第六章・積み重なる罪
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「ええ、そのようにお願いします。それじゃ」
青年は日が替わってから十度目の電話を切ると、午後の日差しの差し込む窓にブラインドをかけて、くるりと反転した。
黄金色に輝く楯やらメダルやらが壁際のショーケースにずらりと並ぶ部屋は、どことなく青年に不快感を与えたが、彼はそんな感情を少しも表には出さず、デスクの上の冷めたコーヒーを飲み干す。
元々眠気覚ましに淹れたものだが、昨日の夜から五杯目ともなれば、さすがに効果もない。
朝から喋り通しだからコーヒーを飲み込む喉が痛かったが、そんなことは言っていられない。
今、彼は盤上の全ての駒を動かしている身なのだ。その彼が駒の好き勝手な動きを見過ごすわけには行かない。ある程度は予定通りだといえど、彼とて絶対的な自信があってこの計画に望んでいるわけではない。現に靖子の用意した遠藤耕二は得体の知れない推察と洞察を以って自分に近い場所まで来ている。
青年は少し焦りを感じ始めていた。
「終わったのか」
そんな青年の焦りを察するかのように、目の前の男がソファーから半身を起こした。
仮眠を取るといって寝ていた初老の男が、青年を上目遣いにじろりと睨む。年の割に刻まれる皺は少ないほうだが、それでも漂う風格は間違いなく政治家のそれだ。
幾多の修羅場を潜ってきただけのことはある。
ただ、寝起きだからか寝ていたために服にしわが寄っているためか、その気迫は普段よりは若干乏しい。
青年は維持の悪い笑みを軽く浮かべた。
「今のところ、設置できる『爆弾』は全て取り付けました。後は誘爆中に最後の一つを津島理沙に渡せば終わりです」
座っていた男は目を細めると、息と共に小さく肩を落とす。
「どうかしましたか?」
「いや………長年水面下で戦ってきた相手がこんなに簡単で脆いもんだとは思いもしなかったんでな」
「拍子抜けですか。それだけ相手の能力も高かった、ってことです」
「だが、お前はそれを打ち破った」
鋭い視点と言葉は、少年にとっては心地が良かった。
実際自分のやっていることは裏切りの連続だ。
故に揺るがない信頼というものなど青年にはありえない。
だが、心の奥底では求めている自分がいるのも事実だった。
恍惚、とも言えばいいだろうか。相手に認められることだけが、自分の存在意義。
そんな感じがした。
「視点が高ければ高いだけ、地上のことは良く見えるもんです。意表を突いた攻撃ほど、相手に与えるダメージは大きい」
「………そうか」
「ところで、ボクは感知していませんからわかりませんけど、息子の幸太郎さんの方はどうなんですか。このまま行くと水商売の……なんでしたっけ。名前忘れちゃいましたけど、その人とくっついちゃったりしないんですか?」
「なぜお前が幸太郎の心配なんぞするんだ」
怒りに近い感情が、目の前の男に混じる。
青年は軽くそれを受け流すと、また流暢に喋りだす。
「いえ、同年代ですから少し気になっただけですよ。ボクとはあまりに違う道ですから、別の苦労もあるんじゃないかと思って」
「お前の知った事ではない」
短く言葉が切られて、会話が途切れる。
まったく、いつまでも息子離れができねえ親か、これじゃ息子も大変だ。
青年は心うちでそう思う。
役割を使い分けているとはいえ、この鯉墨潤一郎の前では自分は靖子や耕二等の人物についてはまるで知らない事になっている。そちらの話題に関しては、知っていても口に出すような事はない。
もう終わりだから、少し油断してみただけだ。
終盤に着てまで、まだそれだけの余裕が彼にはあった。
「鯉墨さん」
「なんだ」
「そろそろお仕事の時間でしょう。ボクは経過を見ないといけませんので、この辺でおいとましますね」
そういって、青年は立ち上がる。
「好きにしろ」
潤一郎はにべもなく言い放った。
もうすぐ、いろいろな意味で物語が終わるとも知らないで。
二つとも三つとも取れる笑みで、青年は潤一郎に笑った。
「それじゃ、次に会うときは津島産業が潰れている時ですか」
「そうなるな」
「ふふ、まあ見ててください」
そういって、青年は事務所のドアを開け放った。
さわやかな朝の匂いがする。
眠気もあったが、それ以上に充実感の方が強い。
自らに肉薄し、状態に気付きつつあるも仲間となることを選んだ耕二。
迷いの末に自分にとって絶望的な茨の道を選んだ靖子。
物語が一番理解できていない、愚者としての役割を担う幸太郎。
耕二の果ては物語での操り人形となる事を強制された哀れな理沙。
そして全てを知らない津島忠雄と鯉墨潤一郎。
全ての役者は揃った。
そして物語が終わるのは、今日。
耕二が靖子との必然の再会を始めた決行からの一週間、本当に順風満帆といえば嘘になる。観客席から殴りこんできたものもいたし、予想以上にシナリオにはまってくれた人もいた。
「いろいろと、面白かったよ」
青年は朝の光に溶け込むようにして、街の中へ消えていった。
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