「必然の偶然」
著者:白木川浩樹(とぅもろー)



 ―――新着メールが一件あります

『久しぶりに会うんでしょ、緊張してる?
 私はやるだけのことはやったから、ま、あとはアンタ次第だからね。
 せいぜい頑張ってモノにしなさいな。
 気が向いたら、成功を祈っててあげる。じゃあね。

 P.S
  約束のケーキ食べ放題のオゴリ、忘れないように』



−1−

「ありがとうございましたー」
 ようやく昼のピークが終わり、店内に客の姿は見えなくなった。
 貴彦がこのコンビニでバイトを始めて三ヶ月経ったが、まだこの忙しさには慣れるまでには至っていない。
「さて、と。そろそろあがろうかな」
 時計は一時五分を指している。休日の影響で客が多かったせいで、終了時刻を少しオーバーしていた。
 店内の掃除をしていた次のシフトに人に声をかけようと、貴彦が声をかけようとしたのと同時に、店の自動ドアが開いて女性客が一人入ってきた。
 その女性を見たとたん、貴彦の動きが止まる。
 セーターにジーンズと服装こそ簡素だが、それに包まれている手足はスラリと長く、貴彦よりやや高いであろうその身長をより際立たせている。
 腰まである長い髪は歩くたびに揺れ、光を浴びるたびに艶やかにその色を変える。
 そして、春が来るまでは毎日のように見ていた顔には、わずかに驚きを含ませた笑みが広がっていた。
「山城、先輩……?」
「久しぶりだね。タカ」
 先輩と呼ばれた女性は、貴彦に軽く手を振る。
 その高校時代とまったく変わらない気さくさに、貴彦は時間が巻き戻ったかのような錯覚を覚えた。
「俺もうバイト終わりですから、ちょっと待っててください」
 それだけ伝えると、一目散にロッカールームへ駆け込んだ。
「一ヶ月ぶり、か………山城先輩、変わってないな」
 勝手に緩んでしまう口元を抑えながら、大急ぎで服を着替える。
 制服をカバンに詰め込み、タイムカードを押せば帰る準備は全て終了。
 息をはずませて売り場に戻ってきた貴彦を見つけ、目的の女性は苦笑しながら読んでいた雑誌を棚に戻した。

