「利用した者、させた者」
著者:創作集団NoNames



   −3−

 電車が家の最寄に着いた。大きな息を立てて、降車側のドアがスライドする。
 耕二は味気のないコンクリートホームへ降り立つと、一度大きく伸びをした。
 中途半端な眠りは疲れを確認させるだけだった。少し無理な体勢で眠りこけていたせいか、節々がきしむように痛い。
 まだ人影もないホームには朝日がいち早く滑り込む。さすような強い光とは対照的に、そこかしこの夜のかけらに残った影には、まだ薄いもやのようなものが漂っていた。
 改札口を通ると、普段は人が賑わう駅前も閑散としているのが見えた。
 静か過ぎて、気味が悪い。
「………」
 日常では使わない時間の道。
 あっけらかんとしたその非日常が目の前には広がっている。
 今、自分がここに在ることの意味を強く感じる。
 耕二は大きく息を吐き出すと、決意したようにしばらくの間、無視していた携帯電話の振動を切るように、通話ボタンを押した。
「………」
『………繋がってるよね?』
 相手側が不安そうに返す。
「ああ」
 短く切って、彼の次声を待つ。
『もしかして、今家に向かってる?』
「………津島理沙や他の関係者が家で待ち構えているから帰っちゃだめだ……か?」
 一瞬、耕二の電話の向こう側がノイズに包まれて混乱したような息を吐いた。
 手ごたえを感じて、耕二は誰にともなく確信の笑みを浮かべた。
 一度、大きな風が吹いて、駅前ターミナルの信号が赤から青に変わる。
 耕二は歩き出す。
 しばらく受話器の向こう側は沈黙したが、耕二も何も言わなかった。
 だからそのあとに響いた少年の声は、やけに明るく聞こえた。
『アハハッ、まさかそこまで読んでるなんて。やっぱアンタすごいや』
「悪いが、物語の大筋は大体読めた。津島側のスパイだったおまえは、俺を囮にして時間を稼ぎ、元々の津島側に敵対する何者かへの有益な情報を根こそぎ盗み出した。そして俺の素性がばれるぎりぎりまで敵を俺に引き付けさせておいて、今の段階になってようやく」
『津島側の敵になることを公表し、彼らを潰すコトにした……』
 楽しそうに少年は言葉を弾ませる。
 そこには微塵もの罪悪感はない。
『うん。完答に近い回答だよ。よくもまあ、こんな細かい情報ばかりの状態から、ここまでたどりつたもんだ。感服するよ』
 少年はそういていていもいたって平然としていた。
 耕二は、それを虚勢ととる。次をまくしたてる。
「でも、完答ではないんだな」
『まぁ。これからの君の行動次第だよ。その事実を知ってまだ僕の書いたシナリオに乗っかる気があるなら、君だけは条件付きで助けてあげる。でも、このまま独自路線を突っ走るつもりなら、僕が君を守る必要はない』
「俺が津島側に殺されようと、別に関与はしないってワケか」
『僕が君をなんらかの手を使って殺すかもしれないしね。まあ、そろそろ津島も僕と君の間に何らかの接点があった、って知り始めたころかもしれないね。そうすればグルだけど、別に君が死んだとしても、僕に関しての情報は何一つ君は持ち得ない。逆に懐柔して相手側に回ったとしても、今の状態じゃ泥舟に乗るようなものだし』
 「利用する者」は一度鼻を鳴らして笑った。
『まだ、利は僕にあるよ』
「………だが、腑に落ちない点がある」
『なに?』
「なぜ俺を選んだんだ。この話は元々靖子が………」
 その瞬間だった。
 受話器の向こう側で少年がにたりと笑うのがはっきりとわかった。
 感覚、とでもいえばいいだろうか。
 それは、おそらく耕二の頭の中で全てが繋がったからわかる行為だった。
『ああ、そうだよ。元々靖子さんが僕に頼んだんだ。百万でね。君が言う「津島に敵対するもの」との大口も進行中だったから、同じ路線でもう一儲け、というわけだ。どちらにせよ僕は津島を潰すつもりだった、ってこと』
 家への最後の信号をわたるころには、完全に陽光が朝の日差しになっていた。
 耕二は高架下のあったほうを見やる。
「つまり、靖子はあまりこの物語には関係なかったってコトだな」
『君は完全に初期は観客席だったよ。ま、ここまで知ってしまったら、もう遅いけどね』
「俺は、まだ死ぬ気はない」
『ほう?ちゃんとした言葉がほしいね』
 一息のあと、耕二は確かにきっぱりと言い切った。
「………次の行動を教えてくれ。俺はお前のシナリオに載る。津島を破滅させて、元の生活に戻る」
『津島理沙を脅したときの金は欲しくないのかい?』
「この際、命には代えられない。諦める」
 少年はさっきから電話の向こうでやたらに笑っている。
 不快感を感じないといえば嘘になるが、これも命のためだ。
 今のところは彼に従っておくしかない。
『わかった。そちらはなんとかしよう。君は有能だ、こちらも殺してしまうのが惜しい。一瞬でも僕を出し抜いたその能力は適所で生かすべきだと僕は思うけどね』
「これも半ば強制に近い気がしなくもないがね」
『その分三日間猶予を与えただろ。その間に弱みを握ろうとして僕の素性を調べた君の理論は鋭いよ』
「っ!」
 耕二は顔をゆがめる。
 彼は知っていてあえて、耕二に三日間の猶予を与えたのだ。おそらくは自分に何かしらのリアクションをするだろうコトを予想していたのだ。
「………敵に回ると思うとぞっとするよ」
『それは誉め言葉と受け取っておいていい?』
「ああ」
『所詮この世は利用するものと利用されるものに分かれる。君は物分りがいいから、力さえあれば利用する側に回れるよ。保証する』
「保証しなくていいから、次の指示を教えてくれ」
『もう、せっかちだなぁ。わかった。とりあえず脱税書類の一番最後に書いておいた指示は全部読んであるね?』
「ああ。コピーを一部だったな。今理沙に渡して手元には原本しかない」
『その原本は、今もってる?』
「いや、家だ。隠してある」
『……そっか。それじゃ、これから僕が何とかして彼らをどかすから、その間に取ってきて』
「それから?」
『その原本をこれからいう出版社に持っていって。今日は金曜日だから、多分来週の記事になると思うけど、これでまず津島を揺らす』
「俺の身柄は?」
『出版社に桜越って人がいるから、その人にいって当面の生活は工面してもらって。もう話はつけてあるから、無事だけは保証する』
「分かった」
『とうとう、僕の長いお仕事も終わりかぁ。今から来週の金曜日が楽しみだよ♪』
「……利用する者」
『ん?』
「ここまでして、何か思うことって、あるのか?」
『僕は仕事に個人的感情は挟まないクチなの。でも一応君の有能さには惹かれてるよ』
 そのあとしばらくして電話を切ると、耕二はまよわず自宅へと戻った。
 アパートの入り口には、予想したとおり誰もいない。利用する者がなんらかの細工をしたのだろう。
 ドアの新聞受けには新聞が大量に挟まっていた。
 鍵を開けて、新聞受けの新聞を全て抜き取ると、その中から茶封筒を取り出した。
「………」
 一度、しっかりと胸に抱きしめる。
 この薄い封筒には、この舞台の全員の全てを決定してしまう力がある。
 その力を、今は耕二が握っている。
 耕二はきっと唇を結ぶと、決意したように今まで共にしてきた鞄を肩にかけると、そのまま鍵も閉めずに飛び出していった。




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