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部屋に戻ると睦葉がいるであろうベッドの回りには、本人が気にしてか、看護婦が気を遣ってか、カーテンが引かれていた。
もちろん後者なのだが………。
少しばかりカーテンを手でどかし中をのぞいて見ると、蒲団を胸の辺りまでかぶり静かに横たわっている睦葉がいた。
「おーい、元気かー?」
「………」
何の返事もない。
啓は静かにベッドの横にある丸椅子に腰掛けると、睦葉の目にかかる前髪をどけようと手を顔に伸ばした。
何の反応もしない。
啓は静かに立ち上がり、睦葉の顔に自分の顔を近づけていく。
そして、二人が触れるその直前に啓は目が合った。
「お、お前!」
啓はあわてて距離を置いた。
「気付いてたのか!?」
「にっひっひ、女性の寝込みを襲うなんて、啓くんなかなかいい度胸だねェ」
睦葉は寝返りをするように啓の方に体を向け片肘をついて、頬杖つきながら余裕そうな笑みをしている。
「………」
啓は口を閉じ、何も言えない。
「でも無事だったんだ。その様子だと」
睦葉はらちがあかないとふんで話を変えた。
「ん、ああ。どうやら軽い火傷で済んだみたいだけど………お前はどうだったんだよ。あの時たしかお前の部屋に入った後、タンスが俺らに向かって………」
そこから先のことは啓は覚えていない。
「さぁ?私も覚えてないな。きっと大丈夫だったんじゃない?それで消防士にでも助けられたんだよ」
睦葉はとくに気にする様子もなく、すらすら話。
「そろそろ夕食の時間だよね。私が動いていると面倒だから、もう寝るね」
「ん、ああ」
前の睦葉だったらこうしていられる時間を少しでも長くしたがっていたはずなのに、この素直さは何なのか?啓はどこか疑問に思った。
そして睦葉は蒲団をかぶり直し、静かにまるで死んでしまったように目を閉じた。
啓も隣のベッドに戻った。間もなくして、看護婦がキャスターを使って夕食を運んできた。
「はい、お待たせ。しっかり食べて下さい」
そう言ってテーブルに盆を乗せると、隣の睦葉の寝ているベッドの方を見に行った。
「どうなんですか、様子は?」
啓は彼女が睦葉の様子を見終るのを計って聞いた。
「ええ、大丈夫よ。それより君は自分のことを今は第一に考えなきゃ。人の心配はその後にしなさい」
彼女は優しくそう答えていたが、啓は少し違和感を感じた。
看護婦はこの部屋の用は済み、スタスタと次の部屋へと向かって行った。
「………何か変な感じ………」
そう小言をぶつぶつ言いながら、夕食を口にした。
(ん!?意外と旨い。こういう所のって地味なものばかりだと思ってたけど結構いいもの使ってるみたいだな。ん?これはローリエだな。こっちのデザートはステビアを使って当分ひかえめに作ってある)
啓はこんな所でハーブの味と香りを味わえるとは思ってなかった。食事を口に運ぶ手の動きは減速を知らないように次々と運んでいた。
ほんの四、五分で啓の目の前に置かれた食事はその姿を消した。
「ふー。こちそうさま」
啓は満足そうな笑みを浮かべながら少し横になった。
「すぐ横になると牛になるわよ」
「!何だよ、寝てたんじゃないのかよ」
カーテン越しで声をかけてきた睦葉に少々冷たい口調で啓は返した。
「まともに動かないのにそう簡単に寝れるわけないでしょ。ねえこっち来て話そうよ」
啓は黙ってカーテンを手でどけながら入る。
「話すって何をだよ?それともなんか分かったことでもあるのか?」
啓はそう言って、ちょっと前に座っていた椅子に再び座った。
「あのね、あの火事の日にね、私一人動けない状態の時に不思議な光景を見たの」
「走馬灯のように過去振り返ったり、三途の川を歩いてたとかいうのか?」
「ちょっと違う感じなのよ。三途の川は近い気もするけど、辺り一面が花畑だったの……」
「それで」
啓はあまり興味を持てずにいた。
「もう、まじめに話を聞いてよ。その花畑の花っていうのが菜の花なんだけどそれが少し変わっていた気がするの。そうあのスケッチブックのヤツみたいな」
「それって、お前の中から生まれた像なのか?それとも外の干渉から得たものなのか?」
啓もスケッチブックと聞いて気にせずにはいられなくなっていた。
「分からない。只菜の花のようで少し雰囲気が違ってたのだけは分かる」
「それも何か関係があるのかもしれないな」
「私の話はこんなところ。だいたい啓が火事の後二週間も寝てるもんだから情報が全くないのよね、動けなくて暇だったし」
「しょうがないだろ。そんなどうしようもないことを………それより本当に覚えてないのか?あのタンスは明らかに俺達の真上に倒れて来たと思ったんだが、何で軽傷で済んでるんだ?」
「さぁ、覚えてないものは覚えてない。しつこいと女の子に嫌われるわよ」
睦葉はさらりとそう返した。
「そろそろ美人の看護婦さんが盆を回収しに来るんじゃない?植物人間と話してるなんてバレたら精神科に連れてかれるわよ」
ちいさくにやけながら睦葉は啓に戻るように勧める。
その顔にはどこか元気がなかった。
「ふっ、すでにおかしいのかもしれないけどな」
「微笑しながら返すと啓は立ち上がり自分のベッドへと戻った。
不思議と睦葉の予想通り戻って間もなくして看護婦が回収しにやって来た。
これには啓も少しばかり驚いた。
看護婦は綺麗にたいらげられた食器を見て満足そうな笑みを浮かべて回収していった。
そしてこの夜は特に睦葉と話すこともなく過ぎていった。
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