「菜の花畑に」
著者:創作集団NoNames



−2−

 面会時間はとっくに過ぎていたので、当然病院内に入ることが出来ない。入っても受付内にいる看護婦にすぐ見つかってしまうだろう。
 どうしようか考えていると、救急車が一台きて、急患が運ばれていった。
(そうだ!いつかこんなシーン本で読んだな)
 それから三十分ほど待ってから、啓は病院の受付に駆け込んだ。
「さっき運ばれてきた人の家族なんですけど、病室はどこですか?」
 こんな手段であっさりと受付を通過し、睦葉のいる病室へ向かう。
 音を立てないようにゆっくりとドアを開け、病室の中にはいった。
 睦葉は個人部屋なので、他の入院患者には気づかれないはずだ。
 足音を立てないように、ゆっくりと睦葉に近づく。
「睦葉」
 小さい声でささやいてみるが、返事はない。
「睦葉」
 今度は少し大きめに声を出したが、やはり反応しない。
 睦葉は自分を待っていた、と遠山は言った。いつも一緒にいたが、それでも何かを待っている、と。
 啓には一つだけ思いつくものがあった。睦葉にいまだ伝えられなかった事が。
 彼女の耳元に口を近づけ、消えそうな声だったが彼は確かに言った。
「俺は昔から、そして今でも。お前の事が・・・・・・・・・・・・好きだ」
 そう言って、生まれて初めて自分の方から彼女にキスをした。
 ゆっくりと顔を離して、彼女を見つめる。
 呼吸音すら耳障りになるほどの静寂の中で、静かに時が流れた。
 啓の心に焦りが浮かんできた時、彼女の目が少しだけ開いた。
「睦葉?おい、聞こえるか。睦葉」
 思わず声が大きくなってしまう。だが、今の啓にそんな事を気にする余裕は無い。
 少しずつだが、確かに睦葉の目は開いていく。
 そして、完全にその目が開いた後、今度は口を開いた。
「女性の寝込みを襲うなんて、いい度胸ね」
口調はいつもの睦葉だが、その顔はこの暗さでも分かるほどに赤くなっている。
「待たせたな。悪い、遅くなって」
 啓の方は耳まで真っ赤になっている。
「まあいいか。こうして来てくれた事だし。でも、いいの?こんな私で。何の役にも立たないよ?」
 さっきの啓の告白について言っているのだろう。しかし、啓の返事は決まっている。
「利益だけじゃ、人は動かないんだよ」
今度は額に軽くキスをする。普段の彼では考えられないほどの積極さである。
二人がいい感じで見つめ合っていると、廊下から足音が聞こえてきた。おそらく看護婦の見回りだろう
「う、ヤベ。睦葉、また明日来るからな」
 さすがに今見つかると言い訳できない。というわけで、啓は逃げる事にした。
 ドアとは反対側にあるベランダに出て、配水管を伝って下りていった。
 下まで滑り降りた所で、啓はある事に気がついた。
(看護婦が通り過ぎてから、こっそり出りゃよかったんじゃないか?)
 至極当然な意見だが、焦っていた啓にはそこに思い至らなかった。
 降りてしまった以上、その事について考えていても仕方ない。とにかく家に帰ることにした。
 空にはまだ月が浮かんでいる。それを見上げて啓はふと思う。
(睦葉はあそこに行かなくて済んだのかな)




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