「ああ、いつのまに」
著者:そば



《後》

「あ!現国、またこんな宿題出しやがって………遠藤の奴ふざけんなよ。」
「………。」
「どうかしたか?」
「別に。」
 電話の時と同じく敦志は少し深刻で怒っているようだった。敦志のこんな所見たことない。普段は温厚で絶対に怒らない敦志がこんな顔するなんて。僕がどんなに怒っても、敦志が大人すぎてケンカになったことなんかないのに。きっと、僕の物心つく前に敦が大人になってしまったに違いない。
 いつもはあんまりしゃべらなくても大体通じ合うんだが、今日は敦志の考えいていることが分からなかったし、沈黙が心地よくなかった。思わず机のラジオをつける。FMからは聞き覚えのあるジャズバラードが流れていた。低音が胸に響く。
「実はさ………」
 僕は金曜の夜のことを全部話した。自分から切り出すのも勇気が必要だったけど、敦志が押し黙っているから余計に沈黙が恐くて、口が止まらなかった。
 僕が全部話し終えると敦志はゆっくり口を開いた。
 「美喜からも聞いたよ。で、どうすんだ、お前。」
 心臓が音をたてたのは、僕が美喜にどう返事をするつもりか考えていなかったからだろうか。それとも、美喜が敦志に相談したことに驚いているんだろうか。もしかして美喜の名前が出ただけで体がこんなにも反応するようになってしまったんだろうか。
 敦志は怒鳴ってもいないのにその口調には妙な力強さがあった。この静けさが嵐の前のものだと知っていて、いつ来るか分からない嵐を恐れるような感覚に襲われる。
「ど、どうするもなにも、あんなの冗談だろ。」
「冗談でそんなこと言うかよ!」
「あいつなら言うんじゃないか?」
「あいつはそんなんじゃねぇよ!!」
「うっ………。」
 敦志が大きい声を出して思わずたじろいだ。僕も敦志も黙ってしまった。敦志は悔しそうな表情でこっちをにらんでいる。
 でも、美喜が冗談じゃないならどうする。美喜が僕を好き?信じられない。僕は………どうすればいい。美喜に告白されたこと自体に驚いて、そんな僕がどうするか、美喜になんて返事するかなんて考えていなかった。
 敦志は以前にらんだままだ。
「お前の話ってなんだよ。」
 沈黙に耐えられず僕から切り出した。すると、少し戸惑った後、敦志が口を開いた。
「………俺さ、少し前に美喜にフラれたんだよ。」
「え!いつ!?」
「体育祭の帰りに新校舎の屋上で。」
「うそ!」
「うそじゃねぇよ。」
 敦志が美喜を好きだったことも、美喜がそれを断ったのも、ビックリするくらいの大ニュースだ。
「美喜な、そのときいったんだ。『仁史のことがずっと前からなんとなく好きで、最近そのことがはっきりしたけど………でも、今さらそんなこと言えない』って………。」
 敦志は次第に口ごもってしまった。
 ビックリすることが多すぎる。 
 本当なのか?ほんとに美喜が俺のこと好きなのか?でも………
「で、でも俺をいじめて育ってきたような女だぞ?」
「それだけ気になってたってことだろ。」
「よく遅くまで遊びにつき合わされてひどい目に………」
「お前といて、帰りたくなかったんだろ!」
「中学の頃なんかあいつのせいで、他校とケンカしたんだぞ!」
「守って欲しかったんだってのが、まだ分かんないのかよ!!いい加減にしろ!」
 不思議だ。怒鳴られているのに嫌じゃない。敦志に美喜の気持ちを代弁されるにつれて気持ちのもやもやがスッキリしていく自分がいる。
「美喜な、今日泣いてたんだぞ!『酔った勢いで仁史に好きだって言っちゃった。』って。『今日も避けられてるし、どうしよう。仁史に嫌われちゃった。』って!お前、もっと美喜の気持ち考えてやれよ!」
 確かにそうだ。金曜日の夜から僕は自分のことばかり。美喜の気遣いも何もあったもんじゃなかった。僕の2度の逃避で美喜がどれほど傷付いただろう。
 でも、ようやく分かった。好きなんだ。僕は好きなんだ、村山美喜が。ずっと気になってた美喜への気持ちは「好き」ってことだったんだ。やっとわかった。ああ、いつからだろう?いつから僕は美喜のことが好きだったんだろう?
 考えてみれば数え切れないくらい美喜が好きな場面がよみがえってきて、僕の気持ちを満たしていった。
「………ごめん。俺分かったよ。美喜が好きだ。美喜の気持ち考えてやりたい。」
「おいおい、言う相手が違うだろ。」と言った敦志はもういつも通りの敦志だった。僕の表情の変化を察知したんだろう。
「ありがとな。」
「気にすんなよ。」
「そういうわけには………」
 そういうわけにはいかない。自分と美喜の気持ちを考えてたからといって、敦志の気持ちを無視するわけにはいかない。敦志にしてみれば僕を助けることは恋敵に手助けに等しい行為だ。美喜をものにしたいのなら、僕のことはほっといて、悲しむ美喜を慰めてやることだって………。
「気分悪いもんな………両想いがくっつかないなんてな。」
 こいつは俺の心が読めるのか!と思うくらい絶妙なタイミングで、敦志が言った。
「今は俺のことより、美喜のとこにいってやれ。」
「あぁ。ほんとありがとな。」
「最後にひとつ。」
「何?」
「中学の時の他校の件、あれはケンカじゃなくて、ただ一方的に仁史が殴られてただけだぞ。」
「確かに………。殴られまくったな。」
「しこたまな。」
 思わず大笑いしてしまった。
 こいつとは、敦志とは一生上手くやっていける。心底思った。
「がんばってこいよ。」
「あぁ。」

