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いつもよりの多め電話のコール音が跡絶えて、電波が繋がっても向こう側は自分が何者かなどとは何も言わなかった。
「おい、利用する者」
受話器を握り締め、一つ呼吸の後に白髪の初老は呟くように言った。
「ああ、なんだ。津島さんか」
向こう側から、ようやく意外そうな声が聞こえた。自分は彼の望むべき相手ではなかったらしい。
だが、そんなことはむしろ、こちらの都合とは関係がない。
「どういうつもりだ、貴様」
凄味のある津島の声に、一拍沈黙が流れる。
「………何がです?」
「とぼけるなっ!」
室内に響き渡る怒号。
しかし、受話器の向こう側はまるで相手にしていない様子でケロリと言い返す。
「だから、何がです?………お宅に何か不都合なコトでもやりましたか?」
含みのある少年の声に、津島が一度自分を落ち着かせるように大きく咳払いをすると、声を改めた。
「ウチの会社のアレの記録のことだ」
「あ。ああ〜、ああ、あれですか。取り返しの方、うまく行きました?」
その瞬間、再び津島の頭に血が昇る。
「ふざけるな!捜させたがどこにもなかったぞ、本当に当の遠藤という男で間違いはないんだろうな!」
「………そうですか」
少年の声が、何事もなかったかのように自然と鋭くなる。
まるで、元からこのような性格だったように。
「おかしいですね。結構確かな筋からの情報だったんですよ?あの男が津島産業のコンピューターにハッキングして情報を手に入れた、っていう。アクセス履歴の方もこちらに正式な書類が揃ってるんです。間違いはないはずなんですが………」
「なら、なぜ奴が持っておらんのだ」
「…………現段階ではどうだとは言えませんが、一部にはこの情報を遠藤耕二側が意図的にリークしてこちらを攪乱しているのかも知れません。後ろ楯があれば、それほど危険なことじゃありませんし」
「後ろ楯とはまさか」
「そちらはご想像にお任せします。こちらも確証は有りませんが」
「………そうか」
津島が大きく息を吐いた。
「どこか意外なところにでも隠してあるのか知れませんよ。素人の動きとは言え、ハッキングを使う相手ですから、油断は禁物です」
あくまで強気な言葉の少年に津島は揺らいだ心を再び元に戻した。
「……分かった、今度は本人に直接聞いてみるとしようか」
少年はさ面白そうに笑いを漏らした。
「あれ、脅しちゃうんですか。素人相手に大人げないですねぇ」
「バカなことを言うな。あれがマスコミにでも知られれば私は終わりだ。あれがなんとかならん限りは安心できん」
「あ〜………そうですか。まあ、そちらの方はそちらでお願いしますよ。僕は情報を回しただけで、そちらにはノータッチですからね」
少年が、何かをすする音が聞こえる。
「ところで、利用する者」
「はい?」
「お前のほうも平気だろうな」
「こちらですか?今のところまだ予定通りですよ。私が出るまでもありませんし、このまま二人とも離れてくれればいいんですがね」
思いっきり深い溜め息を吐いて、少年は再び何かをすする。
「ワシもそれを願うよ」
「まあ、どんな形でもご期待にはかならず添えるように致しますから。もうしばらくご辛抱ください」
煌々とした室内には彼一人が取り残され、そして眼下に広がる町並には色とりどりのネオンが瞬いている。
見上げても、夜空に星など見える時代ではなくなった。
「…………忙しいので、切りますよ」
少年の声で、津島は我に返った。
「あ、ああ」
言うか言わないかのうちに電話が切れた。
「…………」
津島は一度大きな椅子に座り直すと、受話器をおいて、またすぐに取り上げる。
ボタンをプッシュして、相手が出るのを待った。
今度は、ツーコールを待たなかった。
「はい」
「遠藤耕二に接触して、書類の在処を吐かせろ」
「殺しますか」
「いや、相手は素人だ。痛めつければ問題なかろう」
「了解しました」
「ちょっと待て」
「………何か」
初めて、相手の声に微妙ながら感情が交じる。
「くれぐれも所属を明かすような真似はするなよ」
「…………石橋は叩きましょう」
中性的な声に、津島は顔を歪める。
「なら、いい」
こちらも、即座に電話が切れた。
「………ふん」
受話器を下ろして、津島はその皺の寄った目蓋を細めた。
元もと得体の知れない人間だと思っていたが。
津島は初めから、『利用する者』を信用してなどはいない。むしろ、寝首を掻く機会をじりじりと伺っていた。
ここまで多方面に内情が詳しい人間を生かしておくワケに行かない。
リスクが小さいうちになんとかしておくのがセオリーだろう。
「…………」
やるなら、彼が動く今がチャンスだろう。
津島忠雄は無言のうちに、もう一度受話器をとっていた。
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