「いやー、まさかタカがあそこでバイトしてるとはねぇ」
 二人はコンビニを出て、それぞれの帰り道を並んで歩いていた。
 五月の風は暖かく、のんびり歩くにはうってつけの陽気だった。
「たまには違うコンビニに行ってみるもんだ。面白いハプニングだよ」
「俺も驚きましたよ。まさか先輩がくるとは思いませんでした…………あれ? どうして先輩がこっちにいるんですか?」
 貴彦も平均以上の身長はあるのだが、横に並ぶと少しだけ見上げる形になってしまう。
 隣を歩く女性の名は山城瑞希。
 三月まで貴彦と同じ高校に通っていた、一つ年上の先輩だ。
 今は東京の大学へ進学し、その近くのアパートで一人で暮らしている。ここからは電車でも二,三時間はかかる距離にあるため、当然ここにいるのは理由があるのだろう。
「君はあいかわらずボケてるな」
 ため息をつきながら、何気にひどいことを口にする瑞希。
 言われた貴彦はすでに慣れたもの。また変なことを言ってしまったかと苦笑する。
「今週はゴールデンウィーク。実家に戻ってきても不思議はないだろう?」
「あ、そっか。もう連休に入っているんでしたね」
 納得した、と貴彦は頷く。
「授業が早く終わる日とかが増えたんで、休日だって気があまりしないんですよね」
 今年卒業年度の貴彦は、四月になってからかなり授業数が減っている。
 そのため午後はバイトをする日が多く、日付や曜日の感覚が曖昧になってしまっているのだ。
「バイトもいいけど、タカは今年受験だろう? 勉強のほうは大丈夫なのか?」
 貴彦も今年は受験生。進路を真剣に考えていなければならない時期だ。
 しかし、当の本人はというと受験もどこ吹く風、緊張感というものがかけらもない。
「大丈夫ですよ。強い味方がいますから」
「味方ねぇ。家庭教師か何かかな?」
「まあ、大体そんなところです」
 貴彦が笑う。不安や心配などとは無縁そうな笑顔に、その強い味方に対する信頼がうかがえる。
 それから二人は互いの近況など、他愛もない話を続けているうちに、小さな十字路にたどり着いた。 
 以前は部活の帰りはいつも一緒に帰っていたが、そのときはほかの部員もいたので、こうして二人でこの場所に立つのは初めてのことだった。
 あの時とは服装も状況も違うというのに、貴彦にはどこか懐かしく思えた。
 それは、もう二度と来ない時への憧憬だったのだろうか。
「それじゃ、私はここで……って、どうした?」
「えっ?」
 瑞希に指摘されて、はじめて貴彦は自分が足を止めていることに気づいた。
 数歩分だけ前に出てしまった瑞希が振り返り、不思議そうに貴彦を見つめている。
「体の調子でも悪いのか?」
 そばまで来て、貴彦の顔を覗き込む。
 吐息が感じられるほどに顔が近づき、貴彦は飛び退くように距離をとった。
「へ、平気です! ちょっとボーっとしただけですから」
 その慌てぶりが面白かったのか、瑞希は肩を震わせて笑った。
「確かに。それだけ元気があるなら心配はないか」
 そのまま楽しそうに頷く。
「さて、今度こそ私は帰るよ。休みの間はこっちにいるから、また会えるかもね」
「そうですね。といっても、俺はコンビニ通いですけど」
「頑張るね、勤労青年。でも、ちゃんと勉強もしなよ」
 それだけ言い残し、瑞希は十字路を曲がって去っていった。
 それを見送っていると、瑞希は一度だけ振り返り、大きく手を振った。
 高校時代に何度も見てきた行為は、今でもまったく変わることはなく、貴彦はただ嬉しくて手を振りかえした。


−2−

「いらっしゃいませ」
「いらっしゃいましたー!」
 店内に異様に明るい声が響いた。
 ほかの客は何事かと声の主に目を向けるが、すぐに興味をなくして視線を戻す。
 唯一、コンビニの制服を着た青年だけが、大声の発信源を見続けていた。
「……なにやってるんですか、先輩」
 貴彦が呆れた声を出す。
「お客様に向かって、そんなこというのは感心しないなぁ」
 答える瑞希は笑顔。そのまま貴彦のいるレジまで歩いてくる。
「どうしました?」
 特に商品を持っているわけでもないので、貴彦本人に用があるのだろう。
 店が空いている時間だったおかげで、レジの周りにほかの客がいないので、少しくらいなら話をしても問題はなさそうだ。
「ねぇ、タカ。今日はバイト何時まで?」
 貴彦が時計を確認すると、二時五十分。今日は三時までなので、終了まであと少しだった。
 そのことを貴彦が告げると、瑞希はなにやら思案しているようだった。
 短い思考の後、瑞希の顔には笑みが浮んだ。
 何かをたくらんでいるようなその顔に、貴彦の背筋に悪寒が走る。
 だが、予想に反して瑞希の言葉は、何ら変哲のないものだった。
「タカの家に行ってもいいかな? ちょっと貸してもらいたいCDがあるんだ」
 顔の前で手を合わせて、軽く拝んでみせる。
 特に用事があるわけでもない貴彦に、その頼みを断る理由はなかった。
「わかりました。バイト終わるまで、ちょっと待っててください」
「ああ、わかった」
 雑誌コーナーへ向かう瑞希を見送り、貴彦は自分の業務に戻る。
 あと十分で今日の仕事は終わる。
 だが、普段ならあっという間に過ぎてしまう十分が、貴彦には何倍にも長く感じられた。
 
