「利用した者、させた者」
著者:創作集団NoNames



   −2−

 午後12時、『門外』。
 あの日耕二と共に入った喫茶店で耕二が来るのを靖子は待っていた。二人で…
 幸太郎ではない青年と…
 テーブルには二組の空の皿が置かれている。
「で、どうしろと言うの?私は耕二君を頼りにしてる。でも何かをして欲しいとは思ってなかった」
 靖子は真剣な眼差しで青年に話す。
「本当にそう思ってるのかい?君は自分の幸せのために彼を利用しようとしてたじゃないか。君はもう戻れない」
 青年はタバコに火をつけて一息吸って、そして白い煙を天井に向けて吐き出した。
「あなたが、最初に利用できるものは利用しようって言ったのよ!」
 靖子の声は自然と大きくなる。
「おっと、怒らないでくださいよ。別にここで全てを打ち明けても私は何ともない。…でも君は失うものがある」
 青年は怒る靖子にへらへらと笑いながら言う。
「………」
「さぁ、それでは彼にこれを渡してあげるといい。そうすれば彼がうまく使ってくれるはずだ」
 青年は長い脚を組みなおして、A4サイズの茶封筒を差し出してきた。
「これは?」
「どっかの企業の所得隠しと脱税を証明する書類さ。もちろん出所は秘密にしてよね。それが君のためにも、僕のためでもある」
 青年はそう説明すると席を立ち上がり、伝票を取り二人分の会計を済ましにカウンターに向かった。
「これはサービスしとくよ」
 青年は振り向かずにそのまま店を後にしていった。
 昼間だというのに店内には席に余裕が大分あり、暫くの間沈黙が続いた。
 ……
「お待たせー、おや?誰か来てたのかい?」
 少し時間がたって、息を切らしながら耕二は待ち合わせ時間ちょうどに店内に入り靖子の向かいへと現れた。
「う、うん、友人にあってね昼食を一緒に食べてたの。…でも用事があるとかでもう行っちゃったわ」
 靖子は耕二の途端の質問に動揺していた。
 これで動き出す。この茶封筒で全てが…


数分前、耕二は職場から休みを貰い。この前靖子とはいった喫茶店を探していた。
今回もすっかり迷っていた。
「うーん、あの時はコンビニから話しながら来たから。多分この辺に…ビンゴ!間に合った」
 何となく見覚えのある、喫茶店を見つけ駆け足で近づく。いまいち意味の分からない店の看板を見ながら店の中に入る。
 靖子を見つけるのは喫茶店を見つけるよりもはるかに簡単だった。長い黒髪の女性なんて限られている。
「お待たせー、おや?誰か来てたのかい?」
 靖子の目の前に来て、ふとテーブルに目をやるとそこにはきれいに片付いて何も置かれてなかった。まるで一度何かを頼みそして片付けてもらったかのように。
「う、うん、友人にあってね昼食を一緒に食べてたの。…でも用事があるとかでもう行っちゃったわ」
 靖子の言葉にはどこか違和感を感じた。本当なのか?
 耕二は疑問を抱きながらも席に着いた。そしてウェイターにコーヒーを注文した。
「話っていっても昨晩の続きみたいなものなんだけど、どれから話そうか?」
 耕二は何気なく話を始める。
「そうね、幸太郎さんにあって真意を聞いたことについて、もう少し詳しく聞きたいわ」
 靖子は再び聞くのが怖いのを堪えるように言った。その強がりは耕二にははっきりと分かる。
「一昨日彼に会って、君に対する真意を聞いた。答えは、今自分が愛しているのは理沙だと言ってたよ」
 耕二はただ素直に答える。今はそれしか彼にはできない。
「…そう」
 靖子は一言呟くと下をうつむいた。
「そして昨日、理沙が俺の家に来て一方的に手切れ金を渡してきた。額は全部で2千万。これを君に渡せと言ってたよ」
 耕二は鞄からその一部を靖子に見せた。靖子もちらりと見るが再び下を向いた。
「……」
「さて、これで靖子は諦める気になったのかい?」
「……」
返事はない。
「はぁ、そんなに落ち込まないでくれよ。今のは実際にあったことを客観的に話しただけで、それが全て真実だとは俺は思っていない」
「???」
 靖子はうつむきながら耕二を見上げる。
「幸太郎は君の事を愛していると見て問題ない。しかし彼の立場はそれを許していない。それが俺に対する答えに表れた。その結果が君を選べずにいる理由」
「……」
 今の靖子には気休めにしかならない。
「話を変えよう。…あの日幸太郎は俺のことをすでに知っていた。君が教えたのか?何のために?」
 耕二はもう靖子を初恋の人とは見ないようにしていた。そうしたかった。
「そ、それは…」
 靖子ははっとして弁解しようとするが、口ごもる。
「それと昨日会った理沙さんも何故か俺のことを知っていた。俺の存在はそれまでは君と幸太郎君しか知らないはずだった・・」
 靖子が何も言わないのを見計らって、続けた。
「理沙さんに君が教えるわけがない。それは彼女も言ってた。あとは分かるのは幸太郎君が言ったという可能性だ」
「……」
 靖子は沈黙を守る。
「その反応は、どうやら幸太郎君でもないみたいだね。君が間接的に彼女に俺の存在を教えたんじゃないか?」
 耕二はまるで警察が尋問でもするかのように次々と靖子に問う。
「そんな、私がそんなことするわけないじゃない。耕二君いきなりどうしたの?」
 靖子はやっと重い口を開いた。
「君には誰か後ろ盾がいる。そうでなければ君に会った次の日の、君から不思議と感じられた自信のようなものは理解できない」
 耕二はもう私情を挟もうとはしない。
「それは君が私の力になってくれると言ってくれたから嬉しくて…」
「たかが幼馴染の戯言に今の君の状況の救いになるとは考えがたいね」
 靖子が言い分けをするのをさえぎるように話す。今の耕二に隙はない。
「・・頼むよ、正直に話してくれ。少なくともこのままでは俺は君の協力をすることはできない」
 耕二は静かに言う。それはさっきまでの耕二の口調とは違う。
「…分かったわ…」
 靖子は観念したのかゆっくりと話し始めた。
 時間は2時を過ぎようとしていた。


