クランベリープリンセス
著者:創作集団NoNames



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 午後十一時五十五分。ヒガシ美術館周辺の森。
 ヒガシの町の西の端に位置するヒガシ美術館はレンガを積み重ねた外壁があり、さらにその周辺を大きな森で囲まれていた。
 改は木々の間をすり抜ける様に森を進みながら、美術館のすぐ近くまで来ていた。そして大きな木の枝の上に立ち、美術館を外部から眺望した。
 「しっかしでっかい建物だなあ。仁さんに貰った地図通り警備も厳しそうだし」
 ヒガシ美術館は洋風の建物で幾つかの出入口があった。しかし、当然のごとく一般客用の出入り口付近の警備は特に厳しい。
 「えーと確か建物の南側、ちょうどあの辺が一番警備が手薄なはずだけど・・」
 改は懐から小型の双眼鏡を取りだした。双眼鏡越しに建物の南側を覗き込んで見ると、警備員らしき二人の体格の良い男が、見回りをしているのが見えた。
 「よし、あの辺の警備は二人だけだな。地図によると確かあそこの窓から美術館内の倉庫に侵入できるはずだ」
 改は身軽に木から木へ飛び移り、建物の南側にある小さな窓の方へと近づいていった。
そして美術館の外壁に手が届きそうなほどに
近い場所まで来ると、改は木の葉の影に身を隠し、警備員の動きを見計らった。
 やがて、警備員の一人が丁度改の隠れている前を通り過ぎたまさにその瞬間・・。
 『今だ!』
 改は素早く木の枝から飛び出し、外壁ごと飛び越すと、警備員の背後に着地した。
「誰だ・・」
警備員は改の着地音に反応して、すぐに後へ振り返ったのだが・・。
 ドコッ!
 改の右の拳が正面から警備員の腹部に叩き込まれた。
 「ぐっ・・」
 警備員は激痛に表情を歪め、両手で腹部を抑えたままその場に崩れ落ちた。完全に気を失ってしまった様だ。
 「侵入者か!」
 物音を聞きつけ、すぐ近くを見回っていたもう一人の警備員もこちらに走ってきた。
 「あんたにはしばらく眠っててもらおっかな」
 改は余裕のある表情で黒い衣服の右腕の袖をまくった。袖の下の右手首には黒い金属製のブレスレットを着けていた。
 「何のつもりだ」
 警備員は改の行動など気にも止めず右手を振り上げ、改に殴りかかった。
 しかし、改は少しも焦った様子を見せる事なく、右手首のブレスレットを自分の視線の高さまで上げ警備員の方に向けて身構えた。
 次の瞬間・・。
 シュウウウウ!
 何と、改の右手のブレスレットが、警備員の顔面めがけて薄ピンク色の煙を噴射し始めたのだ。それもかなりの早さの、細いビンク色の噴射だ。改のブレスレットには、良く見ると表面に小さな噴射口があったらしい。
 「ぐ、・・こ、これは・・催眠ガス・・」
 煙を顔面に食らった警備員はたちまち絶え難い眠気に襲われた。そして、すぐに先ほどの警備員と同様その場に崩れ落ち、深い眠りについた。
 「へへ、一丁上がり。これぞ現代の科学が産み出したブレスレット型の超小型催眠ガス噴射装置さ」
 改は眠っている警備員にブレスレットを向けながら自慢気に言った。
 ちなみに、改のブレスレットとは、表面のスイッチを押すと、催眠ガスを噴射して相手を眠らせることが出来るという物だ。勿論、一般市場に出回っているはずも無く、裏社会でのみ取り引きされている代物だ。
 「何事だー」
 大勢の人間の足音が、改の方に向かって近付いて来るのが聞こえる。
 「おっと。集まって来やがった。今のうちに中に侵入するか」
 改は足音を聞くとすぐに、目の前に見える窓、美術館の倉庫の窓に歩み寄った。
 そして、窓を割り、外部から美術館の倉庫に入り込んで美術館内部へと侵入して行った。


