だけだね」
 幸一の奢り、という名目の入ったとんこつラーメンをおいしそうに食べながら、ふいに早紀が言った。
 時間的な都合で食堂に人が居ないのが幸いだが、この時間にラーメンを食べているような人間はいないので、端の方に席を陣取ったつもりだがすする音が響いているような気がした。
「"フローレンス"様か」
 やや間をおいて、前の席でパックのジュースを飲んでいた幸一が答えた。
 一瞬ピンとこなかったが、テニス部の「最後の一人」だ。通常、先輩の仇名は後輩は呼ばないので知らないのだが、彼女は仇名の方が有名だ。
「あの人かわいいよね」
「………可愛いか?」
 "フローレンス"はどっちかというと、「きれい」と呼ばれそうな雰囲気を持っている。大人びた雰囲気に魅力を持っているタイプだ……と、幸一は思っていた。
 だが、早紀が勘違いして目を丸くした。
「え?ああいうのがタイプじゃないの?」
「………そっちはまた別問題」
「これだから男って奴は………」
 幸一に聞こえるか聞こえないか位の声でぼそりと言って、早紀はまた麺をすすった。
「でも、"フローレンス"に恨まれるようなことはした覚えがないんだけどなぁ」
「それをいうなら、幸一は別に誰に殺されるほど恨まれたって覚えはないでしょ、谷村先輩じゃあるまいし」
 コップの水を飲み干して、早紀が一息つく。
 奇妙な静けさが、一瞬食堂を包んだ。
「………谷村先輩を引き合いに出す辺りがお前らしいな」
「女性陣にはそれほど人気ないんだよ、谷村先輩は」
「行き過ぎた三枚目だからなぁ………」
 幸一でも、いきなり抱きついたりする辺りは行き過ぎていると思う。下手すれば本気で訴えられかねない。あまり人見知りしない"カワトモ"でさえ、少し離れた態度を取っているくらいだ。
「でしょー?あれさえなかったら、結構いい線行ってると思うんだよね」
「なに、あれさえなければ好み?」
「バカいわない。あれはあれで別問題」
「これだから女って奴は………」
 どこかで聞いたセリフをはいて、幸一もジュースを飲み干した。
「でも、結果的に失敗に終わってるわけだよね、犯人は」
「なにが?」
「だって、犯人は幸一を殺すのが目的なんでしょ?」
「身も蓋もないな、おい」
 仮にも当人の前で言うセリフではないことは確かだ。
「でも、ここまできて退く、って考え方はないかなと思うんだよね」
 箸でどんぶりの底を叩きながら、早紀が鋭い指摘をかます。どんぶりの中はきれいにスープまで飲まれている状態で「おかわり」と言っている様に見えたが、幸一はそれをあっさりと無視した。
「次がある、ってことか」
「相手の出方次第だけど、近いうちに来るんじゃないのかな」
「…………学校に来るのをやめたら止まるのか?」
「いやがらせの本当の目的は、幸一の今期の単位を全て落とさせて留年させることだったりしてね」
「それはそれで大ダメージだけどな」
 真剣とは言いがたい話だったが、相手の動機がわからない以上は無下にできない。
「とにかく、情報が少なすぎる」
「とはいっても、同じサークルのメンバーの中に犯人が居るんじゃ、誰にも相談できないしねぇ」
 他人事のように言って、早紀が溜息混じりに天井を見あげた。
「………八方手詰まり、か」
 幸一がダメ押しのようにつぶやいた瞬間、軽快な音楽が流れ始めた。
「あ、ごめん、私」
 早紀が鞄の中からさっと携帯を取り出して、耳に充てる。
「はい、もしもしー?………うん、今学食にいるけど?」
 電話の会話を詮索する気は毛頭ないので、幸一は視線を食堂内に移した。
 昼食時なら人がごった返して座る場所がなくなる食堂も、今は別のサークルが一つや二つ無駄に席を取ってたむろしているくらいで、ガラガラといっても差し支えない。
 太陽は西日で、窓に差し込む日差しが若干細長い日向を作っていた。
 平和そのもの、といった風景とは対照的に、こんな場所で今自分が殺されかけているという現実。
 ふとしたら忘れてしまいそうな事実は、忘れてしまったときに殺されるのだろう。

 犯人には余裕がある。これは間違いない。

「んじゃ、また後で。ばいばーい」
 早紀が携帯を閉じるなり、立ち上がった。
「どうかしたのか?」
「ちょっと、呼ばれたんで出てくるね。すぐ戻るから、荷物番よろしく〜♪」
「あ、おい」
 幸一が何か言う前に、有無を言わせない段取りで、早紀はそそくさと財布だけ持って外へと小走りに駆けていった。
「……まったく」
 荷物番と言うことは、帰ることもできない。
 食堂で一人退屈を潰すのは、容易なことではない。
「………」
 少し高めの天井を見上げて、幸一は最後にもう一つだけ溜息をついた。

 その直後だった。

 もう一度、今度は別の曲が流れる。
 自分の携帯が鳴っているのに気づいて、慌てて画面を開く。

『新着メール・1件』

「…………」
 どうにもいやな予感が脳裏にこびりついて離れないが、罠だと分かっていても今の幸一には唯一の情報を仕入れるための場所は、これしか方法がない。

 メール一覧を開いて、中身を見た瞬間。

「…………」

幸一は二人分の荷物を持って駆け出していた。
 携帯には、前と同じようにたった一文だけ。

 『今から氷室早紀を殺す』―――ただそれだけが書かれていた。




[ 続く ]


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