 家を出ると太陽が傾いてきているのが分かる。もうすぐ日が暮れるだろう。
 村山の表札を見ながら覚悟を決めてベルを押すとインターホンごしに聞こえたのは美喜のよそ行きの声だった。てっきりおばさんが出てワンクッションになると思っていたので、おもわず慌ててしまう。
「あーあの、お、俺だけど、用あるんだけど、今空いているか?」
「ちょっと待ってね。」
 美喜の声が消えると、自分の緊張具合に思わず舌打ちがもれる。
 こんなんじゃダメなんだ。悲しい思いをさせてしまった美喜に、自分の気持ちで答えあげなきゃダメなんだ!
 ドアから美喜が顔をのぞかせた。
 金曜の夜着ていた服。あの三日月のピアスもついている。今日は紺のキャスケットもかぶっていて、よく似合っていた。
 美喜は何か言おうとするものの、言葉にならずにモジモジしている。
「散歩でもしないか?」
 今日初めての気の聞いたセリフだと思った。
「うん。」
 美喜の声が少し明るくなったような気がして安心する。
 小中の通学に、何回も通った道を二人で並んで歩く。両側にある家々が夕日に照らされているのを見ていると、なんだか別の道みたいだった。いや、多分緊張しているから違うところに見えてしまうんだろう。
「綺麗だね。」
「うん。」
 美喜はうつむきながら答えた。いつもよりうんとしおらしい。
 学校に行く途中にある公園に入る。子どもの頃から遊んだ公園だ。
 ベンチに並んで座ると夕日が真正面で照らしてくる。隣を見ると美喜も真っ赤だった。しゃべるのがもったいなくて、少しの間美喜を見ていた。美喜は下を向いている。
「金曜の夜のこと………」
 美喜がビクッとするのが分かった。
「なかった事にしてくれないか?」
 美喜が少し震えている。と、勢いよく頭を上げた。
「か、勘違いしないでよ!あんなの冗談よ!冗談………。」
「俺の方から改めて言いたいんだ。」
「………え?」
「好きなんだ。美喜。お前が好きだ。今まではっきりしなかったけど、美喜のことが大好きなんだよ………。」
 なんとまぁ、こんな恥ずかしいこと言えたもんだ。きっと沈みかけの夕焼けよりも、はっとしている美喜よりも、言った僕が1番赤かっただろう。
 美喜は息が止まったような顔からゆっくりと下唇を噛み、涙をぽろぽろと流し始めた。
「………して?」
「なに?」
「どうしてそんな………回りくどい言い方するのよ!」
 こうなったら美喜の涙は止まらない。
「ごめんな。」
「わた………し、フラれ………るかとお………もって、じょうだ………んとかい………っちゃって………。」
 しゃくりあげる美喜を思わず抱きしめてしまった。泣かせた後に抱きしめるなんて、アメとムチみたいで嫌だけど、そうせずにはいられない。
「ごめんな。どうしても俺の方から言いたくって。お前も酔った勢いなんて嫌だろ?」
「うぅ………。」
 子犬みたいにうなる美喜の頭をなでてやると、しばらくしてようやく美喜は泣き止んだ。
「私も………好きだよ………仁史。」
 こもった声でそういうと、美喜はぎゅっと僕を抱き返してくれた。
 僕の体は幸せの絶頂に打ち震え、心臓の鼓動は今の内に一生分打ってしまおうというペースで暴れまくった。
「仁史の心臓速いね。」
「う。」
「あ、また速くなった。」
 泣きやんだと思ったら、次は子どもっぽい声でしゃべる美喜の声に、僕はとうとう心臓が痛くなって、うなってしまった。心臓は1分や2分ではおさまってくれない。
 恥ずかしいついでに、僕はせっかくだからもう1回くらい気の利いたことがいいたかった。
「今日までと違って明日から恋人同士だな。」
「はぁ?」
 美喜は僕の腕からするりと離れ、いつものように僕をバカにしたような顔をすると、ベンチから10メートルほど走って後ろを振り返った。
「今から恋人同士でしょ。」
 そう言った美喜を僕は一生忘れない。夕日をバックに、手を後ろで組んで首をかしげて、子どもっぽくそう言って笑った美喜は今までで1番輝いていたからだ。
 僕が追いかけると美喜はさらに樹木のところまで逃げていった。公園の中心にある、おそらく公園ができるずっと前からあっただろう大きな樹木までだ。
 僕が追いつくと美喜は黙って僕を見上げている。長い沈黙。どうしても見てしまう、美喜の唇。鼓動はさっきよりも速く、控えめに言っても死にそうなくらい速く、僕の胸を打ってくる。
「………。」
「………。」
「キス………していい?」
「バカ!空気読みなさいよ!そんなこと聞くなんて無粋ね。」
「ごめん。」
 笑いあった後、美喜を木に寄りかからせて、初めて唇を合わせた。レモン………の味はしなかったけれど、女の子独特の甘い匂いが感じられて、いい気持ちになった僕は、思わずもっと欲しくなった。
〈ガチッ!!〉
「ん!歯ぶつけないでよね!」
「初めてなんだからしょうがないだろ!」
 2人してぜぇぜぇしながら言いあいになる。息を止めてたのは美喜も同じなんだろう。
「今度からはちゃんとしてよね。」
「んじゃあ………」
 これ幸いと2日目のキス。今度は上手くできた、と思う。目を開けたら、さっきより潤んだ目の美喜が僕の腕のなかにいて、思わず抱きしめた。
 どのくらい経っただろう。辺りはすっかり暗くなっていた。しばらく抱き合った後、僕が先に口を開く。
「帰ろっか。」
「そ、そうだね。」
「あ、そういえば。」
「なになに?」
「俺のこと、いつ好きになったの?」
「えっと………。」
「言うのが恥ずかしい?」
「そんなんじゃないわよ!」
「いつ?」
「………体育祭の徒競走してるとき。」
「え!だってあれ俺コケてビリだったじゃん。」
 お前のせいでと付け加えそうになって止める。美喜の応援が聞こえて、そっちを向いたときにバランスが崩れたなんて、言い訳にもならない。
「だって、一生懸命走ってるから、かっこいいなって………っていわすなぁ〜!」
「………。」
「あれ?どうかした?」
 美喜の声に反応したってことは、美喜が気になってたってことだよな。美喜の応援に気をとられた上にそれでコケたってのは情けなさすぎる………。
「どうしたの?」
「あ、いや、なんでもない。」
「あ、なんか隠し事?」
「そんなんじゃないって。」
「教えなさいよ。」
「さてと、さっさと帰るぞ。」
「待ちなさいよ!もう。私のことはいつ好きになったのよ。」
「………いつのまにか、だよ。」
 帰る2人を、もうすっかり上った月が優しく照らしていた。

