第五章 やらなければいけない事
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「やあ、君か。久しぶりだね」
三週間前に言っていた通り、同じ場所に遠山はいた。ただ、時刻はもう九時を回っている。
「また近道、使わせてもらいましたよ」
自分も遠山と同じように草の上に腰を下ろした。
もう三月になるが、日が沈むとかなり冷え込む。近くに風をさえぎる物が無いので、体感温度はかなり低い。
「きれいな月だと思わないかい?」
遠山の言うとおり空には雲ひとつ無く、無限と思えるような星が広がり、青白く光る三日月がその存在を存分に主張していた。
「そうですね」
啓には天体観測の趣味は無いが、ここまではっきり見えると素直にきれいだと感動できる。
いきなり本題には入りづらく、何を喋ろうか考えていたら遠山の方から話題をふってきた。
「君は、人が死んだらどうなると思う?」
啓は昔、これと同じ質問を父親にした事がある。
「僕の田舎の言い伝えだとね、体は土に還って植物になり、心はそれに宿り、魂は月に昇っていくんだよ。そう、こんな月の夜にね」
あのとき父は、「親友から聞いた話」と言って、遠山と同じ答えを返したのだった。
「だから木々や花、今周りにある草にも心があるんだよ」
見ると遠山は雑草の生えていない、土が剥き出しになっている部分に座っていた。
「君にも分かるだろう、拓弥の息子である君なら」
いきなり父の名前が出てきたが、予想はしていたので特に驚かなかった。
遠山は啓が右腕につけている金属製の腕輪を指差した。
「それがある、と言う事は父親を見つけたみたいだね」
それは自分が作ったものだ、と遠山は言った。
「はい、ほんの二週間前ですが」
そういって自分の首に掛けていたロケットを握り締めた。中には啓達、家族三人で撮った写真が入っている。
「四年も…かかりました」
啓があの場所で見つけたもの、それが腕輪とロケットだった。
「もう、そんなになるのか」
遠山が月を見ながら呟く。
四年前、啓が小学校を卒業してすぐの事である。
その頃の啓では知るはずも無い難しい名前の病気のせいで、彼の父、駒沢拓弥は入院をしていた。
彼は植物が好きで、病室なのに鉢植えまであるほどだった。
啓が園芸に興味を持ったのも、父の影響によるものである。
「啓ももう中学生か。早いもんだな」
しょっちゅうやってくる息子から、最近の事を聞くのが彼の日課のようなものだった。
自分が入院している分、妻が仕事を頑張っているのだが、元々共働きな上に相手のほうが収入も多かったので、平均レベルの生活は出来ている。
たとえ自分がいなくなっても、生活に支障をきたす事はないだろう。
「啓。父さんがいなくなったら、母さんの事頼むぞ」
先日、彼の余命はもうほとんど無い、と家族全員がその事を医師から告げられた。
前から啓も覚悟はしていたが、改めて聞かされると絶望的な気分になった。
「まかせときなって、もう子供じゃないんだから」
それでも本人の希望により、最期の時まで普段どおりに接する事にしたのだ。
「もう5時か、そろそろ帰るよ」
そう言って啓は帰っていった。
病室に誰もいなくなると、拓弥はベッドから出て着替えをはじめた。外出用の服を着て上から大き目のコートを羽織る。
準備を終え、家族への手紙をポケットにしまった時、病室のドアが開いた。
「ナイスタイミング、かな?」
そこには遠山が立っていた。拓弥の格好を見てふっと笑う。
「ああ、さっき啓も帰ったところだ」
それを聞いて、遠山の顔が少し曇る。
「本当に、これでいいんだな?」
拓弥はポケットを軽く叩いて見せた。
「どうせあと一週間もすれば自力では生きられなくなる。そうなるくらいなら、な」
「……わかった。行こう」
覚悟を決めている拓弥の顔を見たら、もう遠山には何もいえなかった。
そして、拓弥は病院からいなくなった。
「あいつはな、約束してたんだ」
