第一章 魔女
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二一八九年。科学の発展は目の回る様な早さで進んできた。
科学の力が世界を支え、人々は科学の発展に人生を捧げる様に生きてきた。勿論、世界中に多くの物や、金、ゆとりが産まれてくるにつれて、人々の心は貧しくなっていく一方だ。
そんな世界に今、信じられない物が現れたという話題が広まっていた。それは、大昔、それも気の遠くなる程の昔には一つの文化として認められたものだった。科学が栄える前に葬り去られた文明、科学とは決して共存出来ない文明。それは、いわゆる「魔法」というものだ。
「魔法」は大昔は確かに存在していた。だがそれは、大規模な「魔女狩り」とともに姿を消したと言われている。
それがなぜ再び現れたのか、第一単なる噂に過ぎないのかもしれないが、この科学文明の時代に、いまだに魔法が栄えている場所があるとも言われている。
だが、そうなると一つの矛盾とも言うべき問題が生じることになる。
そもそも科学の力で説明のつかない物が魔法なのだ。それが人々が科学の力に頼る現代に存在しえるとしたら・・・・。当然それらが共存できるはずが無い。
魔法と科学・・・・水と油と言っても過言ではないこの両者の共存は不可能に等しい。
人々は、魔法というものを深く嫌悪し、存在を否定した。あるいは、めずらしがり「魔法」の力を持つ者・・・いわゆる魔法使いを捕えようという者さえいた。
つまりありとあらゆる手段で再び魔法をこの世から取り除こうと言う考えが科学世界の中では広く一般的とされていた。
○月×日。ヒガシの町、裏通り・・・。
改は数枚の札が入った封筒を右手で握り締め、とある店の横から裏通りに出た。
裏通りはひっそりと静まりかえっていて、ほとんど人気は無い。その裏通りを更に五十メートル程歩いた所に、薄汚れた小さな小屋があった。
改はその小屋の方へと一直線に近づいて行き、静かにそのドアを開けた。
その小屋に近づこうという人間など1日の内に数人といなかった。このようなひっそりとした裏通りの一角に位置している為、人目につかず、一般市民がこの小屋に立ち寄る事はほとんど無いに等しかった。
つまりここに立ち寄るのは『裏』の人間ばかり・・。
紹介が遅れたが、この男の名は桜越 改。
二十歳前後のスラッと身長の高い男で、女性の様な美しい顔立ちをしている。やや長めのサラッとした黒髪をバンダナでとめていて服装は全身黒ずくめだ。
「仁さんいるかー?」
ドアを開けると同時に改は小屋の中を確認せずに大声で叫びだした。そばにいたら鼓膜が破られそうな程の大きな声である。
「でっけえ声出さんでも聞こえるわ。バカモンが!」
小屋の奥の方から改の声よりさらに大きな声の返事が返ってきた。ここまでくるとそばにいたら脳震盪を起こすかもしれない。
そして、その返事に続いて小屋の奥から出て来たのは白髪で頭が真っ白に染まった一人の老人であった。
「仁さん。この前頼んどいた例の情報そろそろ入った?」
「当たり前じゃ。このわしを誰だと思っとる」
仁と呼ばれた老人の口調は荒々しいままだった。
仁は小屋の入り口付近にある小さな机の前の椅子に座り、机の上に置かれた小さなコンピューターの方に体を向けた。
この時代のコンピューターは一昔前とは比較できない程に高性能になっていて、熟練したコンピューターの技術を持ってすればたいていの事は可能になるとまで言われている。
しかし、仁の小屋にあったコンピューターは長年使い込んだ物でかなりの旧型らしく、最新の物と比べると作業の速度や使い易さの点で大分劣る物だった。
改は黙って小屋の中に入りこみ、仁の背後からそのコンピューターを覗き込んだ。この辺の動作は毎度の事なので、二人の間では暗黙の了解となっているようだ。
「お前さんの予想通りだ。幻の宝石『クランベリープリンセス』はすでにこの町の端の方にあるヒガシ美術館に運び込まれて保管されてるらしい」
仁は素早い手付きでコンピューターのキーボードを打ち込みながら話していた。
「やっぱりな。思った通りだよ」
改は勝ち誇った様に微笑を浮かべた。
やがて仁が慣れた手付きで操作をしているコンピュ―ターの画面上に、何か部屋の見取り図らしき物が映し出された。
「ほれ、こいつがヒガシ美術館内部の見取り図じゃ。警備の配置や防犯装置の位置までバッチリ書き込まれとるぞい」
「おほ。すっげー。さすがは裏の世界でもピカイチの『情報屋のジン』だなー」
『情報屋のジン』というのは裏の世界ではちょっと名の売れた仁の呼ばれ名である。仁は独自のルートからありとあらゆる情報を仕入れ、それを裏の人間に売りさばいて生活する、いわゆる情報屋なのだ。
ちなみに二人の会話から、大体の察しは付く通り、実は改の正体とは泥棒。それも、今今世間を騒がせている大怪盗『黒桜』であった。黒い桜と書いて黒桜(コクオウ)、改は世間ではそう呼ばれている。
改が盗みをやるのは金の為でも特別な事情があるのでもない。常に自分の美学の為だった。それだけに、盗みの手法も独自の物が多く、彼なりのこだわりがある。実際に裏の世界を生きる者には改の様な変わり者が多いのだ。
そして、改の今回のターゲットが、幻の宝石と言われている『クランベリープリンセス』だった。噂によればまだこの世の中に魔法文明が栄えていた頃に作り出された物であり、これまでにも数々の不思議な現象を引き起こしてきたらしい。改はその手のいわく付きの代物が大好きだった。
今回はその『クランベリープリンセス』を手に入れる為に、情報を集めようと、仁に依頼したというわけだった。
「あ、そうそう仁さん。これ約束の依頼料だよ」
改は手に持っていた封筒を仁に手渡した。
仁はそれを受け取ると、すぐに中に入っている札の枚数を数え始め、一通り数え終わったところで舌打ちをした。
「ちっ、目いっぱい値切りおって」
「まあまあ。常連さんなんだからそこらへんは気にしない気にしない」
改はにこやかに微笑んでごまかした。
「だがな改よ。あそこの美術館は見ての通りなかなか警備が厳しいぞい。おまけにあそこのオーナーには何やら良くない噂も色々と流れておる。充分に注意するんじゃな」
仁は喋りながらもいつの間にか先ほどの美術館内部図をプリントアウトして、改に手渡していた。
「ああ、わかってるって。そいじゃ、ありがとな仁さん。長生きしろよ」
「やかましい。さっさと行っちまえ」
改は仁に別れを告げると再びドアを開け、外に飛び出した。
「うしっ、今夜中にかたをつけるか」
改は薄暗い裏通りを歩き出し、情報屋のジンの小屋を後にした。
[第一章・第二節]