「おやおや、困ったな。まさかここまで賢いとは・・後は彼女次第かな」
 青年はさっきまでいた喫茶店の隣のビルの屋上で日向ぼっこをしながらイヤホンから流れる会話に独り言を呟いていた。
 カチ、カチ
 青年はタバコに火をつけて一服した。
「少しは面白くなってきたかな」
 青年は曇り始めた空を眺めながら、これからの展開に耳を澄ましていた。


「…始めは、幸太郎さんからこの話を持ち出したの。『僕が愛しているのは君なんだ、僕は親の選んだ人とは結婚したくない』そういってくれて、そのためには誰か協力者が必要だって…」
 靖子は少し辛そうな顔をしながら話し始めた。耕二は少し疑問を抱いていた。
「そして俺が偶然にあのコンビニで出会ったと?・・いや偶然であるわけがない」
「そうね、あのヘルメットを被っていたのは幸太郎さんだったの。わざと耕二君に隙を見せるように図ってね」
 靖子は戸惑うことなく話す。それは彼女が耕二に対して本当に全てを語っているようであった。
「随分な計画だね、そして俺と話す口実を作った。そこから俺はもう利用されてたんだね」
 耕二は悲しい表情をしていた。が、下を向いている靖子には分かるはずもなかった。
「そう、しかも耕二君から私の力になってくれると言ってくれて、計画は順調に進んでたわ…」
「でも昨日の俺の電話が君を惑わし不安にさせている。君は幸太郎を信じることが出来ないでいる」
 口を詰まらせた靖子に代わって、耕二は話をつなぐ。
「ええ」
「君は彼から僕に対する演技の話はしてなかったのかい?彼は一人前の政治家を目指しているが演技は三流だよ。おそらく僕に言ったあの言葉は嘘だよ」
 耕二は靖子の話を統合して自分の記憶を少しずつ補正にかける。顔は悲しそうなままだった。
「その言葉は信じていいの?」
 靖子は顔を上げる。耕二はあせるように平静とした態度をとった。
「彼は俺に挑発をするのが目的だったんだと思う。結果的には悪い形になったがね」
 耕二は靖子の涙ぐんだ顔を見て再び悲しくなる。
「…話を戻すけど君の後ろ盾は何者なんだい?俺にとってはそれが一番疑問なんだけど」
 このままの状況に耐えかねたのと、自分の本来の目的に戻ろうと話を変えた。
「…大局を見極めないと…」
 耕二は誰にも聞こえない小さな声でボソリと呟いた。
「そんな!後ろ盾なんて…」
 靖子はもう演技をする余裕はなく、途中で言葉に詰まった。
「もう本当のことを話そうよ、でないと俺は君を信じられない。それに協力もできない」
 耕二は痛む心を抑えつけて話す。
「……ごめんね、そうだよね。こんな話してごまかせるわけないよね」
 暫くの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
「でもね私もその人のことはあまり分からないの」
 その言葉を聞いて、耕二は顔をしかめた。
「知り合いではないのか?」
「そう。どこからともなく私のところに現れて『君が望むなら、君の望みを叶えよう』なんて言うの」
 靖子は信じられないでしょ、と言ったふうな表情をする。
「でもね、その人は私たちの事情をあまりに詳しく知りすぎていたの。最初はプライバシーの侵害だ!って、私も怒ったわ。でも、それ以上に、その反面に信用できる気がした」
