「明日の見えぬ僕たち」
著者:創作集団NoNames



−2−

 気がつけば時刻は十時を回っていた。
 会社や学校へ向かう人たちがいなくなったせいか、外から伝わってくる朝特有の慌ただしさは完全に消えていた。
 静寂に満たされた部屋の中に一人、誠一は立ち尽くしていた。
 ようやく落ち着きを取り戻し、現状を冷静に考えることができるようになってきた。
「今日は、七月二十二日だ」
 いまさらそれを否定しても仕方が無い。なら、考えることは別にある。
 誠一は食パンをトーストに突っ込んでから、冷蔵庫の中の麦茶を取り出した。
 近くにあったコップに麦茶をギリギリまで注ぎ、それを一気に喉に流し込んだ。喉から胃にかけて伝わっていく冷たさが、今はとても心地良い。
「だとしたら、『昨日』は、それに『一昨日』はなんだったんだ?」
 この二日間のことを思い出す。
二日前に自分は、確かに尾下電気の説明会に行った。スケジュールの管理はいつも怠っていないので、日にちを間違えたということはまず無い。
チーンと小気味よい音とともに飛び出したトーストをかじる。一枚目をあっというまに食べ終わり、二枚目をトースターに放り込んだ。
 朝食には遅い時間だが、空腹のままでは頭も回らない。
 食べ始めると思ったよりも食欲が出て、焼きあがった二枚目もすぐに平らげてしまった。
 腹を満たした誠一は背もたれに体を預け、天井を眺めながら思考にふけった。
「可能性があるとすれば…………やっぱ、夢だろうな」
 食事しながら考えた結果、結論は昨日と同じくそこに落ち着いた。
 常識的に考えて、それ以外のことはありえないと判断したのだ。
 誠一はイスから立ち上がって、二日連続で酒を飲んだ部屋を眺める。
「でも、やけにリアルだったよなぁ」
 景汰や澪とのやり取りは、誠一にとってはいつものことだ。夢に見ることがあったとしてもそこまで不思議ではないだろう。
 会社の説明会にしても、最近はあちこちで参加しているので、さほど珍しいものではない。それに、どこも内容は似たようなものだ。
 しかし、夜に景汰がつれてきた二人については勝手が違う。
 誠一にとって、名前どころか顔すら覚えていないような相手である。
 その二人が夢に出てくるとなると、自覚がないだけで記憶の片隅にでも彼女らのことが刻まれていたのだろうか。人間の記憶力というのは、なかなか侮れないものなのかもしれない。
 あるいは、同じ夢でももう一つの可能性。
「予知夢ってやつか?」
 誠一は超常現象などについてはどちらかといえば否定的だ。正確に言うならば、興味がないというのが正しいだろう。
 UFOや超能力はもとより、幽霊や祟りなども勘違いや迷信だと思っているし、テレビの心霊番組なども一種のバラエティのようなものであると捉えている。
 だが、自分が置かれている状況は、たった今導いた一つの仮説は、その超常現象といえるかもしれないようなものだ。自身がかかわっている以上、興味がないとも言っていられない。
 もし未来予知というものが存在すると仮定するのならば、一応の辻褄は合うような気がする。
 だとするのなら、確認をしてみるのも悪くはない。
 『昨日』の出来事が未来を覗く夢だったなら、学校に行けば同じ事が起こるはずだ。
 今朝に感じていた恐怖感は、すべて好奇心へと変わって誠一を動かしていた。
しかしそれは、一番悪い答えを想像しないための無意識の自衛策だったのかもしれない。
 
 いまさら会社説明会に行っても終わっているので、誠一はまっすぐ大学へと向かうことにした。
 時刻は昼前といったところ、記憶どおりなら研究室はまだ開いていないだろう。
 開いていないと思っていながら研究室に向かう自分の姿に、思わず苦笑を浮かべてしまった。
「俺も何やってんだかな」
 研究室にはきちんと鍵がかけられていた。教授が来るまでにはまだ時間があるから、どこかでヒマをつぶさないといけない。
 ほかに行くところも思い浮かばないので、誠一はいつもの食堂に向かった。
 食堂にはそれなりに人がいたが、まだピークというほどの人数でもない。
 遅い朝食のおかげで腹も空かないので、とりあえずコーヒーでも飲むことにした。
 料金を入れてボタンを押す直前、ゴトンという音とともに自販機から勝手に商品が出てきた。
「なっ!?」
 いつの間にか誠一の背後から伸びた手が、自販機のボタンを押していた。
「へへっ。油断したね〜」
 振り向いた先には、澪がしてやったりという表情で立っていた。
「おい。いきなり何をする」
「ゴメンゴメン。ぼーっとしてたみたいだから、ついやっちゃった」
 軽く手を合わせて謝る澪。顔が笑ったままなので、反省の色というものはまったくない。
 まともに相手をしても疲れるだけなので、ほっといて商品を取り出す。
「ったく。――――熱っ!」
 指先が缶に触れた瞬間、予想外の熱さに思わず手を引っ込めてしまった。
「お前何のボタン押したんだよ?」
 その問いかけに澪は首をかしげ、自分の指と自販機を見比べたあと納得したように頷いた。
「オレンジジュース。……のつもりだったんだけどね」
 確かにこの自販機にはオレンジジュースがある。誠一も以前に飲んだことがあった。だが、それはもちろんここまで熱いものではなかった。
 誠一は改めて缶を取り出し、そこに表記されている名前を見た。
「ザ・おしるこ、だとさ」
「あはは。あ〜、暖まりそうだね」
 いくら冷房が効いていて室内が涼しいとはいえ、今は七月である。とてもではないが、熱いおしるこを飲む気にはなれない。
 なぜこの時期にこんなものが売っているのかは疑問だが、それよりも先にどう処分するかを考えなければいけない。
「なあ、いきなりだがお前にプレゼントがある」
「いらない」
「そういうなよ。せっかくなんだから、受け取ってくれ」
「絶対いや」
 知らない人が聞いたら、今の自分たちの会話をどう思うのだろう。誠一はふとそんなことを思った。
 少なくとも、おしるこの押し付け合いだとわかる人はまずいないに違いない。
「俺の知っている柳澪は優しい女のはずだ。だから、きっと受け取ってくれると信じている」
 本当に澪が優しかったらそもそもこんなことにはなっていないのだが、軽口を言い合っているうちに興が乗ってきて、普段言わないような言葉がスラスラと出てくる。
 澪も同じように冗談で返してくるのだろうと思っていたのだが、その反応は誠一の予想外のものだった。
「えっ……と。あ〜、うん」
 なぜか急に視線をはずしてキョロキョロとあたりを見回しだした。顔が少し赤みを帯びているようにも見える。
「ま、まあ私は優しいからね。もらっといてあげようかな」
 澪は先ほどとはうって変わって素直におしるこの缶を受け取った。しっかりと両手で握って熱くないのだろうか、と誠一も他人事ながら心配になる。
 その視線に気づいたのか、澪の顔がさらに赤くなった。
「な、なにさ?」
「いや、熱でもあるのかと思ってな。顔、赤いぞ」
 熱を測ろうと誠一が手を伸ばすと、澪はそれを上回るスピードで後ずさった。
「平気。全然平気だから、気にしないで」
 そんな澪の様子を見て、誠一はふと『昨日』のことを思い出した。
 ……なんか、立場が逆になっちまってるな。




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