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「で、何の用?」
理沙が耕二にそう切り出したのは、コーヒーのオーダーを済ませてすぐだった。
店内は午後のけだるい時間で、客はそれほど多くない。西日の差すテラスがあるためか、西側にはブラインドがかけてあるので、雰囲気がどことなく暗い。
「まだ会社に仕事が残ってるの。急ぎなら急ぎで、早くしてよ」
黙ってると、刺のある言葉が次々に飛んでくる。相変わらず気の早い女だと、耕二は心の中でぼやく。有名大学卒だから、とは一概に言えないのだろうが、人をけなすような態度だけはどうしても耕二の性には合わない。
いい加減うんざりはしていたが、これからのことを考えるにそうも行かなかった。
「………津島さん、これから見せるものは今のところ『あなたとこれを提供した人』しか知りません。その辺のところ、よっく考えてください」
そう前置きをすると、理沙がうんざりしたような顔になる。
「いったいなんなの?」
耕二は数日前に靖子から渡された少し大きめの封筒を取り出すと、あの時と同じように今度は理沙に手渡した。
「…………?」
理沙は面倒くさそうに中身のコピー用紙の束を取り出すと、半信半疑のまま、ページを捲って行く。
途中でコーヒーが届いて、耕二はそれを口に運ぶことでその空白の時間を潰す。
真ん中辺りで、彼女はようやくその異変に気付いて書類を捲る手を止めた。
「………これって」
「そうです」
コーヒーを置いて、耕二は静かに言った。
「あなたのお父さんが行なっている脱税と所得隠しの書類。どうも、あなたの会社を気にいらない連中がいるようで」
「それって、あなたじゃ………」
理沙の顔が心なしか強ばっていた。
「俺はこれを、得体の知れない奴から渡されただけだ。俺なら「上手く使ってくれる」らしいんでね」
耕二はあくまで他人面を装うつもりだった。
「………それで、あなたの目的はなんなの?」
「これがバレたら、一気にヤバいことになるのは分かるだろ?」
「お金………」
耕二の顔が歪んだ。
「まあ、その方が手っ取り早いと思うからね。持ってるだろ?」
理沙の書類を手が震え始めた。
「………あの女のためなの?」
「…………」
「どうして、あの女ばっかり!」
テーブルを叩く音が辺りに反響する。
客も店員も、全員の視線がこちらへ向いた。
理沙は気まずそうに頭を振って視線を落とすと、黙り込んだ。
「違うよ」
店内が元の雰囲気を取り戻すのを見計らって、耕二は呟くような声で言った。
「これが仮に、靖子のためとは言っても、これ以上は危険な領域だ。踏み込むメリットがないだろ?」
「なら、なんで」
「だから、最後にその分け前をいただくだけさ。それに、前々からまとまった金は必要だったんだ」
耕二の顔は豹々としていてこの前とは異様なほどかけ離れて場慣れしていた。
理沙はその顔に得体の知れないモノを感じる。
「時間と場所、金額はおって連絡する」
それだけ短く言い放つと、耕二はポケットに入っていた千円札をテーブルに叩き付けると、席を後にした。
残された理沙は、手を震わせたまま湯気のなくなったコーヒーの暗い底を凝視するような格好で、ただ苦い表情をするだけだった。
店を出ると携帯電話が突如鳴った。
電話番号の履歴にはないが、見覚えが合った。
「………もしもし」
『やあ。初めまして』
耕二が思っていたイメージとは声のトーンがさらに一つ高かった。口調が明るいせいもあるのだろうが、やはり癪に障った。
「どこかで見ているか聞いているかしてたんだろう」
そうでなければこんなジャストのタイミングで電話がかけられるわけがない。今もなんらかの形で自分の状況を把握しているはずだ。耕二はなんとなくだが、辺りを見回してしまう。だがこのコンクリートジャングルの中など、死角はいくらでも存在する。
『ああ。ちゃんと書類の最後に書いておいた任務を遂行しているようだね。見事だよ』
「お誉めに預かりましてどうも」
『釣れないなぁ、これでも僕は君のことを高く評価してるんだよ』
「脅しのメッセンジャーにしてはえらくリスクが高いがな」
電話口の向こう側は高い笑い声に満ちる。
『それでも、君ならなんとかしてくれると思ってね。靖子がそのまま行ったんじゃ、火に油を注ぐようなものだから』
「それで、理沙を脅してなにかメリットがあるのか?」
『………立場のほうはまだ理解していないようだね』
「どういうことだ」
『君はあくまで使われる立場なんだよ。僕に何か聞いていい分際じゃない………君は唯一物語に偶然迷い込んだ「部外者」だから、できる限り悪いようにはしないよ』
「………一つ聞かせてくれ」
『内容にもよるね』
「これから、お前のことはなんと呼べばいい?」
『………利用する者』
「長いな」
『まあ多めにみなよ。「利用される者」君』
また、笑い声が満ちる。
常人として弄ばれている感覚からもそうだが、生理的にも不愉快だった。
『指示はまた出すから、従ってもらえるとありがたいね』
「どうせ強制なんだろ」
『まあ、そうだけど。後々、深いとこまで突っ込ませてあげるよ』
受話器の背後で、突如連続的なやかましい音が鳴った。
『おっと。じゃあね』
いきなり、通話が途切れた。
「…………」
携帯を耳から離して、近くの線路を見やる。電車が来る気配はまったくといっていいほどなかった。
だが、今聞こえたのは間違いなく踏切の警笛の音だった。
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