 耕二はただ口を閉ざし靖子の話を聞いている。
「根拠はないけどね。そして契約したの、私たちのこの関係を成立させる代わりに、100万が条件…」
 靖子は耕二に何かを聞いて欲しいのか、そこで話を止めた。
「・・ずいぶんリーズナブルな商売だね」
 耕二もその意図に気づき答える。
「幸太郎さんも同じ事を言ったわ。・・そうしたらね『大口の契約も同時進行でね、そっちから巻き上げるからこっちはサービスだよ』って言うの。意味不明でしょ?」
「確かに何の意図があって協力するのかよく分からない。まるで楽しんでいるようだ」
 耕二も疑問に思う。
「そうまるでそんなノリなの。自分の事を『死の商人』だとも言ってたわ。知ってる?」
 靖子は自分のテンションが少し上がってきているのか?口調が明るくなってきている。
「・・いや、聞かないな。そして本人が何者かは分からないと…」
 耕二は考えているのか、遠い目をしていた。
「ええ、そして次の計画がこの茶封筒をあなたに渡せということなの。そうすればあなたがうまく使ってくれるはずだって」
 靖子はちょっと前に受け取った茶封筒を耕二に手渡した。
「それって俺のことも調べ済みってことか?危ないな。で、この中身はなんなんだい?」
 耕二は『その人』に嫌悪感を抱きながら、封筒を受け取って中身を覗いた。
「その中は理沙のお父さんの会社の過去の所得隠しと脱税の記録が書いてあるらしいの」
「!!それが事実なら大問題だ」
 淡々と話す靖子に対して耕二は動揺した。なぜそんな物がと…
「…これが私の話せる限りよ」
 靖子は少しすっきりしたといった感じの表情をしている。
「なるほどこれが本物なら決定打になるかもしれない。そしてこれを使う役はそいつによると俺に決まっているわけだ」
 耕二は中身を一瞥しながらそう言った。
「分かったよ。俺はやっぱり君の協力をしよう。あえてこのシナリオの役者になろうじゃないか」
 耕二は中身を封筒に戻してはっきりと答えた。
「いいの?」
 靖子は意外そうな反応をする。
「ああ、そもそも話しさえ聞ければ協力はするつもりだったんだ。・・それにこのシナリオがどんな結末を迎えるか興味深いしね」
 耕二は自分の中に違う理由が芽生えていた。まるで第三者としての…
「ありがとう。ほんとにありがとう」
 靖子はそういって、目に涙を溜めていた。よほど不安定な心境だったのだろう。耕二次第で全てが決まろうとしていたのだ。仕方のないことだ。
「いや、これで俺はただ利用される者でなくなったわけだ、考えてみれば嫌なもんだね、何も知らずに利用されるのは」
 耕二は靖子に笑顔を振舞う。
「ごめんなさい」
「もう良いよ…俺を信じてくれ…」


 ビルの屋上、すでに吸殻は半ダースを超えていた。
「いやー、なかなか緊張の瞬間、かな?」
 青年はイヤホンをはずして階段を下り始めた。
「…本当に賢いや、それになかなか楽しい性格をしている。まぁ変わり者だしね」
 青年は喫茶店をちらりと見るや銜えていたタバコを捨てて駅のほうへと消えていった。



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