 美術館内の廊下。
 館内は、いかにも高級感が漂っているといった雰囲気で、廊下の途中には何やら高価な壺や置物と大きな窓が並んでいた。そして、かなりの広さがあるため、その内装も入り組んでいて、客が迷ってしまう事も少なくないそうだ。
 そんな館内は数分前を境に突然騒がしくなり始め、現在警備員の制服を着た大勢の男達が走り回っていた。たった一人の男を捕えるために・・。
 「そっちはどうだ?」
 「だめだ。ちくしょう、どこに逃げやがったんだ」
 警備員達は数名ずつに別れ、館内の到る所を探しているが目当ての人物は一向に見つかりはしなかった。
 現在、第二展示室の前に4人の警備員が集合していた。
 「俺達二人は入口の方を見てくる。お前達二人は第四展示室の方へ行ってくれ。ついでに言っておくがこの鮮やかな手口、もしかするとあの『黒桜』かもしれん。くれぐれも注意するように」
 「わかった!」
 一番始めに見えた角で、4人は2人ずつ二手に別れた。
 その後、第四展示室を目指した方の二人はその角を右に曲がり長い廊下を一直線に走っていた。二人のうち、前を走っていた方の警備員は身長の高い太った男で、後を走っていた方はやはり身長が高く細身だった。
 しばらく走った所で突然細身の警備員が話し始めた。
 「なあ、あいつさっきこの鮮やかな手口は『黒桜』かもしれない、て言ってたよな?」
 「ん?ああ、言ってたな。もしほんとに『黒桜』だったら、いくら注意したって俺達にどうにか出来るわけねーのにな」
 太った警備員は苦笑しながら答えた。
 「・・・・ククッ。へー、良くわかってるじゃん」
 細身の警備員は不敵な笑みをもらした。
 「え?何だよそ・・」
 太った警備員がその発言を不審に思い後を振り返ろうとした瞬間・・。
 シュウウウウ!
 「ぐあっ。何をす・・る・・ん・・」
 突如背後から吹き出してきたピンク色の煙が太った警備員の顔に吹きかかった。と、同時に太った警備員は絶え難い眠気に襲われその場に崩れ落ちた。
 そう、そのピンク色の煙とは、先ほど『黒桜』こと桜越 改が使用したブレスレット型の超小型催眠ガス噴射装置から発射されたもの、まさにそのものだった。
 「悪いな。しばらく眠ってな。」
 細身の方の警備員は耳の付け根の所に手をかけると、何と自分の顔をシールでも剥がすかの様に剥がし始めた。いや、それは彼の本当の顔ではなく、変装用の仮面だったのだ。
 そしてその仮面の下から出てきたのは、当然のごとく勝気な笑みを浮かべた改の顔だった。
 「いやー俺の変装もまだまだ捨てたもんじゃないなー」
 調子に乗って独り言を言いながらニヤニヤ笑うと、改は羽織っていた警備員の制服をその場に脱ぎ捨て、一人廊下を歩き出した。
 「ええと・・確か『クランベリープリンセス』が保管されているのは・・第7展示室だったな」
 改は眠ったままの警備員をその場に残し、小走りで第7展示室を目指した。


 第7展示室。
 「あれが『クランベリープリンセス』か」
 改は目の前に飾られたガラスケースの中の宝石を見つめてその場に立ち尽くしていた。
ネームプレートには確かにその名が示されている。 
第7展示室は現在一般公開されていない為表向きには封鎖されている部屋だった。そのせいか、部屋の中には幾つかのガラスケースがあるが中身はどれも貴重な美術品ばかりだった。
 『クランベリープリンセス』はその部屋の中央にあり一目でそれだとわかる物だった。というのはどことなく他の宝石とはは違う感じがあったのだ。形は球型で薄紫に近い色の光を放っていた。一見大きめの水晶の様にも見えたが何か不思議な雰囲気を漂わせているのが改にはすぐにわかった。
 やはりこの宝石は魔法文明の時代に産まれただけあって何か特殊な力を秘めているのだろうか。
 「おっと、いけねえ。見とれてないでさっさと頂いて帰るか」
 改はこの部屋に来る前に、館内の管理センターに立ち寄って、この部屋の防犯装置を全て停止させてきていた。 
 そのため、『クランベリープリンセス』を
覆っていたガラスケースは、そのまま上に持ち上げるだけで簡単にはずれ、防犯装置も作動しなかった。
 そして、改は宝石を白い布をかぶせて掴みそのまま懐にしまい込んだ。
「よし、いただきっ。さあ帰ろ・・ん?」
 その時だった。
 『シイ・・』
 どこからともなく声が聞こえてきた。改はその場で周辺を見回したが、勿論その部屋には改以外の誰もいない。
 『シイ・・クル・・シイ』
 「誰だ?この声・・誰かいるのか?」
 そしてすぐに、改はある事に気がついた。第7展示室の奥の方、丁度入口と対面にあたる位置にドアが一つあった。
 「何だあの部屋?見取り図ではあんな所に部屋なんて無かったぞ」
 『シイ・・・・クル・・シイ』
 改はさらに気が付いた。
 「この声・・あの部屋からだ!」
 不思議と改はいつの間にかその声に体の自由を奪われていた。その声がどういうわけか自分を呼んでいるかの様な不思議な感じがしてならないのだ。
 次第に、改はいてもたっても居られなくなり、引き込まれるかのごとくその部屋に向かって行った。
 ドアの鍵は掛けられていなく、何の問題も無くドアは開かれた。
 しかしこの時改は、同時に自分が運命の扉に手を掛けてしまった事にまだ気付いていなかった。
 そしてそのドアが開かれた瞬間・・・。
 改は信じがたい光景を目の当たりにすることになった。




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