序 章
冬の夜空、空気は澄み渡っていた。
月明かりだけが玄関にいる男の後ろ姿を照らしていた。
男の向かいには幼い少女が立っていた。
「行っちゃうの?」
最初に口を開いたのは少女の方だった。三つ編みにされたブロンドの長い髪は薄い月明かりを受けて自発的に輝いているようだった。
「すまない、私はもうここにはいられないんだ。後のことは私の友人が面倒を見てくれるように頼んである。明日の朝になればきっと来るから、ちゃんと言うことを聞いて幸せになるんだぞ」
男は口調からするに三十過ぎだろうか、男は少女の目の高さに合わせるようにしゃがみ話を続けた。
「前にも話したがお前は私の本当の娘ではない…」
男は少女を自分の目に焼き付けようとじっと少女を見ている。
「六年間、私はお前の親として育ててきた。そして今もその思いは変わらない。だが…それがいけなかった…」
男は明かりを背にしているためか表情はいまいち分からない。
「もう会えないの?」
少女は不安げに話しかける。
「…そうだな、いつになるかは分からない、でもいつか…また一緒に暮らせる日が来るだろう」
男はみえみえの嘘をついていた。少女がいくら幼いとはいえ、そんなことは分かっている。
「………」
こくりと少女はただうなずいた。
「待ってるよ…待ってるから……だから…」
少女はもう二度と会えないことを理解していた。頭ではどうしようもない事は分かっている。しかし、感情はそれを許してはくれなかった。
少女の両目から涙が溢れてきていた。
男はハンカチを取り出し、少女の涙を拭ってやった。そして少女を抱きしめた。二度と抱きしめてやることのできない少女を忘れまいと…
「…すまない…」
男は少女を抱きしめていた腕を緩めると、手荷物へと手を伸ばした。荷物を取ると男は立ち上がり、玄関を後にしようと扉を開いた。
少女も玄関の外まで見送ろうとした。
「外は寒いからここまででいよ。それに夜ももう遅い、早く眠りなさい」
男は少女が外まで出ることを遠慮した。最後まで少女の親でいようとしていた。それが少女にとっては痛みを伴っていることに男は気がつかなかった。
男は少女の成長を知らなかった。親でないとはいえ、少女にとって男はすでに親以上の存在になっていたことに気がつかなかった。
そして、男は玄関の扉を閉めた。この瞬間に二人は二度と顔を合わせることはなくなった。永遠に……
[第一章・第一節]