「菜の花畑に」
著者:創作集団NoNames



  第三章 月の見える丘

   −1−

 静寂を守った部屋。どこからか漂ってくる消毒液の臭い。淋しい蛍光灯の明かりを受けながら啓は目を覚ました。
「………」
 体はまだ寝ているらしく、思い通り動かない。啓は眼を動かし辺りを見渡した。
 隣にも啓が寝ているベッドと同じ物があるのに気づくと、その上には睦葉が横たわっていた。
(そうか……たしか睦葉の家が火事にあって……いてもたってもいられなくなって、睦葉の部屋に入って、睦葉を抱きかかえた所で………よく覚えてない、その後、一体……)
 啓の思考はこれ以上の進展はなかった。そして、一体どこから来るのか分からない唐突な眠気に襲われはじめた。普段では感じたことのない………。


 次に目が覚めたのは二日後だった。
 啓は目を覚ましてすぐさま睦葉を求めて、横を見た。
 啓は跳ね起きた。前に目覚めた時には動かなかった肉体が、今となっては自分の意のままに動いていた。
 そんなことを気にするでもなく、啓は睦葉の姿を探して回りを見渡したがあるのは、四方を白い壁、横開きの出入り口に囲まれて、自分のを含めて四つのベットがあるだけ、人の気配もない。
「………」
 徐々に自分の置かれている状況に異様な孤独感を覚えはじめた。
 いつも植物の世話を一人でしている時には決して感じた事のない孤独。ここには植物の存在のない、只々殺風景な部屋だった。
 啓はここにいるのが嫌になりはじめた。
「とにかく、ここを出よう」
 啓はベッドから床に降り、まだ霞みの様に虚ろな思考で立ち上がった。
 そして、部屋を出て廊下を歩き出すと、数人の看護婦が仕事に精を出しているらしく、せわしく動き回っているのが分かる。
 そのうちの一人の看護婦が啓が病室から出てくるのに気がついた。
「あらっ、目が覚めたのね。体調の方はどう?後でお薬お持ちしますね」
 少し驚きながら声をかけてきた看護婦はそう言うと、どこかせわし気に立ち去った。
 啓は少し呆然としたが、気を取り直して廊下の窓から外を眺めた。
 ここの庭園らしく、緑にあふれ、その所々に小路が通され、そこを数人の看護婦や患者達が歩いているのが見えた。
 皆、建物内だけの生活ではやっていけないのだろう。たとえ人の手で作られた人工的な自然だとしても人はその渇きを潤そうとそこへ行くのだろうと啓はふと思った。
 そして庭園をみながら啓は学校の愛しい植物達は元気にしているだろうか。部の皆が面倒を見てくれているだろうか。植物達の害虫(進平)はおとなしくしているだろうか、そんなわけないな、といろいろなことを思い出しては考えていた。
「はぁ………んっ!あれは睦葉じゃないか!」
 啓は考え事をしながら庭園を見ていると、見覚えのある顔にも目が止まった。
 ついさっきまで寂しかった啓が探していた睦葉は庭園で車椅子を看護婦に押してもらっていた。
 それを見た啓はそれを見て内心ホッとしていた。そう最悪事態を免れたことに対して。 啓はいてもたってもいられなくなり、今すぐにでも会いに行きたい思いにかられていた。
 そうして外へ向かおうとした矢先、廊下の向こうからついさっきあった看護婦がカルテ片手に医者を連れてきた。
「あら、どこか行くの?悪いけど診察受けてからにしてね」
 そう言うと啓の背を軽く押して部屋へと戻させられた。
 この看護婦、さっきはアッという間だから何とも思わなかったが、若くてもそこそこ綺麗な人だ。少々性格は強引そうだが、まるで太陽の光を一身に受けて大きく育つ向日葵のようだ。
 そうどこか睦葉と似た雰囲気を持ってるようにも感じられる。
 部屋に戻り、医者の診察を受けながら、啓は睦葉が気になってしょうがない。
「はい、意識もしっかりしてるようだし、体のほうはしばらく眠ってたのもあって節々が痛むだろうけど、すぐに元通りになるから安心して。あとこの様子なら食事も大丈夫そうだね。今日の夕食から用意しておいてもらうよ。それと薬は暫くは体の抵抗力も落ちてると思うから抗生剤を出しとくね。それじゃあお大事に。君の様子なら散歩するのも許可出そうだから、寒くならないうちなら外の空気を吸ってくるといいよ」
 医者はそう言いながらカルテにいろいろと書き込み、そして先程の看護婦に渡して部屋を後にした。
「それじゃあね。看護婦も一言そう言うと医者の後について行くように退室した。
 部屋は静寂に包まれた。
 医者が言っていたことを啓はほとんど聞き流していた。二人が部屋を出て数秒後、啓はあの庭園を目指して早歩きで部屋を出た。
 廊下にはこの建物の見取り図が張り付けられている。
「ここは六階で、ここから左に曲がった所のエレベーターが近そうだな」
 エレベーターの一を確認してすぐさまその通りたどり、エレベーターの前まで来た。
「!?何!!ここ二十階まであんの?建築法とか環境法とかにひっかからないのかよ」
 エレベーターの文字盤を見て啓は驚いていた。
『ピンポーン』
 電子音がエレベーターの到着を告げる。扉が開き、無人の箱の中へと入り一階へ向かうボタンを押し、後は全てを機械に委ねた。
 一階に着くと啓は再び見取り図を探した。あの庭園への道のりは六階の物にはなかったのだ。
 が、周囲にはそれらしいものがなく、急いでいる啓は自分の記憶を辿るようにして歩きはじめた。それは啓の経験上、この手の建物は一階から最上階まで似たような構造だとふんだからである。
 啓の勘も捨てたものではなかった。予想通り対して迷うことなく庭園を見つけることに成功した。
 日の光を浴び、緑が輝きを放っている。人の手によって考えられた自然に啓は感動を覚えていた。
「すげー、いいなー俺もこんな庭園欲しいなー………」
 そんな事を思いながらすぐ様、我が家の現状を思いだし、その儚い夢は崩れ去って行った。
「……そうだ!睦葉は?」
 啓は夢の崩壊と共にここに来た目的に気付いた。
 園内を早歩きで回り、その姿を求める。が、一通り見て回ったが睦葉の姿はもうここにはいないようだった。
「考えてみれば同じ病室なのに、急いでさがす必要なんてなかったんだよな」
 啓はふと思うと、近くのベンチに腰かけて一休みした。
 もう日射しはとうに真上を過ぎ、もうじき夕日へと変わろうとしている。
 それに呼応するように、園内の緑もさっきまでの輝きを鈍らせはじめている。
 植物たちの一日はもうじき終わりなのだ。
 辺りは少しずつ赤みを帯びはじめ、緑も少しずつ沈黙をはじめ、人は外の空気の変化に対応して建物の中へ戻っていく。
 そして啓もまた、今の自分の部屋へと戻って行った。




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