 よく朝、珍しく最高の寝起きだった僕が家のドアを開けると、見慣れた顔が2つ待ちくたびれた感じで待っていた。
「おーそーいぃー!」
「まぁまぁ美喜。おはよう、仁史。」
「おはよう、敦志。おはよう、『おーそーいぃー』さん。」
「遅いのはお前だ!」
「はっ!てっきり鳴き声かと思った。」
「ぬあんですってぇ!」
「まぁまぁ美喜。」
「止めないで敦志。ああもう、こいつにはレディを待たせておいて、悪いって気持ちがないのかしら?」
「自分でレディとか言うなよ………。」
「私は女でしょうが!」
「俺は女はもっと大人しいもんだと思うよ。」
「大体ね、あんたは朝の5分がどのくらい大切か分かってないのよ。」
「朝も昼も夜も5分は5分だろ。」
「分かってないわね。朝は忙しいのよ!!」
「はいはい。」
「流すなぁ!」
「2人とも、夫婦喧嘩はそのくらいにして………」
「誰が夫婦だ」、と思わずハモってしまった。
「急がないと2本目のバスも出ちゃうよ。」
「お、こんな時間!急ぐぞ!敦志。後、レディさん。」
「名前じゃないから。それ。」
 そういって3人で走り出した。
 楽しもう、この時を。2人の時間は始まったばかりだ。
 僕の人生において、3人の「村山」の存在はことごとく僕の人生を狂わせてきた。1人は僕の中学時代をひどいものにしたし、1人は小学生の僕にひどい痛手を追わせた。
 でも、最初の「村山」には僕はいい意味で人生を変えられそうだ。これから。




[終]


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