「Burst!第六話」
著者:雨守



『Burst〜E〜』
-1-
 さっきまで晴れていた空にはいつの間にか黒い雲が立ち込めている。

「いったい、何なんだあいつは…」
 サイはたった今目の前で起こった出来事に対する動揺をまだ抑えられずにいる。
 それも当然の事だ。一人の人間が目の前で文字通り『変身』したのだから。
視線の先に立ちはだかる海野イラクには数分前までの面影はもはや微塵も残ってはいなかった。

『15-0』

 審判のコールが響く。
 ゲームカウントは3-0でサイの圧倒的な優勢の状態。
 サーブ権もサイにある。
 ゲーム展開で言えば申し分ない順調ぶりと言える状態だ。

「…よし。切り替えよう…」
 サイはようやく自分にそう言い聞かせると、サーブの構えに入った。
 視線の先の相手側のコートでは、190cmに届く程の筋肉質な大男と化した海野イラクがじっとこちらを睨み付けながらレシーブの体制で待っている。
 先ほどまでは見下ろさなければ見えない様な小さな体だったのが、今や大木の様な圧迫感を放っている。

 サイは二・三回足元でボールを弾ませる。
途端に、コート内に異様な緊張が立ち込める。
 
「行くぞ」
 サイが高いトスを上げる。
 
 ズドォン!

 高い位置から繰り出されたサイのサーブは全く衰えず、威力もコースも申し分ない。
 放ったと同時とも思えるほどの速度で、海野イラクのコートへと走る。

「…」
 海野イラクはテイクバックをとったまま、まるで彫刻の様にどっしりと構えている。
 そして
「遅い…な」
 
 キュン!

「…!?」

 一瞬、その場にいた誰もが何が起きたのかを理解できなかった。
 海野イラクのもとに向かったはずのサイの高速サーブはいつの間にか、その場から「消えてなくなって」いた。

 そして。

『…15-15』

 ようやく事態を把握した主審が、コールをする。

「え…?」
 サイがふと横を見ると、自分が放ったはずのボールが、いつの間にか自分のコートの反対側の角の延長線上に転がっていた。
「…何が起こった?」
 サイも薄々気が付き始めてはいたが、まだはっきりとは信じられずにいる。
 
リターンエース。
 
 サイには海野イラクの返球が見えなかったのだ。
 
「沖島…なんだ今のは?まさか、ファーストサーブのつもりか?」
 海野イラクはラケットを振り切った体勢のまま、冷たく呟いた。
「チャンスボールかと思ったぞ」
 冷笑を浮かべた海野イラクの顔は余裕で満ち溢れている。

「く…」
 突然迎えた思わぬゲームの展開に、サイは背筋が凍りつく感覚を覚えた。

-2-
『…15-45』

その後も海野イラクのリターンエースは2回連続で続き、いつの間にかゲームの主導権は完全に彼のものになっていた。

「くそっ!」
 高くトスを上げ、もどかしさをぶつけるかのごとく、サイは4球目のファーストサーブを叩き込む。

 ズドォン!

「ふんっ」

 キュン!

 海野イラクの巨体がしなり、さらに速度を増した返球が返される。
 相変わらず信じ難い速度のそのリターン球は、あまりの速さに周囲の人間には視界に捕らえることすら難しい。

しかし

「…見えたっ!」
 4球目のリターンにしてサイの目はようやくその速度に慣れ、球筋を捕らえた。
「絶対に返す!」
 反応するとともに返球コースに走り込み、サイはテイクバックをとる。

 バシッ!

「くっ!重いっ…」
 何とか打ち返すことは出来たものの、ラケットを握るサイの手はその反発に耐えられず少し後に跳ね返された。

その時、既に海野イラクの巨体はネット際につめ、サイの返球を待ち構えていた。
「無駄だ…無駄無駄ぁ!」


ズドンッ!

 海野イラクは容赦なく懇親の一撃をたたき込んだ。
『ゲームウォンバイ、海野。ゲームカウント、3-1』
主審のコールとともに、海野イラクが余裕の表情で1ゲームを取り戻した。

「何て、速さと威力だ…」
 サイはまだ手に残る痺れを握り締めながら、改めてその威力を噛み締める。

「さて…次はサーブか…」
 海野イラクは何事も無かったかの様にすでにボールを持って自分のコートに戻ろうとしていた。

「おい、沖島」
 ふと、海野イラクが振り向く。

「…え?」
 その声に、サイもそちらを振り返ると

「お楽しみはまだまだこれからだ…」
 海野イラクの冷たい嘲笑がサイに向けられていた。



-3-
『45-0』

「く…」
 サイは成す術もなく、その場に膝をついた。
 海野イラクは3球目のサーブを打ち終え、全てサービスエース。
 サーブに関してもリターンと同様、ずば抜けた重さと視界に捕らえるのが困難な程の速度にサイは全く太刀打ち出来ずにいた。

「どうした、沖島。もう終わりか?」
 海野イラクは容赦なく冷たい視線を投げつけ、次のサーブの体制で待っている。


「このままじゃ…」
 このままでは明らかに勝てない。
 サイは確かにそう実感していた。
「何か…何か手はないのか」
 サイはようやく立ち上がり、リターンの体制につく。


「沖島。もう諦めろ」
 海野イラクはボールを持った左手を天高く翳し、トスを上げる構えに入る。
「お前の破滅はすでに決まっている」
 そして、そのまま身長の倍程の高さのトスを上げると。
「この俺を」

「本気にした時点でな!」

 ギャンッ!

海野イラクのサーブがサイに向って一直線に走る。

「…っ!?」
 サイは反応しすぐにラケットを合わせたが、一瞬振り遅れ、

 パシュ!

「しまった…!」
 サイのラケットに当たり損ねたボールは、そのまま上の方に飛んで行く。

「チャンスボール…」

 海野イラクは一瞬にしてネットとの距離を詰め、スマッシュの体制に入る。
 ラケットを背中に下げ、左手を上げ、背筋をバネに状態を反らす。

その瞬間だった。

「…え?」
 その瞬間、サイの目が確かに「あるもの」を捕らえた…。


そして
「くらえ!」

ズキュン!
 
 海野イラクのスマッシュは瞬く間にコートに突き刺さった。
 サイは全く反応も出来ないまま、コートに立ち尽くした。

『ゲームウォンバイ、海野。ゲームカウント、2-3』

このポイントにより、また海野が1ゲームを獲得する。

「さあ、どうする沖島?」
 海野イラクは挑発的な態度で、自分のラケットをサイに向ける。
 圧倒的な強さを見せつけ、すでに完全に自分の勝利を確信している。

「…」
 サイは立ち尽くしたまま、視線だけを呆然と相手コートに向けている。
 サイの頭の中には、「さっき見えたもの」がひっかかっていた。
『確かに見えた…』
 自分が見たであろう「それ」について、サイは少しの間考える。
 
そして…。

「俺の考えが正しければ…」
 サイは一つの結論を導き出した。

「まだ試合は終わっていない…」
 『破滅』の淵に立たされたサイの目は、まだ死んではいなかった。




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