 瑞希が貴彦の部屋に入ったのは、去年の夏以来の二度目のことだった。
 そのときは写真部全員でのコンクール入賞の打ち上げで、ひたすら騒いでいただけだったので、今日のように部屋の中をゆっくり見る暇は瑞希にはなかった。
 ベッドと本棚、それにタンスと机があり、机の上にはパソコンが乗っている。
 貴彦の部屋にあるものは、ただそれだけだった。
「あいかわらずシンプルな部屋だね」
 室内に入った瑞希が、そんな感想を述べる。
「よく言われます」
 貴彦はカバンをベッドに放り、本棚のCDを入れてある引き出しを開けた。
 中には最新の邦楽や演歌、洋楽にクラシック音楽まで、様々なジャンルのものが収容されていた。
「それで、どれを借りるんですか?」
「ええっと。ちょっと見せてもらっていいかな」
 この方が見やすいだろうと、引き出しごと取り出してベッドの上に置いた。
 瑞希がCDを選んでいる間、貴彦は机に勉強道具を広げ、数学の問題集に取り掛かることにした。
「どれだったかな………これじゃないし」
 貴彦の後ろでは瑞希がまだCDを選んでいた。
 仕方ない、と貴彦は問題集を閉じて立ち上がる。
「なんて名前のCD探してるんですか?」
 自分が探したほうが早いだろうと思い聞いてみたものの、瑞希はそれに答えなかった。
「いいからキミは勉強してなさい。こっちは勝手にやってるから」
 背中を押され、貴彦は無理やり椅子に座らせられてしまう。
 瑞希の意外に頑固な性格は十二分に承知している。これ以上口出ししても、返ってくる答えは変わらないだろう。
 そう結論付けた貴彦は、改めて問題集を開いた。
 机に向かう背中に、視線は外れることなく注がれていた。


−3−

「やあ、おはよう」
「……実は結構ヒマなんですね、先輩」
 三日連続でやってくれば、さすがに貴彦も慣れてくる。
 瑞希のほうも、まっすぐに貴彦のところへ歩いてくるあたり、今日も何も買うものはないのだろう。
「今日は何の用なんですか?」
「もちろん、借りたCDを返しにだよ。録音は終わったからね」
 左手に持ったバックを持ち上げてみせる。その中に入れてあるということだろう。
 昨日は結局あれから三十分かけて、五枚のCDを選び出し借りていったのだ。
「そうですか。それじゃ、返してもらいますね」
 貴彦は手を出すが、瑞希はバックからCDを取り出そうとはしない。
 それどころか手を後ろに回し、バックを背中に隠してしまった。
「先輩?」
「ところで、勉強ははかどっているかな?」
 突然、まったく違う話題を振る瑞希。
 いきなりのことに面食らった貴彦だったが、質問には何とか答える。
「え、ええ。それなりに」
「そうか。それよかった」
 嬉しそう瑞希は頷く。
 いつも突拍子もない行動を起こすのがこの先輩だが、今日はいつにもまして絶好調のようだ。
「だが、油断してはいけない。ましてや、キミの志望はW大学だろう?」
「あれ? よく知ってますね」
「絵里から聞いたんだ」
 絵里とは瑞希や貴彦と同じ、写真部の一員だった女性だ。こちらも三月に卒業し、今はフリーターになっている。
 暇があると写真部に顔を出しにくるので、下手をすると貴彦ら現部員よりも、部室にいる時間が長いかもしれない。
「来年はまたちゃんと先輩後輩になりますね」
「キミが受かれば、の話だがね」
 瑞希が進学したのもW大学。狙っている学部こそ違うが、合格すれば貴彦はまた瑞希の後輩になる。
「あのー」
「あ、スミマセン。どうぞ」
 手に商品の入ったカゴを持った女性が、清算のために並んでいた。
 話に気をとられるあまり、瑞希の後ろに客がいることに気がつかなかった。
「それじゃ、また後でね」
 仕事の邪魔にならないようにするためか、瑞希はコンビニを後にした。
 結局、CDも返ってこないまま。
 また後でと言われても、今日は瑞希にバイトの終了時間を教えていない。
 どうするつもりなのだろうと考えてみても、貴彦にはまったく分からなかった。




後編へつづく