月を見上げたまま、遠山は言った。
「約束、ですか?」
「ああ、植物の精霊さんとな。お前は会った事無いか?」
「精霊……あーーー!」
そこで啓は思い出した。自分がここに来た理由を。
「そうだ、遠山さんに聞きたい事があるんです」
いまは睦葉のことを聞くのが先決だったのだ。
早速、遠山にいきさつを説明した。今、啓が頼れるのは彼しかいないのだ。
「睦葉…、あの時の娘か。まさかそんな事になっているとは」
睦葉が彼を知っていたように、彼も睦葉を知っていたようだ。しかし、気になることが一つ。
「あの時って?」
すると遠山は意外そうな目で啓を見た。
「覚えてないのか。でも、あの状況じゃ仕方ないかもな」
話によると、あの時と言うのは半年前のあの事故のことらしい。
しかし、啓には遠山を見た記憶は無い。
「いきなり人が流されてきたんだからね。驚いた、驚いた」
下流で荒れている川の絵を描いていたらしい。
「何とか助けたと思ったのに。そうか、彼女が」
啓も少しだけ記憶がよみがえってきた。
二人一緒に川に落ち、そのままなす術も無く流されていた時のことだ。
もう上下の感覚も無くなり、無我夢中で開いた手を伸ばすと何かに触れた。
そして、力を振り絞ってそれにしがみついたのだ。
(でもそうしたら、睦葉の方の手が滑って)
「彼女を助けた後、君を引っ張り上げて救急車を呼んだんだよ」
誰もその事を教えてくれなかったのは、病院についてすぐ立ち去ってしまったかららしい。
「おっと、それより今は彼女の事だな」
またそれ始めた話を修正する事にした。
「僕は以前、彼女と同じ状態になった人を知ってるんだ」
啓を見てはいるのか、どこか遠くを見ているのかよく分からない目をしていた。
「眠り続けている人に話し掛け続ける、はたから見れば異常者だったろうね」
今度は月を見上げた。三日月は先程と同じように空に浮かんでいる。
「君や僕が、なぜそういった人と話ができると思う?」
そう言われて啓は戸惑った。睦葉と話ができる、その事を嬉しく思うあまり疑問をもつことをやめたのである。
「もちろん向こうにも理由はあるけど、一番大きな要因はこっちにある。きみも植物と話をするだろう?」
確かに話し掛ける事はあるが、それとどんな関係が有るのだろうか。
「ごく稀にそんな風に植物の心を読み取れる人物がいる。君や僕、そして君の父親のようにね。そして、植物人間は文字通り、植物に近い性質を持っている。心は存在しているのに、魂が『離れている』状態なんだ」
「それはつまり、睦葉が死…」
喋ろうとする啓を遮って、遠山は続けた。
「あくまで『離れている』だけだ。勘違いしちゃいけない」
「でも、今は呼びかけても返事をしないんですよ」
「最後まで聞くんだ。今の彼女は心が閉じかけた状態だ、だから君でも話が出来ない。このままではいずれ魂も月へ昇ってしまう。」
冷たい風が二人を包みこむ。真っ白な息がゆっくりと空を漂う。
「でも彼女の願いをかなえてやれば、きっと心を開いてくれる。彼女は目を覚ますさ」
「睦葉の願い?」
「そう、火事にあったときに彼女が動いたって言ったね。それはなぜだと思う?」
たしかにあの時、睦葉は動いたらしい。あの時は確か…。
「そして、彼女が眠り始めた時のことも、よく考えてみるんだ」
その二つを比べて考える。そして浮かんでくる共通点は。
「俺…か?俺が睦葉を助けようとして…」
「そう、彼女は君を待っているんだろうね。あの時からずっと、ね」
そうだとしたら、睦葉を助けられるのは自分しかいない。自分でやらなければいけない事なのだ。
「俺、あいつの所に行ってきます!」
思いついた以上、じっとしているわけには行かない。急いで立ち上がり、遠山に別れを告げた。
「若いねぇ。…あの娘は助かるといいな」
右手を空にかざすと、うっすらと月明かりが透けて見えた。
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