「CloseGame」
著者:蓮夜崎凪音(にゃぎー)



―0―

 なんで、投げ続けているのだろう。
 最近はマウンドに立ちながら、ずっとそれだけ考えていた。

 二年も経っているのに、未だに功治には後ろめたいとか負い目のようなものを感じている。それは間違いない。
 贔屓目に見ても功治に実力はある。もう少し勝ち進めていればマシな学校にだって行けただろう。そのチャンスを踏み潰したのは、少なくとも俺なのだ。

 でも、思い切ってやめてしまうという選択肢は、今も俺の胸にはない。
 なぜかは分からない。真に反省してないのかもしれない。

 だから、疑問に思うのだ。答えが欲しいのだ。
 なんで、このマウンドに立っているのか。
 なんで、投げ続けているのか、その答えを。

―4・九回表―

「ボールッ!」
 宣告をされた瞬間、津川がマスクを跳ね飛ばして後ろを向いた。砂煙の向こう側へと消えた姿を追うように、俺もホームベースへと駆け寄る。
 一拍後に三塁へ矢のような送球が放たれて、ゲームは止まった。
「…………」
 胸の辺りが、じんわりと後悔でにじむ。
 投げた瞬間にはっきりと分かるほどの、完全な失投だ。
「………そこ、俺の指定席なんだけど」
 呆然としたはずの顔を遮るように、津川が俺の顔を覗いた。練習の賜物か反射的に動いていたものの、球が来なかったのでボーっとしていたらしい。
「悪い」
「力入りすぎ。このまま一点取られたら帰りラーメンな」
 短く言って、主審から手渡されたボールを俺のグラブにねじ込む。
「代わりにリードしたとこで打たれたら俺の奢り。いいな」
 念を押すように指を差された後、主審の視線に気づいて俺はマウンドに戻った。
 津川なりの気の回しには気づいていたが、それ以上にさっきから、嫌な汗が止まらない。
「…………」
 右手は、滑り止めの上からでも血色の良さを表すように真っ赤だった。
 ………興奮しているんじゃない。
 これは、緊張だ。
「………」
 高く天を仰ぐ。緊張の理由も、釈然としないながらぼんやりと分かっていた。
 一死、二塁で、迎えているバッターが四番。
 中学の野球生活が終わった日も、確かこんな九回だった。
 俺は念のためロージンを拾い上げて、手の中で揉むようにこすり付けた。

 助けの風もない七月の空はただ青く、高く、そして暑かった。

 一息吐いて、ホームベースを見やる。主審と目が合い、死ぬほど嫌なコールで、ゲームはまた流れ出した。
 カウントはワン、スリー。さっきの失投で不利な状況には拍車が掛かっている。
 サインどおり投げろと言った以上、どうにかする策はあるのか。津川。
 他人任せの、その視線に気づいた津川の指が地面すれすれにサインを出した。
「………ん?」
 出されてしばらく、俺はそのサインの意味が分からなかった。試合の組み立てではほとんど使わないサインだったからだ。
 逆に、使わなかったサインだから、か?
 とりあえず、ここにきてさらに自信のないことをやらせるつもりらしい。
 とにかくうなずいて、セットアップに入る。
 心臓が、高く鳴る。強張った肩を解くように、最後の一息。

 後は、最高のストレートを内角高め、インハイにぶち込むだけだ。

「っ」

 腕を振り下ろして、前のめりになりそうだった体を何とか持ち直した後、鈍い音が目の前で鳴………るのと同時に、主審がファールを告げていた。
 何とかカットされたボールが、バックネット下の固いところに当たってすごい音を立てた。よほど当たり所がよかったのかもしれない。
「…………」
 なんとか当たった、といった感想で正しいらしい。相手のベンチにはカーブで低目を主体に狙う投手としてしかデータがないだろうから、今のは異常に映っただろう。
 敵のベンチからは乗り出さんばかりに監督以下ベンチ入りまでが総立ちになって声を上げていた。九回の四番はそれだけで役割が大きい。
「………とにかく」
 これで、フルカウント。ここで迷うことはない。
 自分の"最高"は誰もが持っている。
 今度は、正真正銘本物の"最高"を見せる時だ。
「ん」
 津川のサインが出る前に、俺は小さく頷いた。
 相手も薄々分かっているかもしれない。だが、それだけに自信はあった。
 握りはもちろん、何万回も握ってきたカーブ。
 これで打たれたら、他に出せる球はない。
「…………」
 鼓動が、歓声に溶ける。静まり返ったような錯覚に沈む。
 ああ、そうだ。
 ………これだ。

 気づいた時には、体が傾いでマウンドを滑っていた。この風のないダイヤモンドで、唯一風を感じる瞬間に、俺は握り締めた球を放った。

 あくまで軽く甲高い音の後、回り全ての音を掻き消すように、アンパイアが高く手を上げた。


「ボール!フォアボール!」


「………振らないのも、選択肢だったか」




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